34 「文鳥と死体」ー神などいない③ | エホバの証人(JW)について考えるブログ

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弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

これ以降のブログでは、

ⅰ.法医学の授業で学んだことについて書き、

ⅱ.それを受けて自分がどう感じたか、

ⅲ.そこから人間の人生・神・エホバの証人教理といったものについてどのような結論を得たか、

順に書いてゆきたいと思います。

 

(※これらは、大学院という高等教育機関において提供された、確立された学問(法医学)の教育内容につき明確な目的をもって事実を書き記す内容ですので、アメブロ規約に違反するものではないと考えます。とはいえ、読む方の状況により衝撃を与える内容になる可能性があるものといえるかもしれず「人の死」というものについての情報に触れたくない方はお読みにならないことをお勧めします。)

 

【法医学の内容】

 

法医学は、究極的には「司法解剖をして死の原因を突き止めること」が目的ですが、

その学問はまさに、「人の死のプロセス」そのものについての学問でした。

 

そこでは、

①「人はどのようにして死に至るのか」

②「死んだ後、人体はどのように変化するのか」

といった点を、まさに徹底的に学ぶことになりました。

 

【人の死の原因】

 

「人の死」にはいろんな原因があります。

老衰や病死などの自然死以外の不慮の死があり、その原因には失血死、溢死、窒息死、溺死、焼死、圧死、凍死、餓死、落死、轢死、薬物・アルコール中毒死、一酸化炭素・ガス中毒死、熱中症や外傷性ショックによる多臓器不全、外傷性心不全、はては感電死、爆死、全身挫滅による即死や獣害による死など様々なものがあります。

こういった様々な死因について、どのようなメカニズムでどのように人が死に至るのか、その過程を大学院では学びました。

 

そして、司法解剖で対象となるご遺体は、すべて犯罪にかかわるご遺体でしたので、

刺殺されたご遺体、絞殺されたご遺体、銃で撃たれたご遺体、撲殺されたご遺体、そしてありとあらゆるその他の人為的方法や事故により亡くなられたご遺体の状況について集中的に学ぶことになりました。

 

法医学は、「死因が問題となるご遺体」や、「殺害のされ方が異常なケース」を特に研究して死因を解明するのが目的であり、しかも医師の中でもその分野のプロが集中的に扱う領域ですので、必然的に「およそ通常人の想像を絶するような状態のご遺体」ばかりが研究対象として取り上げられることになりました。

 

通常では考えることすらないような極めて凄惨な形で命を落とされたケースや、本当に一瞬のうち、数十秒程度の短い時間に何人もの方がまたたくまに次々と亡くなったケース、そうした痛ましさの極みとしかいえないようなケースばかりを集中的に、しかも大量に連続して学ぶことになりました。

 

【人の死後】

 

また、この学問では、「人が亡くなった後にどのように変化してゆくか」という点を学ぶことも、とても大事な要素でした。

 

通常の状況で放置されて分解してゆくご遺体、水の中に沈んだご遺体、土に埋められたご遺体、クーラーを強く効かせた状態で放置されたご遺体、乾燥した冷地で放置されたご遺体、直射日光にさらされたり高温化で放置されたご遺体、ガスを吸ったご遺体、そういったご遺体が絶命直後はどうなるのか、どれほどの時間を経て、どのように変化をしてゆくかを刻々と時間刻みで理解することも重要な点でした。

 

腐敗が進み、蛆虫が大量についたご遺体の姿を目にすることも勿論ありました。

どのような種類の蛆虫が体に発生し、どの程度成長しているか、周囲の気温は何度だったか、日光は何時間照射していたかを組み合わせて、死亡推定日時・時刻を割り出すことも必要だったからです。(損傷の激しかったご遺体の例をあげればキリがありませんし、そうしたあまりに痛ましい例が現実に世の中にいくらでもあることが伝わればそれで目的は果たされますので、あまり具体例には言及しないでおきたいと思います。重要なのは、そうしたケースがこの日本にもいくらでも存在し、その実例に自分が現に立ち会ったことを知っていただくことだと考えています。)

 

死後硬直がどのようなものか、死斑とはどのようなものか、生体反応とは何か、腐敗した死体の変化がどのようなものか、といった点を具体的に学びましたし、実際に自分で「死亡推定時刻」を割り出す計算をすることもありました。

 

【授業の進め方】

 

この授業では、最初の1回目の講義の時に、「人の死を直視することになるので、最初の授業で耐えられない人は受講を辞退するように」と説明され、その最初の授業では、異常ケースではない、ある意味典型的な犯罪で亡くなった方のご遺体の写真に基づいて、概括的な説明がなされました。

 

実際に見ているのは「写真」とはいえ、現に亡くなった方の姿が克明に写され、そしてその方が「他人の手にかかって亡くなったのだ」という「本当の現実」を目の当たりにした時の衝撃は強く、最初の1回目は、私は本当に足が少し震えたことをよく覚えています。

 

その後、この法医学の講義では、1コマ1コマごとに、「今回は焼死」、「今回は凍死」というように、毎回違った死因ごと、上に書いたような実に様々な死因ごとに分けて講義がなされ、実際にそれぞれ死因で亡くなったご遺体の大量の写真に基づき、その死因によるご遺体の状況や特徴、その死因により人が絶命に至るプロセスなどが詳細かつ徹底的に、しかもすごいスピードで淡々と説明されていきました。

実際に司法解剖にも立ち会い、大学院修了後の司法修習中の検察庁においても司法解剖に立ち会いました。

 

このようにして、私は法医学の授業を通じて文字通りすさまじい数の「人の死」を目にするとともにその詳細を知りました。

こうした特殊な経験は、その後の私の「人生観」・「神についての考え」に、言うまでもなく多大な影響を及ぼしました。こうした場面に立ち会った際に、まずは「人として」自分が何を感じ、何を考えたかについて、次回書きたいと思います。