13年は一言で語れない!Vol 8
出産後~編
出産1日目の朝、息が少し熱いなと思ったら微熱。
あと、目を開けると天井がグルグルして目が開けれない。
こ、こりは・・・貧血?!
あかんわ!気分が・・・悪っ!
ちょうど朝の検温に看護婦さんがきたので症状を話すと、後でタラコ先生を呼んでくるとの事。
たぶん、自分でも貧血だろうとは思いながらも、ちびっと不安。
すぐさま、タラコ先生がとんできてくれて脈拍や血圧や心音など色々、色々、etc.
結局、貧血。
お昼には尿道に入れてるカテーテルもはずすとのことだったけど、貧血で起き上がれないなら明日までいれとこうってことになり、このままの状態でベッドにつながれることになっちゃいました。
でっ!赤ちゃんは元気なのかと・・・?
なーんも、言ってくれないままタラコ先生達はバタバタとお部屋をでていっちゃったから訊けなかった・・・
人数不足の病院だから朝の検温とか色々で忙しいのよね・・・
ここの病院は悪阻で入院してる当時からも人手不足。
それが、この数ヶ月でさらに悪化。
当直がとうとう2人になり、1人のときもっていう始末・・・
当直が一人!!って・・・
ありえないっ!!!
タラコ先生が良かったからここの病院で出産をしようと決めたけど、この現状の酷さは流石にまいりました。
あとあと、この現状を後悔する事になろうとはこの時はまだ思いもしなかったんだけどね。
これから出産をひかえている方に忠告です!!
先生だけではなく、繁盛している病院を選びましょう!!
看護婦人数、助産婦人数、産婦人科医の人数も要チェックです!!
この忠告はこの先のブログにておわかりになると思います。
続きは次回。
んじゃ、またぁ。
13年は一言で語れない!Vol7
出産後当日編
病室に戻ったとたん、どうやらまた、意識がなくなったようで気づくと側に母がいた。
旦那は生まれたての赤ちゃんを抱かせてもらい、それにとても満足したようで、とっとと仕事に戻っていったらしい。
ああ~腰が痛い。
横に向きを変えたいけど、まだ麻酔が効いてて動けない(-。-;)
足は寝たきりで動脈瘤ができるのを防ぐために、すごくきついスパッツで締め付けていて、太ももあたりからジンジンしてる・・・これ・・・こんな感じでOKなの??
少し麻酔が切れかけていて、つま先あたりだけが完全に麻痺しててすごくキモイ。
麻酔が完全に切れたら、お腹が痛むんだろうなぁ・・・やだなぁ・・・なんて考えながら、喉がすごく渇いてるので母に水をくれとせがみ、
『ゴキュゴキュ!ぷはぁ~』
と飲んだ瞬間、看護婦さんがきて
『ああああっ~~~!!』
すっごい大きな声で叫ぶから(⌒▽⌒;) 心臓が飛び出るくらいオッドロキました。
ん・・・ダメだ・・・った・・・・??
・・・・・。(; ̄ー ̄川 アセアセ
術後、12時間は水分をとらないようにという事で、その説明をしに私の病室へきたらしかった。
そんなの手術前にいってくれないとぉ・・・ねぇ・・・
もう、飲んじゃったし・・・
今日と明日はこのままの状態で明後日から歩行しても良いとの事。
トイレはカテーテル通してあってベッド横に吊り下げてある尿袋がみえてるのがすっごく
ヾ(≧へ≦)〃ヤメテェッってミナイデッ!と恥ずかしかったです。
両親も帰った数時間後、麻酔が完全に切れたと見えて
ジワジワッっと痛みが襲ってきた。でも、これが、案外耐えれる痛み。
あら?こんなもの?みたいな(笑)
痛いながらも結構眠れましたよ。
続きは次回。
んじゃ、またぁ。
13年は一言で語れない!出産②Vol6
出産編②
ついに私の番に・・・(@Д@;
もう、まな板の上の鯉ですわぁ。
手術台の上にあがると看護婦さんが
『有線チャンネル好きなのをを選んで~』
ってことで選んだチャンネルは超ハードロック!!
『('〇';)あっ!!ちょっと( ;´Д`)まって! やっぱり、違うチャンネルにします。』
私の趣味で選んだけど、先生達が不快に思ったら変なとこきられてU>ω<)ノ ・・・なんて小市民の私は考えちゃいました。
で、選んだチャンネルは普通のPOPSチャンネル
Y看護婦 『まるーくまるーく、できるだけまるーくなってくださぁーぃ♪鼻から空気を吸って口からゆっくりはいてぇ~くださぁーぃ♪』
この看護婦さん、楽しそうな言い方だなぁ・・・こっちは心臓がドクドクしてるっちゅうのにっ!
