おわりははじまり-192「帯刀許されし者」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



おわりははじまり-191「かぐや姫の音を張っていく」の続きとなります。



私はまきちゃんに問いました。

「何?何かキタ?」

「えっと、帯刀・・・帯刀許されし者って来てて・・・」



田中雅子/紫花さん「帯刀許されし者」であるということらしい。



「問い」
帯刀って何ですか?

「解い」
帯刀 (たいとう)日本の江戸時代において、
証明として打刀と脇差の2本の刀を腰に帯びること。
詳細については苗字帯刀を参照のこと。

「問い」
帯刀は許されるものなの?

「解い」
江戸時代,農工商などの庶民が名字 (苗字) を称し,
帯刀するという士に準じる資格を許されることをいう。
この資格には永代許可,一代限り,
あるいは名字や帯刀の一方だけなどの別があった。
明治維新後,帯刀は禁止,名字はだれでも名のれるようになった。



さて、「武」の「ルート(root[s])を確保せよ」です。

「問い」
武の意味の由来は?

「解い」
武道の「武」の字は、戈(ほこ)と止の合字です。
「止」は歩む意で、足首全体の象形です。
そこから、「武」は戈を背負って一歩前へ進む、という意味となるのです。



こういうことらしい。

一歩進む為の「武=take=竹」だと。




おわりははじまり-132「梅と待つ理とウメとの祭り」



それは、道を切り開く為の帯刀で、

二本(≒日本)の刀を持たされているということになる。

まきちゃん曰く、「How to ツルキ・タチ」の「薙い(凪い)で」道を切り拓く意と、

先導者としての露払いや邪氣の「祓い」の意の帯刀らしい。




おわりははじまり-127「にしむくさむらいに託されたこと」



二刀流ってことですね。

以前、まきちゃんの施術を受けていた時に出てきたことを思い出しました。



【QUOTE】

2020年9月2日満月、旧暦7月15日お盆。

まきちゃんのアマネ・クルールで、

ヒーリング&クリアリングをしていただいておりました。

新しいことを始めるたびに、エネルギー調整をしに、

こちらを訪れております。



はい、そうなんですよ。

こちらへ訪れたということは、

新しいことにチャレンジするんですよ。

また、いずれ、それは、告知しようと思っています。

謎のキーワードをいただきました。

「キロロ」と「キプロス」???

いつか、何とかなるだろう。

そして、まきちゃんは更にこう言った。



「施術始めてすぐに浮かんできたのが・・・、

あしゅら男爵って知ってます?」







本日書こうと思っていた内容を指していたので、

すぐにわかりました。

だから、重要
なことだから、
必ず、書け!という念押しですね。



あしゅら男爵とは、マジンガーZに出てくる

右半身が女性、左半身が男性の、キャラクターです。

台詞を言う際は正面向きの場合は男女混合の声となりますが、

左右どちらかの顔しか映っていない場合、

そちらの性別に対応した声のみが聞こえます。

あしゅら~ず。の男女版です。



二つは一つ
一つは二つ


私たちの中に、


「女性性」「男性性」が存在している、

ということになります。

性別に関わらず、誰しもが、ということです。

人間に内包しているということです。



これは、ラブランドのパワーカード。







男性性80%で、女性性20%の時があってもいいのです。

女性性80%で、男性性20%の自分であってもいいのです。

どんな時も、それが自分であると認めていれば。

どんな時も、それが自分であると分かっていれば。

どちらの比率がどうあれ、

バランスという均衡は保たれ、

調和が取れているということになります。

大切なのは、どんな自分も自分であると肯定することです。

認めちゃうってことなんです。

だって、そういう自分が存在しているのに

無かったことにはできないでしょう。



女らしい、とか、男らしい、とかではない。


女らしくない、とか、男らしくない、とかではない。



いつまでも、その基準を追求し続けると、

この世は分断したままで、

あうんの呼吸は乱れていくし、

鼻は裂けちゃうし、花は割けちゃうんですよ。

五十音図の真ん中が、パカーンって離れちゃう。




  海里 乖離




五十音図の「は・な」が、真ん中からパカーンて離れちゃうと、

見える世界と、見えない世界の五十音図もパカーンって離れたまんまなので、

百の世界=モモの世界が遠ざかる。

音が観えない。

ってことは、人の進化が遠ざかる、に繋がっていく。







私たちの内側が、外側の世界へ通じてるから、

まず、自分の中を統合させることなんですよ。



統合って、自分を認めることですよ。



例えば、六感開華塾をしている時は、

男性性のパーセンテージを多めでやっていました。

でも、それが、私です。

夫といる時は、女性性のパーセンテージを多めでやっています。

でも、それが、私なんです。



罪悪感が出たとしても、罪悪感があることを認めています。

罪悪感の中に、どっぷり浸ったりはしない。

ただそれだけです。



では、女性性って何よ、男性性って何よ、ですよね。







色々あるけど、

シンプルに、優しさと、強さ

だと思っています。



私は女性ですよ。

でも、

私が私であることを認めてしまえば、

勝手にその役割を果たしていくんですよ。

それが、生命の強さであり、本能の強さだと思っています。







自らが、自らを認めれば、

自ずとその役割を果たしていきます。



人間って、そういうプログラミングになってるはず。



だって、生かされてるんだもの。

自らが息をしようと思わなくても、

自ずと息をしてるんですよ。

これが、生かされてると言わずして、何と言おうか。

これが、神秘と言わずして、何と言おうか。



だからね、貴女
やることは、これなんですよ。







って、自分を認めることなんですよ。



、いや、違うな。




うんって、首を縦に振ることだから。







こっちです。



それが、起点です。

【UNQUOTE】

引用ここでおわりです。

全文記載となってしまったけども。

書家・田中雅子/雅号・紫花の世界って、二つあるのですよね。







「自在の書」は、墨書の「1or0」バイナリの世界。

「虹彩の書」は、色彩・いろどりの多様性の世界。







そういう意味においても二刀流です。

まきちゃんは、更に「帯刀許されし者」について語り始めました。



おわりははじまり-193「ハートのルート√を確保する者」へ続く。







大変申し訳ございません。
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どうかご了承くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます。