春からの振り返り4 | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

続きを書きます

 
「遠くに行くのか?」
 
「そうやね、せっかく長い休みやからね」
 
「海外か?」
 
「そうやね」
 
そんな会話を
何日もかけて繰り返しながら
 
観光は現地4泊やけど観光ができるのは3日間、
往復に1日ずつ
行き先もちゃんと伝えましたが
あまり興味はなさそうで
とりあえず私と主人が母をおいて
どこかに行くということが
気になるようでした
 
母も覚悟を決めたのか、
あんまりヤイヤイ言わず
日が近づいてきました
 
何度も行く日がすぐのように確認されて
「いや、まだまだ、来週の後半や」みたいな
会話が繰り返されましたが、
行けるのならばと、余裕で答えることが
できました
母を連れずに、こんなに長く出かけることは
近居になった30年前以来始めてです
 
でも、春先からずっと
私自身が不調で
ひたすら休みたい休みたい
と思いながら過ごしていました
 
実際、どこかへ行きたいという気持ちより
母から離れたい
というのがホンネで
 
この歳になって言うのも恥ずかしいけれど
罪悪感なく
母をおいて出ること
 
自分で決めたことを決行する
ということが
一番大きな目的でした
 
母が家で過ごす間、
母やお世話する人が困らないように
家の段取りを整えつつ
 
やっと自分自身も旅行の準備に
取りかかる気力が出てきました
 
出発の朝は成田まで新幹線移動で
早朝に出なくてはなりません
 
できれば母の寝ている間に出たいと思い
前日の夜に
「明日はとても早いからね。
Sさんが来たら朝ご飯してもらって。
もしそれまでに目が覚めてお腹がすいたら食べれるように
パンとコーヒーも置いておくから」
 
母の部屋には小さい保冷庫が置いてあって
毎晩、保冷庫にはお変わりのお茶と
朝のコーヒー、すぐに食べれるように果物を入れておくのです
 
そのときは
「わかった。
朝からバタバタしたら余計ややこしいから寝とくわ。」
と言ってくれたのですが、
 
案の定、夜中から起き出して
なにやらゴソゴソと動き
おまけに小の失敗までしてくれました
 
遅くまで自分と家の準備をしていた私は
早朝から起こされて
そのまま出発となりました
 
主人と長男、長女は
長男が大学に入ったときに一度海外に連れて行っています
 
今回はその時にいけなかった
次男を連れていきました
 
旅行に行っても入院していても
しょっちゅう母からは電話がかかってきますが
今回は海外だからかからない
 
用があればSさんや子供(孫)に言って
LINEして貰って
と伝えておきました
 
理解出来ないかもしれませんが
電話には出ないという意思表示でした
 
そうやって振り切って出かけて
母の様子を確認しながら旅行を楽しみ
今から帰りの空港に向かうと言う朝
 
「昨日、車椅子に乗ったまま
洗濯物を拾おうとして捻ったときに
足の付け根を痛められたみたいで・・・」と
連絡が入りました
 
すぐに娘にも連絡をしましたが
痛がってはいるけど
トイレも介助したらいけてるから
大丈夫と思うとのことで
ひと安心していました
 
帰って様子を見ると
立とうとすると痛みが有るものの
さほどひどいようには思えませんでした
 
まだGWの真っ最中だし、
とりあえず様子見と言うことにしましたが
帰るなり手の掛かる状態になってしまいました
 
でも時間が経つにつれてトイレに立たせるのも
痛みがひどくて一苦労となり
手術をした病院に連絡を取り
救急外来で診てもらうことになりました
 
その結果、一昨年手術した人工骨頭の中のボールが
ずれていることが判明しました
 
そんな症例診たことが無い
とのことで
人工骨頭の不具合かと思われたのですが
 
手術の結果、そのものに損傷も無く
なんで外れたのかは不明でした
 
続きます