硬膜外麻酔は子供の頃の盲腸時に味わったけど、確か針を入れる瞬間が痛かったような・・・記憶が・・・
サマンサ
『うがっ!すぅ~ふぅ・・・ふぅ・・・』
やっぱり、痛かった はひぃ~~
数分もせず、麻酔が効いてきて頭もなんとなぁーくボーーー (*'ρ'*)ってしてきた。
あっ!そうだったっ!
わたし・・・まずい・・・かも( ̄ー ̄;
むかし、麻酔が効きすぎたのと血圧が急降下して死に掛けたんだったわぁ。
わすれてた・・・
子供の時の事だからすっかり忘れてた・・・どうしよ・・・ってか、もう、遅いよね・・・(゜_゜i)タラー・・・
(ノ_-;)ハア…
なるようになるさぁ~(T▽T)アハハ!
じーっと上のライトの金属部分を見ていたら生々しい映像が・・・
あんまり見たくないから目を瞑ったらグルグルするの。
こりゃ、まずい!
看護婦が血圧を測っててわかったみたいで周りがあわただしくバタバタと動いた。
この時、自分で暗示にかけるように、ガンバレッ!ガンバレッ!大丈夫!!って心の中で呟いていた。
先生が何かを何CCとかなんか言ってる。
わたし、まずいのん?(´Д`;)
そういってる間に
A助産婦 『はい!!!お母さん!!!見てみて!!!!赤ちゃんがでてきますよっ!!!!』
へ????!!!!!
見ると、さっきまでお腹の辺りで私に見えないように仕切られてたカーテンが取られてて、生々しいお腹が見えたそこに先生の手が入ってて・・・ズルッっと腸がもっていかれる感じがしたとたん・・・
マニトウゥ~~!!!!!
・・・・じゃなく・・・赤ちゃんが取り出された。
ああ~!!( ;∀;) 感動
すぐさまA助産婦さんが赤ちゃんの口にチューブをいれて吸い出すと、
ふんぎゃぁ~~~!と元気よく泣き出した。
私の胸に赤ちゃんを置いて見せてくれた時は麻酔が聞いてグルグルしてる頭もスッキリしてるように思えたわ(爆)。
そのときに助産婦さんに
『指、指!!足、足!!!』と叫んでた記憶が(笑)
助産婦さんも何???って思わず、ちゃんと『五体満足ですよ大丈夫』と答えてくれて
安心しちゃったからなのか、急に目の前が真っ暗になって意識を失っていた。
Σ(〃゜ o ゜〃) ハッ!!っと気がつくと安静室の寝台の上で
先生はおろか、看護婦さんも誰もいない。
(≡д≡) ひとり・・・?
急に赤ん坊の心臓とかはどうだったのか気になりだし、起き上がれないのに起き上がろうとアクセク。
しばらくすると、看護婦さんがきてくれて病室へ移動。
移動中、廊下の片隅に両親の顔が見えて驚いたわぁ。
前日に、実家に電話をいれ、帝王切開になるかも?っていう報告と、脊椎骨折してる母に
『心配しないで大丈夫だからこないでいいよ』って言ったのに、父に連れられてきてくれてた。
ママ、パパ、ありがとう
旦那も珍しく、手術室に入る前に病室に顔をだして、『頑張ってナ!』などど言ってたし。
やっぱ、出産って家族の一大イベントなのねぇ~
続きは次回。
んじゃ、またぁ。
13年は一言で語れない!出産① Vol5
出産当日
前日に聞いた訃報と、赤ちゃんの心音異常の心配で朝まで熟睡できず。
ちょうどトイレに起きたら廊下を早足で先生がこっちに向かい歩いてくる。
タラコ先生
『一晩、考えさせていただきました結果、赤ちゃんを最優先で帝王切開をさせていただきます。』とのこと。
万が一の喘息発作に備え、喘息用の点滴なども準備してのオペになるとの説明だった。
赤ちゃんも万が一(心音微弱)のことを踏まえ、心臓専門医に待機してもらってるらしい。
色々、説明を受けているうち、本当にこの病院を選んで良かったなぁ・・・って思いました。
いや、、、病院を選んだんじゃなく、先生を選んだのだったわ。
そう。そう。
だってね、ここの病院は総合病院なんだけど、人数不足ですっごく悲惨。
設備もイマイチだし。
酷いのは看護婦さんの勤務状態。
昨日から当直で朝方まで仕事をしていた看護婦が、夕方から出勤とか当たり前。
ひどいときは当直が1日おき・・・( ̄Д ̄;;
なんせ、悪阻で2ヶ月近く住んでたもんだから、内部事情はかなり詳しかったりするのよね(笑)
でもね、人数が少ないからなんだけど、アットホームって感じだったのは良かったですよぉー
しかし、、、病院としてはダメ!! ゛o(≧◇≦*)oo(*≧◇≦)o″ダメ!!なのよねぇ・・・(苦笑)
そして・・・ちょとびびったのが産科病棟の廊下をアコーディオンカーテンで隔てて隣は精神科・・・
これが、また、微妙・・・( ̄_ ̄ i)
