宮沢賢治の想い 3
賢治さんを有名にならしめた代表作である
通称「雨ニモマケズ」についての解説の続きです。
この詩のような作品は、
実はもともと作品として書かれたものではなく
賢治さん自身の自分の「想い」
そのものをしたためたものである
ということを昨日解説しました。
こういう生き方をしたい
という、自分の理想の姿を想い描いた言葉なのです。
☆ ☆ ☆
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも 夏の暑さにも負けず
丈夫な身体をもち
欲はなく
決して 威張らず
いつも静かに 笑っている
☆ ☆ ☆
まず
ここまでが、一般的に取り上げられる箇所です。
ここでの注目ポイントは、
丈夫な身体、すなわち病気にならない
健康な身体があれば、他に欲はいらない、
と言っていることですね。
そして、それがあれば
威張ることもなく、静かに笑っていけばいい。
それで、自分は幸せではないか。
と、いうことを伝えています。
これ、まる◎さん自身の、
母の実家にいる、
おじぃちゃんやおばぁちゃんが
そういう人でした。
母の実家は300年も続く農家です。
まる◎さんが理想の人と思い描く人物像の一人に
98歳で亡くなった、ひいおじぃちゃんがいますが
亡くなる前日まで自筆で日記を書き
最後の一ページには
「今日も元気で生きられた。感謝いたします」
と、書いてありました。
そして、眠るようになくなりました。
ひぃおじぃちゃんが怒ったところは
一度も記憶にありません。
いつもニコニコ静かに笑っていて
田んぼと、りんごの畑と、
乳牛の世話を毎日していました。
後から聞いた話によると
若い頃は密教に傾倒し
滝に打たれる修行をしていたそうです。
だから、お前も滝に打たれたのか
ひっこさんの血をひいたのかもしんねぇなぁ
と、おじさんに言われました。
こどもの時は、
それが幸せなのかどうかわかりませんでしたが
今では、こういう生き方が、
実はとても豊かなことであるのがわかります。
友人に無農薬でアートテン農法を営んでいる
染谷さんという方がいますが、
純朴そのもので、おんなじイメージですね。
だから、応援したいと思っています。
☆ ☆ ☆
でも、賢治さんの素晴らしいところは
この次なのです。
☆ ☆ ☆
東に病気の子供あれば
行ッテ、看病してやり
西に疲れた母あれば
行ッテ、その稲の束を(背)おい
南に死にそうな人あれば
行ッテ、怖がらなくていいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
行ッテ、つまらないからやめろと言い
日照りの時は 涙を流し
寒さの時は オロオロ歩き
みんなに デクノボーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういう者に
私は なりたい
☆ ☆ ☆
この、
困っている人がいると知ったら
そこにかけつけて、
自分ができる範囲でなんとかしたい
という気持ち。
ところが、
その後に続く言葉をみればわかりますが
たいして力になれないかもしれない
ことを自分で知っていて
だから、涙を流したり、オロオロしたりする。
一般的に、普通はみんな
他人のことを心配する前に、
自分のことをしっかりしろや
といい、
たいして役にもたたないことで
気をもむな
と言う。
でも、きっと賢治さんは
自分は役にたたないかもしんないけど
困っている人がいたら、
なんとかしたいと思ってるんだ。
だから、おらは「でくのぼー」なんだ。
それでも、いい。
そう、言っているんですよ。
ボクには、それが痛いほどにわかるのです。
なぜならボクも、そうだから。
☆ ☆ ☆
世の中を
「善循環」にしたい。
という想いは、まる◎さんにとって
本当の想い。
自分は、企画屋で、
プロデューサーでもあるから
ちょっとかっこもつけて、
大風呂敷を広げていますが
本当のところを言えば
賢治さんの「デクノボー」と、
さしてかわりません。
というか、「デクノボー」の方が
もっともっと純粋な気持ちで生きるのでしょうから
その域に達するのは、
まだまだだなぁ、と思います。
☆ ☆ ☆
最後に
この「雨ニモマケズ」の最後のフレーズが
書かれた頁の
隣の頁を見てください。
南無妙法蓮華経
の文字がしたためられています。
この南無妙法蓮華経が、
この手帳には
他にもたくさん書かれているのです。
南無妙法蓮華経とは
釈尊が説いた宇宙の法則なのですが、
この中に、実は、
天のルールが詰まっています。
そして、賢治さんが捉えた、
この天のルールと
「雨ニモマケズ」に込められた精神は、
共通することがあるのです。
どういうことか、というと
本当の幸せに到達するためには
自分がニコニコしていればいいだけなのではなく
誰かのためになることをしているか?
という問いかけがあるのです。
それが重要なポイントなんですね。
詳しくは、また明日。