左脳と右脳 | フラクタルの森 玄明 陰陽学  

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陶芸を生業として独自の陰陽学で情報を発信しています

人は、何かを考えるときに、左脳的な思考と、右脳的な思考をクロスさせて考えているようです

「左脳」は、論理的な思考を管理し、言語や計算を担当すると言われていますが、フラクタルの森では、これを陰陽に整理し
5W2Hの、「なにを、なぜ」が右脳的(陰)であり
「どのようにして、どうしたい(どうなった)」が左脳的(陽)だと考えています
どうやら、この辺がフラクタルの森の特徴でしょう

 

 

情報を正しく伝えるためにも、正しく把握し、正しく認識するためにも
この5W2Hを細かく押さえるべきです
しかし、いつ、どこで、だれがという内容も表面的なことしか入れていません
何時何分、どの場所で、誰それが、ということしか入れて考えないでしょう
その表面的な情報も大切ですが、その時間、空間、人間に関する情報には深遠なものも有るはずです
図表に有るように認識している世界の前提が違うと、その後に来るものも違ってきます
一番違ってくるものは何かというと「なぜ」の所です

世界観が左側の無神論、唯物論の世界観なら、この何故に入るもの、その動機は結果に入るものと同じになります
何故行動するのかと言えば結果が欲しくてということになります
ここには右脳的な感覚思考が入るべきなのに、左脳的な論理的な帰結の成果が入ることになります
これでは、右脳は働きを止め左脳だけで考えていることになるでしょう

右左脳は左右の目とクロスして無限大マークのようにつながっている
左脳的な所しか活用していなければ視覚的にも影響が有り、
唯物論、無神論では、物事を立体的に見れないということになる
距離感を図るにしても両方が機能しなければムリです

何故、成果を求めるのか
何故、有名校に入り、何故有名企業に入りたいのか
何故、良い成績をとりたいのか
なぜ、高給取りになりたいのか
なぜ、稼ぎたいのか


この「なぜ」に結果しか入っていないとするなら片目でしか見て考えていないということです
結局、どんなに学力優秀で頭の切れが良かったとしても、片目で人世航路を進んでいくなら事故が頻繁に起こるでしょう

なぜの中には、与える愛に関するモノが必ず必要です
成果を手に入れられたという喜びは浅薄なものです
成果は、役に立つことが出来たという喜びの結果であり
成果の奥には、自己の存在意義とも深く関わるものが有ります

右脳で考えるべきことは、感覚的な事と言え、悟りと深く関係しています