フラフラと精神科の患者さんが入ってきたりして・・・
赤ちゃんのいる部屋には鍵がかかってるから時間外は看護婦さんしか入れないんやけど、なんせ、精神を病んでる人達だから結構危険みたいで・・・
以前、赤ちゃんの部屋で精神科の患者さんが発見されたことがあるらしい。
それでも、私はこの先生を選んでここで出産をしようと決めたの。
ここには産婦人科の先生が3人いるだけだし、たぶん、一番したっぱ?だからなのかも・・・だけど、
毎晩、遅くまで病棟で仕事をして朝早くには出勤。
それだけではなく、それ以上に、この先生には心があるように感じたんですよね。
あと、何よりも出産をする決め手になったのが、必ず朝と消灯前に患者さんの元にやってきて問診をして安心感を与えてくれる。
先生自身もお子さんが生まれたばかりで旦那といえども何かと大変な時期だったろうに、それでも、一生懸命な姿が何よりも好感がもてた。
やっぱりね、信頼?っていうか、患者に安心感を与えてくれる事はすごく大切だと思いますね。
患者は命をあずけるんだもん、それはそうでしょ。
今回、残念ながら腹切りしなくちゃいけなかったけど、それも、この先生だからあんまり怖くなかったよ。
実はすっごい怖がりで、注射もいまだにドキドキします(笑)
あんまり怖くないっていっても、怖いことには違いなく・・・手術室の部屋に入ったら、流石に吐きそうなくらいドキドキしてきちゃって間違いなく血圧が上がっていたはずです!
私の前にも帝王切開の患者さんがいてて、しばらく処置室で待たされたんだけど、ここが寒いのなんのって
((;゚Д゚)ガクガクブルブル
寒いやら、怖いやらで(@Д@; アセアセ・・・
で、とうとう、、、私の番。
続きは次回。
んじゃ、またぁ。
13年は一言で語れない!出産前夜 Vol 4
出産~編
病院で突然の訃報を聞いて、お腹の張りが治まらないのが不安だった。
そのとき、赤ちゃんの心拍数を計る計器をつけていて、お腹の張りが来るたびにアラームがなる。
あと、デジタル数がモニター画面にでていて、赤ちゃんの心拍数かな??すごく乱れてたの。
看護婦さんが神妙な顔をしてデーターをみてた。
思わず 『なんだろ・・・不安。』 と独り言をつぶやいちゃった。
その独り言に太陽が気づき、眠そうな目で心配そうにこっちを見ている。
計測はかなり長く、すでに1時間が経過していて、
側で漫画を読んで待っていてくれてる太陽がお腹をすかせているだろうなぁ・・・ってとても気になり、病院の売店で何か買ってくるように言った瞬間、お腹に激痛がはしった。
うなる私を見て、太陽は瞬間に走り出し、看護婦さんを呼びにいってくれていた。
その太陽の姿を見て息子の成長と頼もしさに私は涙が溢れ出していたの。
戻ってきた太陽は私の背中をさすりながら、『大丈夫?ママ?痛いの?』
痛みの不安よりも、太陽の優しさと、まだまだ幼いけどたくましい面と、私を心からいたわってくれてる姿が何よりも嬉しかったな~。
数分後、助産婦さんがやってきて再度先生の診察をするように言われた。
歩くとお腹が張るからといって車椅子をもってきてくれたんだけど、これがまた、操縦がむずかしくて・・・
あっちこっち蛇行運転(笑)
結局、太陽におしてもらう羽目に
診察室に行くとタラコ先生がデーターを見つめながらこういった。
『お腹の張りが来るたび、赤ちゃんの心拍数が下がる
のと羊水が少なくなってきているので、このまま予定日まで赤ちゃんがお腹にいるより、早く外に出してあげるほうがいいと思います。ただ・・・
陣痛に赤ちゃんが耐えれるかどうかなんです・・・。』
(゜◇゜)~ガーン
サマンサ
『陣痛に耐えれるかどうかって・・・赤ちゃん・・・心臓でも悪いの?( ̄Д ̄;;
なんで?ねぇ?どうして?』
私の矢継ぎ早の質問に
タラコ先生
『大丈夫!心配しないで!大丈夫だからっ!少々、お腹が赤ちゃんのサイズに合わなくなってるだけだから。』
そういえば、9ヶ月頃から赤ちゃんが大きくなっていないし・・・本当に大丈夫なんだろうか・・・と益々、不安に陥っていった。
タラコ先生 『12年ぶりの妊娠だし、少し高齢出産になってるから子宮の伸縮が悪くなっていて、 赤ちゃんがお腹の中で動きづらくなってる事でストレスを感じて、心拍数も弱くなってるのかな?って思いますんで、そんなに心配しないで!』
ん~なんか、説得力にかけるんだけど・・・。
仕方ないよね。
今は、無事で生まれてくれることだけ考えよう。
で?陣痛に耐えれそうにないなら・・・帝王切開??
