ときは秋・・・目白駅前大学 Ⅱ
3日の日曜も高い秋天。
なので、目白駅前の大学まで組織学会2日目を冷やかしに行く。どぶさらいが生業にもかかわらず、こんなとこに散歩にいくのは、家のお嬢のトランスポーター係のためもあるのだが、聞いていて、ワン公の耳に念仏というほど無意味なわけではない???。
午後の総括シンポジウム、「組織と組織論の未来」というテーマも凄ければ、
金井壽宏@神戸大、桑田耕太郎@首都大東京、榊原清則@慶應義塾大、佐藤俊樹@東京大、沼上幹@一橋大
という、いっちゃわるいが、口八丁手八丁の顔ぶれで、さぞや面白かろうとプログラムをみたところで思った。期待して良いのか悪いのか、予測不可能なことを含めて。
「組織」という現象を社会科学の対象とする試みは、M.Weberの官僚制論という古典もあって、ワン公の青春期的には親和感があったテーマなのだが、「理論」と「実証」いうレベルでそれがどんな展開をたどったのかは断片的に知るだけ。
3時間半以上も尻が痛くなるのをガマンして聞いている限り、各バネリストがパネリストなりの組織理論の過去と現在を語ってくれて、青春期からの空白を埋めてもらう上では極めて有用だった。
だけど、やはりというべきか、日本の組織研究は、研究者の数だけ、それもアメリカMBA流派の多様性と盛衰を反映して、組織という現象の「理論」化の試みを展開していたのだなと思う。さらにいうと、「実践的な」という桑田先生のキー概念でいうなら、「本家」アメリカと比べて、些か言葉遊びに走ったんじゃないのかという印象もある。野中教授とか加護野教授とかの長年のお仕事はあるとしてもだ。
今的には、なぜ日本の経済は、産業は、企業は、これほどに力を失ってしまったのか、雇用ということに関わって明らかにしなくてはならない、ということへの問題意識が些か乏しい印象があって、組織理論の未来に関するお話がむなしく聞こえたのは事実だ。
第1日目の特別講演で、三枝ミスミ会長の「90年代以降の日本の研究は、<企業経営の現実からの理論化、理論と経営の現実との往復作業>などの点で努力不足だったのでは」という趣旨の言葉に、フロアから的確な反論がなかったことも、これまでの「組織論」研究がアカデミズムに傾斜していたことの結果ではなかったのか。
そんな中では、沼上幹教授@一橋大の
「企業にMBA人材を輩出し、その結果を含めた現実を実証していく」と、先輩方とは違った明確な宣言、
「調査にいって企業の人に<組織>の問題について提案したいんですといったら、大学の先生に聞かなくとも分かっています、といわれました。<はあ、そうですか>と帰ってきたのですが、調査していて分かったことは、彼らの言う<組織が分かる>とは<根回しがわかるにすぎない>ということも分かったんです」
といった体験談を踏まえた<自信>が印象的。
「組織の重さ」(2007)という見事な実証研究の裏打ちがあるのだろう、頼もしや、と感じた。
ときは秋・・・目白駅前大学
組織学会の創立50周年記念の大会が開催された。天気もよいので冷やかしに行く。
2日(土曜)の目玉は、青木昌彦教授による、今日的コーポレートガバナンス理論の展開。
Aモデル、Jモデルという著名なかってのお話しから、多元化モデルへの展開を試みた最新のお仕事を、簡潔に話して聴かせるという形になった。
Corporations in Evolving Diversity: Cognition, Governance, and Institutions
Oxford Univ Pr ,2010/07
直近の著作のご紹介なのだが、株主主権型のアメリカ的CGを崇拝していた人がゴマンといたのはほんの数年前のことだ。いや、2年前だがの経済財政白書だって相変わらず金融資本主義マンセーみたいな雰囲気があったことからすると最近まで尾を引いていることなのだろう・・・要は、政治的ないしはマスコミ的な雰囲気を含めてだ。そんな熱狂とその後の虚脱感とは距離を置いて、コーポレートガバナンスモデルの多元化、裏返せばnot収斂化に理論的根拠を与えようと言う仕事だと理解。
一般理論は、全てを取り込むゆえに実は個別の何ものも説明しない、という感覚は否定できないのだが、ナマ青木教授のお話しは、そんなレベルとは違った包括性・理論性を感じさせてしまうから、やっぱ、すごいのかも、とアホなワン公は思ってしまう。
フロアからの質問も、藤本隆宏@東京大、河合忠彦@中央大他、ワン公からみるとハーバード流とかスタン
フォード流であっても、日本の現実を十分にくぐらせた理論化を試みる大家からのもので、ちょい絢爛豪華
な瞬間だった。
どぶさらいを生業としていると、ときにこういう話を聞くのは、御仏の法話を聴くよりも心が洗われる。