「雨ニモマケズ」にの謎 1 | 運の良い人・まる◎さんの感動日記

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宮沢賢治の想い 2

今日は賢治を有名にならしめた代表作である
通称「雨ニモマケズ」について解説をします。


なんと、まる◎さんは、この遺作が
書かれていた手帳の完全レプリカを
手にいれることができました !!











遺族であり、宮沢賢治さんの遺品を管理している
宮沢和樹さんが
生誕120年を記念して完全復興させた
限定品のレプリカを購入することができたのです!!
これは、お宝です !!


見つけた時は、それはもう、興奮しましたよぉぉ!!
この手帳を見るとよくわかるのですが、


まずは、
「雨ニモマケズ」とは
賢治さんが愛用しもっとも大切にしていた
極プライベートな手帳に書き記された
独り言のようなものだったのです。
和樹さんの解説によると、
賢治さんが残したものは大きく三つに分かれ
「童話」「詩、歌・曲」「メモ」だそうです。


のちに作品として発表しようと意図していたものは、
すべて原稿用紙に書かれたもので
この手帳に書いたものは、
発表する意思のなかった、
プライベートな想いの断片であった、
ということなんです。


この手帳は、遺書と共に弟である清六さんに
渡された遺品の一つ。
大切にしていた鞄の裏蓋の中に入っていた
小さな手帳だったのです。


その手帳を見つけた清六さんが、
賢治さんの善き理解者であった作家仲間の
高村光太郎さんに見せた。
すると、光太郎さんが、
これはたいへんな作品だ。
発表しなければもったいない。
と、清六さんを説得し、
世の中に発表したものだったのです。
ですから、


「雨ニモマケズ」とは、
後につけられたタイトルであって
当初はメモ書きの頭に
「11.3」と日付が記されていたことから
「11.3」というタイトルで発表されたそうなのです。
まずは、次に、この全文を紹介します。





☆ ☆ ☆

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ


☆ ☆ ☆


清六さんが、この詩(?)を読み解いた時、
もっとも大切なポイントは

「行ッテ」という箇所であるとしています。


東に、病気の子供あれば
行ッテ、看病してやり

西に、疲れた母あれば
行ッテ、その稲の束を負い

南に、死にそうな人あれば
行ッテ、怖がらなくていいと言い

北に、喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い


北の部分には「行ッテ」が
書いていないように見えますが
手帳を見ればわかるとおり、
この文字だけは赤えんぴつで
別に記されているので、
本来は北にも書いたはずだと解釈されます。


賢治さんは、
あれこれ指示をしたり、
批判や批評をするのではなく
実際に自分の身を運んで、
自ら困った人を助ける、
自分自身が行動することを
もっとも大切なことである
としたのです。


まる◎さんが、常々
「スピ系」は、真のスピリチュアルじゃない、
と言っているのと
通じる部分です。


祈るだけ、
精神だけでは
本当のスピリチュアルの進化にはつながらなくて
肉体を大切にすること
日常生活を大切にしていくことこそが、
重要だと思うのです。


自分だけが良くなればいいのではなくて
自分を取り巻く周りの人が善くなることに
心を配らなくては
本当のスピリチュアルの進化はない
と思うのです。


「雨ニモマケズ」については
まだまだ語るべくことがありますので
この続きは、また明日。