うはぁ~(@Д@;
ちょっと、怖いなぁ~(^▽^;)
盲腸以来、お腹にメスなんかいれてないし・・・。
でも、赤ちゃんがそのほうがいいんじゃないかなぁ・・・って気がして、先生に尋ねてみたところ、、、、
タラコ先生
『出来る限り、自然分娩をしたいのですが・・・申し訳ありませんが、今日1日、考えさせてください』
へ?なんで考えるの?どしてぇー?(^▽^;)と素朴な疑問を投げかけた。
すると、私は持病に喘息があり、麻酔で発作がおきないとも限らないってことと、お腹にメスをいれて悪いところを取るのではなく、女性の大切な子宮にメスをいれると子宮と腸管の癒着がおこったり、色々な弊害がおこりうるという理由だった。
サマンサ
『赤ちゃんに一番負担がかからないように出産したいのでよろしくお願いします。』
タラコ先生
『もちろん、どちらの体にも負担が少なくすみそうな方法で出産を考えましょう。』
後で病室に来た看護婦さんが言う話によると、私の担当医は極力、帝王切開をしないひとで有名らしい。
それは、もちろん、いい意味でなんだけどね。
その日の晩、旦那が太陽を迎えに来てくれて、病院のベッドで一人になると、すごく弱気な私がそこにいた。
続きは次回。
んじゃ、またぁ♪
13年は一言で語れない! Vol 3
簡略!妊娠後の生活編
辛い入院生活もおわり、自宅療養へ入った私はこれから出産をひかえている幸せ一杯の妊婦ではなく、
ただただ、灰色の生活に不安を抱き、途方にくれる毎日だったの。
しっかし、こういう時ってなぜか宗教勧誘いっぱいくるのよね(-"-;A ...
なーんにも言ってないのに勧誘がくるっていうのは・・・
私の心の叫びが聞こえてるのでしょうか??(ぇ
って。。。ちょっと、思ったり。
子供の頃からデジャブをみたり、いわゆるアッチ系の感が強いらしいので何かを引き寄せてるのかもね~(笑)
ま、それはさておき、退院後、妊娠中のブルーデイなんかじゃなくて本当にかなり深刻な結婚生活に絶望していたんだよね。
でも、お腹の赤ちゃんに良くないからって思って、なるだけ煩わしい事を考えないように努めていたつもり。
うちにはその頃、太陽と母親がひらってきたネコが2匹いててこの子達が私の精神面をものすごく支えてくれた。
以前の事故のときもこのネコ達に支えられたけど、本当に癒されるってこんな事だったんだぁ~って実感。
私が泣いていると2匹ともそばに来てスリスリヽヽ(* ̄- ̄)( ̄- ̄*)ノノスリスリ、頬をつたう涙をザラザラの舌でペロペロしてくれるから、ザラザラ舌の感覚に笑いがこみ上げてしまって泣いているのに大笑いしちゃう。
私が『グハッグハッ!ヒッヒッ!ヒッーー!ヒャッヒャッ!!』て大笑いしてると不思議そうな顔をして私の顔を覗き込む。
特に♀ネコちゃぁはヘ(゜◇、゜)ノ ほへ~???って感じで私を見てて、そのちゃぁの様子を見たら、また、大笑い。
ホント、癒されたわぁ。
こういう繰り返しの毎日を送って、ようやく臨月に突入。
赤ちゃんの性別も男とわかり、実は少しがっかりはしたものの、生まれてくる日が楽しみで仕方なかった。
この時期、息子の太陽は夏休みにはいっていて1週間に一度の検診には必ず付き添ってくれていた
太陽はこのとき小学六年生で少し女親を嫌がる年頃に達していたのに、いやな顔ひとつせず、
漫画持参(笑)でそばにずっとついていてくれて、ホント、安心感がドドッって湧き上がったなぁ。
ちなみに、旦那は一度も付き添ったことなどない。
ここまで、お腹の赤ちゃんは小さいながらも順調できてたんだけど、9ヶ月からこの臨月まで成長してないことが判明。
元気ではあるけども、少し心配で早めに入院することになったんだけど・・・。
また旦那が嫌がらせを言うような気がして早めの入院が辛かったわぁ。
入院当日、赤ちゃんの父親のごとく付き添ってくれてる太陽の様子が何かおかしい・・・。
暗い顔というか・・・おとなしくてあまり口を訊かない。
なんでだろ??
『どうしたん?頭でも痛いの?なんか、元気ないけどぉ?』って私が訊ねると、
『ん~』としか言わない・・・。
ん・・・・なんでだろ・・・??
病室に上がる直前、ようやく重い口をひらき、太陽が話し出した。
太陽 『ママに心配かけてお腹の赤ちゃんに障るとあかんから言わんとけって あーちゃんから 言われたけど。。。言っとくわぁ・・・。実は今朝、ママの知り合いの人が亡くなったっていう電話がかかってきてん・・・』
Σ(・ω・ノ)ノ!はあぁっ?!
ちょ、ちょ、、、なんて???
いま、なんて?
私 『ちょ、誰????誰が??名前は???』
太陽 『んっと・・・北○さんて人からの電話で、源○って人が死んだらしい。』
Σ( ̄□ ̄ || 〒 ||そんなアホナ!!!!ありえへんっ!!!
まさか・・・まじで??
電話をくれた人は亡くなった人の親友で、二人とも私が15歳の頃に某プロダクションで芸能活動をしていた頃の仲間だった。
源○君は1年半前に久しぶりに会って大阪のHITCでご飯を一緒に食べて、
『お互い、また、音楽を諦めずに頑張ろうね!』って約束をかわした。
そのとき、私は彼からある告白をされた。
源○ 『僕、実は癌やってん。もう、治ったけどな(*^-^)』
笑って明るく言ってのける彼に驚く私・・・。言葉がでなかった。
胆嚢癌?だったか・・・あまりに衝撃が大きすぎて、その時に病名を聞き返すことすら出来なくって・・・よくわからなかったけど(^▽^;)
とにかく、彼は癌だった、そして、克服したのだと・・・私に報告したんだから死ぬわけがないよね。
そして、その時、一緒に約束をした事は、私が曲を書きそれを二人で歌ってインディーズでもいいから1からもう一度夢を追いかけようって。
それから何度か電話連絡をして私も曲を書き始めた。
そして、私が妊娠したことによって一時中断。
待ってくれているはずだった・・・はずだったのに・・・。
私は自分を責めた。
妊娠なんか望んでなければ随分前には曲を書き上げて彼とCDをつくっているはず。
出産前に、、、それも病院で聞いた訃報。
確認することもできず、誰かに連絡を取ることも出来ず。
ただただ・・・頭が真っ白けで心臓がバクバクし、赤ちゃんのいるお腹が急激に張ってキンキンになっていったのが怖かった。
彼は・・・私のファーストキスの相手であり、淡い初恋の人だった。
東京からタレントの仕事に疲れ、大阪に帰ってきた私を新大阪の駅で無言で出迎え、自宅までタクシーで送ってくれたこともあった。
私にとって憧れであり、私には常に誠実な人でいてくれた。
恋人とは呼べない、でも、友達でもない、お兄ちゃんのような・・・護ってくれている人。
太陽が私の顔が青ざめているのを見て泣き出しそうな辛い顔に変わり、
太陽 『ママ、大丈夫?お医者さん呼んでこようか?』って焦ってる。
ごめん、太陽、心配かけて。
続きは次回。
んじゃ、またぁ。
13年は一言で語れない!退院日 Vol2
退院日編と違う話
まるまる2ヶ月近く入院し、ようやく悪阻も軽くなってきたので退院が決まった。
でも、全く、悪阻がないわけではないのよね・・・。
自宅に戻ってご飯とか大丈夫かなぁ・・・作れるかどうか心配。
しっかし、太陽のときの悪阻とは比べ物にならないぐらい酷かったなぁ・・・。
妊娠って微妙に奇妙。
どうやら、毎回違ったりするらしいよね。
食べれるものとかも違うらしいし、吐き気が何で反応するのかも違うらしい。
なかなか、厄介。
全く悪阻がない人もいるらしいけど、こういう人は普通の生活と変わらなく過ごすから母体に負担をかけてしまい、流産しやすいっていうこともあるらしいし。
でも!!悪阻がないことに越したことはないと・・・切実に思う日々でした。(ノ_-。)
退院の日、荷物があるのと、まだまだふら付く私は一人で帰れず、珍しく旦那が迎えにきた。
入院中は日曜日しかこなかったから、顔をみるのは久しぶりぃ。
家に帰れるうれしさと、やっぱ、ムカついても旦那の顔をみるとホッとしたのよねぇ。
自宅に戻っても昼食は作れそうにないから、私が食べれそうなパスタを食べて帰ることに。
食事中、旦那は入院費のことで…( ̄。 ̄;)ブツブツ。
総額、17万円ほどかかったらしく、
『ほんま、もう、たのむわぁ。もう、やめてなっ。
親父に泣きついて、金、貸してもろたんやから。』
それでなくても悪阻が残っていて食がすすまないのに、
目の前でブツブツ言われるもんだから、余計に食べれなくなってほとんど残してしまったよ。
私が残したパスタを旦那は無言で自分の前に皿を引きづり、ジュルジュルと満足そうに食べてる顔が醜い豚に見えた。
私の入院前に倒れた母は、ようやく壁伝いには歩けるようになったらしく、私はその足で母の顔を見にいくことにした。
会いに行ってすっごくショックなことが発覚!
なんと!!母の背骨を触りながら見ると真ん中より少し下の骨が
あからさまに突出してるではないか!!!
Σ(=゜ω゜=;) マジ!?これって・・・おれてるんじゃぁ・・・???
私が母に、『これ、おれてるやん!!!!なんで手術してへんの?!』
すると母は、『ちゃんと隣の病院でレントゲンもとってもろたし、先生は折れてない、腰をひねっただけっていわはるんやもん』ってなぐあい。。。
だいたい母の側にいる父は何をしとるのやぁっっぁ!!!
ほんま・・・。
これ、素人の私が見ても、確実に折れてるのよね・・・。
上で昼寝をしている父を下から大声で呼び、
『パパ!!ママの背中、折れてるやんかっ!
はよぉ、違う病院へ連れて行ってちゃんと診てもらって!!』
本当にありえへん誤診ですわぁ。
違う病院で診てもらったら、案の定、脊椎の骨折。
時すでに遅しで、骨が違う形で固まりかけているらしくて治療には骨を柔らかくして整骨するらしい。
脊椎の手術は非常に難しく、年齢から考えて、しない方向で治療するらしかった。
私が悪阻じゃなかったらもっと早く気づいてあげれたのに・・・
その日の深夜、旦那に母の脊椎が折れていたことを報告すると、旦那は驚き、
『はぁ~、へぇ~、そんな誤診、あかんやろぉ~
訴えたら勝てるんちゃうかっ?!慰謝料いくらになるかな?』
旦那は当然のごとく、母の心配よりお金のことが気になっていたようだ。
いくらふんだくれるか、とか、医者相手に勝たれへんかな・・・とか。
独り言のようにブツブツ繰り返していた。
母の病状の今後のことより、お金の話。
私は旦那の反応に予想がついていたとはいえ、すっごく、むかついて、この時は殺意を抱いたなぁ。
なんせ、私が入院中、一度も母の見舞いになんかいったこともないらしく、この日も自分は仕事に戻るからと言って実家の前で私を降ろし、さっさと車を発進していったんだもの。
本当に、心のない人。
冷たいという表現では足らないわ。
旦那と結婚してからこの時期までにわかったことは、自分しか愛せない人。
結婚する前になんでわからなかったのかなぁ・・・私って馬鹿だ。
あと、人付き合いの常識?っていうか、私との価値観が違いすぎ。
これって・・・価値観じゃなく、絶対に常識がなってないと思うんよね。
以前、旦那が転職したてのときに、旦那が私に電話をしてきて、どうしても自分の仕事のノルマを手伝ってくれといったことがあり、私も手伝わなきゃいいのに、そのノルマに加担した。
私の地元に住んでるから旦那のいうノルマはすぐに数件達成でき旦那に報告。
旦那 『ありがと、ありがと。その調子で明日の分も3件ほど頼むわ~』
なぬっ!?その、軽い口調は、なんじゃっ?!
私 『そっちは何件できたん?』
旦那 『あはは~≧(´▽`)≦ ゼロですわぁ~』
ε-(ーдー)ハァ
ん、、、まぁ、転職したてやし・・・大目にみよか・・・ってこの時は諦め・・・。
後日、ノルマを手伝ったことをめちゃくちゃ後悔することになろうと思いもしなかったのでした。
知り合いに頭を下げ、その日の旦那のノルマを達成したけど、物品が当日には相手先には届けられず、日にちをおいて物品納品に。
なんと、この物品納品まで旦那は私にさせるべく、自宅に物品を持ち帰り。
旦那 『ちゃんとフォローしとってなー』
私 『ちょっと!!いい加減にしてよ~、
なんで物品まで私がもってかなあかんの??
自分の仕事やねんから自分が持っていって、先方にお礼を言うのが筋ちゃう?』
結局、自分は自分のエリアを回るのに忙しいとかなんとかで、中々持っていかれへんからと言い訳され、私が持っていくことに。
その後も旦那は先方に挨拶もいかず、そのまま放置です。
心ある知り合いが、私に忠告したことはいうまでもなく・・・ていう結末でした。
続きは次回。
んじゃ、またぁ。
プロローグ。私と子供へのモラハラ、鬱病、PTSD,借金、子供の発達障害、登校拒否、いじめ、病気。
前書き~(*´∇`*)
13年前、知り合った当時の旦那は短時間バイト君。
私はXイチ子持ちのクラヴ歌手。
最初からお金もない貧乏からのスタート。
愛があればっ!なんて思ってたけど現実はそうはいかず・・・。
2歳年下の旦那と別居してもう半年以上になるかなぁ~
何年も前から喧嘩が絶えず、ここ数年、笑ったことなんかないような気がする。
私が一人で子供二人をかかえて生活できるようになるまで頑張って耐えて我慢するつもりだったの。
ある日のこと、私が我慢してきた努力もむなしく、旦那のほうがあっさりと家出しちゃった
これにはしてやられたっ!って気がして本当にむかついた!
なんでこうなったのか?
それはね、きっと旦那だけが悪いんじゃないし私だけのせいでもないんよね。
全てがタイミング悪くこういう結果を招いたの。
そう、こう思って頑張ってきたつもり。
頑張ったけど、この13年間で旦那について????ってことばかり。
旦那は言葉の通じないモラハラ男だと気づいたときには私と子供の心は既に壊れていました。
旦那はなんと( ̄- ̄メ)チッっと舌で呪文を唱える舌打ち大魔王だったのです。
この13年間、本当に色々なことがありました
入籍と出産までの簡略
私は2度目の結婚で旦那は初婚。
当時、私には5歳になる息子の太陽がいて旦那とは連れ子再婚したの(*´∇`*)
プロポーズされてから1年後に入籍。
正直、血のつながらない子供に対しての旦那の愛情とかがすごく気になって中々再婚に踏み切れなかった。
プロポーズっていっても、バイト人生で貧乏な旦那は結婚指輪も何もない・・・モチロン結婚式を挙げるお金もなく・・・。
それも、踏み切れない理由のひとつでした。
生活力のない人と結婚するには勇気がいりました。
旦那は貯金も何もなかったのよ。
旦那いわく、私達と一緒に住む前は貯金が100万あったとショッチュウ言うけど・・・
なんですか?
私たちにそれを貢いだとでも?
結婚したといっても生活品も全てそろっている私達の家に身ひとつで転がり込んできたんだから、何も買う必要もなく・・・旦那の言う100万の行方は?
いずこへ消えたんでしょうか?!
入籍のきっかけは子供が小学校にあがることと、阪神淡路大震災にあって人生観の変化からケジメをつけようかな・・・って気持ちになって。
その頃、旦那は私たちの住むマンションに『押しかけ旦那』のごとく住み着いていたから子供にとっても宙ぶらりんなままじゃ申し訳なくって。
入籍してない頃に息子の太陽が旦那にむかって「パパ」って呼んだんです。
すると旦那が半笑いで「パパって呼ぶな」って言ったのが今から思えば、それが赤信号だったって事に何故気づかなかったんだろ・・・って。
馬鹿よね~(笑)
旦那が「パパって呼ぶな!」っていったのは入籍してないからって事じゃなく、子供に対して「パパ」って呼ばれたくない気持ちが出てるって事がわかんなかった(ノ_-。)
これぞ、後悔先に立たず!
旦那との結婚生活のなかで太陽への配慮がなさすぎなのが一番辛かったなぁ~。
子供は素直に父親としての旦那を求めてるのに、旦那はそれが理解できない人だったんです。
近所の友達がお父さんとキャッチボールしてるのを見て、父が気を利かせてグローブを買ってきたの。
それから数日過ぎて、太陽は旦那にキャッチボールしてほしいとは言えずにいたみたいだから、
私が『キャッチボールして遊んであげてよ』って言って初めて旦那が思い腰をあげ、太陽と二人でキャッチボールへ
でも、うちの太陽、超下手だったらしく・・・。
太陽は初めてのキャッチボールだったし、下手で当たり前だったと思うのよね?
それが、うちの旦那ときたら半分怒り顏で帰ってきて
旦那
『こいつ、ほんまどんくさいなぁ~!こんなドン臭い奴、見たことないわぁ。』ってブツブツ。
息子は半泣きですっごい可愛そうだった。
もちろん、私は旦那の言い方が酷いと怒り、旦那をたしなめたら逆切れされたんですよ。(-。-;)
子供をほめて育てようとする私とケナス旦那との争いの数年。
私にはもちろんだけど、子供にさえ言葉の暴力(嫌味)は絶えることがなかったの。
こんな事がいろいろあったりして13年。
何回も口喧嘩したし、離婚も頭に浮かんだ。
喧嘩した時は旦那が必ず逃げて話題放置か部屋に閉じこもられる。
『はぃはぃ、わかりました。そうすれば文句ないんやろ?』とか、嫌々わかったフリをする。
本当にお互いが納得して喧嘩を終えたことなど1度もないんだよね。
私の中で放置した原因が溜まりにたまって爆発してまた同じ喧嘩。
私って本当に馬鹿だねぇ。(苦笑)
もう少しうまく旦那を操縦できたらよかったのに。
今から7年ほど前に私が事故に合い、退院してからも目眩や軽い記憶喪失、左手の痙攣、などの後遺症がひどくて自分のことすらまともにできず、太陽の世話を私の両親に頼むことになったんだけど、これがもっと息子との最悪の関係を引き起こすはめに。
実家が歩いて5分のところにあって、常日頃から太陽の世話はやいてくれているから、つぃ、私も甘えちゃったのがいけないのよね・・・。ヾ(_ _。)ハンセイ…
このとき、旦那は当然のように私の両親が太陽の面倒をみるであろうと決め付けていたらしく、
太陽に関しての提案など、少しもなかったのが少し腹立たしくて情けなかった。
事故の後遺症から一日のほとんどを寝てすごすようになって、旦那との結婚について色々考えてみた。
そして出した結論は・・・(今から思うに何を血迷っていたのか・・・)
関係の修復。
『自分の子供が出来たら旦那もかわる?』
結婚して5年以上も子宝にはめぐまれず、いまさら・・・って感じなんだけど、、、、
この1年で子供ができなかったら旦那と離婚しようって決めたの。
そしたらそこから半年後、見事にできちゃった!んですよ。
元々、出来にくいと医者に診断されてる私。
半分、諦めながらの子作りに異変が訪れたぁ~!Σ(・ω・ノ)ノ!
きっと、清水寺に願をかけたからだわっ!うんうん。
一番の効き目?はノニジュースなのかなぁ・・・?って。
喜びも束の間・・・私は酷い悪阻に悩まされ、医師には中絶まですすめられた。
私はクリスチャンでもなんでもないけど、私の中で中絶なんて
ぜーーーっったい許せない!
じゃなきゃ、太陽も生んでない。
飲めない、食べれない日々が続いて、脱水症状を防ぐために毎日点滴通い。
ちょうど、この頃に、私の母親が布団の上で躓き倒れてしまい、ひっくりかえって腰と背骨を強打。
果物や雑炊を作りに来てくれていた母も私の世話どころではなくなってしまっていたの。
母も実家で寝たきりに・・・
このときだけは、仕事から帰宅した旦那が私にゴッチャ煮鳥鍋を作ってくれた。
ご飯を作りながら、こんな私を見て旦那が一言
旦那
『頼むから入院はやめてなぁ~。金かかるしぃ、金ないしぃ。
出来る限り、ご飯は作ったるから。
食べて、頑張ってぇ。』
こんな事を言ったあくる日、寝たきりの私を尻目に日曜日の朝から裏ビデオで自慰行為に励む旦那・・・
(ノ◇≦。)情けない・・・本当に、情けなかった・・・。
私の命をとるか、赤ちゃんの命をとるかまで医者に言われたのを知ってるくせに、そんなことを真横で平気でしてる旦那が許せなかった。
この日から私の悪阻がいっそう酷くなっていった。
これが原因で後にSexPTSD。
こんな男の子供を生んでいいのだろうか・・・。何度も何度も心の中で呟いていた。
でもね、生みたかったんですよね。
太陽がずっと弟や妹をほしがっていて太陽のためにも生みたかった。
私は一人っ子でずっと兄弟姉妹に憧れていたから太陽には作ってあげたかった。
そして、何よりもエコーをあてた胎児の心臓が トクットクッ って一生懸命動いてるじゃない。
これ、何よりもすごいことよね。
とても、お腹に宿る生命を殺せなかった。
結局、頑張って自宅療養してたんだけど医者から(・_・)ノ□ イエローカードから(-"-;)o■ 退場!(・_・)ノ■ レッドカード出されちゃって、仕方なく入院して悪阻が治まるまで頑張ることに。
通っていた病院では入院設備がなく出産する病院は別の病院を選ばなくちゃいけなかったから丁度下見気分。
悪阻で入院したときに旦那の母親が毎日のようにきてくれて、何も食べれない私にチラシ寿司やら色々作ってきてくれて、これはすごく嬉しかった(=⌒▽⌒=)
でもさ、、、病院からピーッ( ̄ゝ ̄)/■レッドカード
旦那のおかあさんは悪気はないんだけど、いわゆる『一言多い』ってタイプで他の患者さんの赤ちゃんとかを見て批判したり・・・(; ̄ー ̄A
で、病院側から「出入りを控えて貰えるとありがたいんだけど」なんていわれる事に。( ̄Д ̄;;
『そんな事、私からとても言えないよぉ~』
って事で旦那に相談し、旦那がお母さんに伝えたんだけど・・・
旦那がどういうふうにお母さんへ言ったのか・・・ご機嫌を損ねてしまい、あっ!っていうまに嫁姑戦争勃発・・・
戦争といってもお母さんから一方的なものなんだけどね
それ以来会ってないから、モチ、生まれた赤ちゃんも見てもらってません。(-。-;)
続きは次回ヾ(@^(∞)^@)ノ
んじゃ、またぁ~♪
声もそっくりなんだけど・・・
( ̄ー ̄ )~~~~ウロウロ ウロウロ~~~~(  ̄ー ̄)してたらこんな動画見つけちゃいましたよぉ
これって・・・本物なんでしょうか?
声も似すぎてますが・・・
ファンにはたまらないモノ?!
それとも、オレのあややへの冒涜だっ!とかでしょうか・・。
とにかく、めっちゃ、気になる動画です(笑)
あややもやっぱ、彼氏とかいるんでしょうねぇ~。
処女ではないでしょう・・・たぶん・・・
じゃっ、またぁ~♪