今日は暖の誕生日

27歳になるはずの

 

アイスケーキを買ってきてもらって

いつまでたっても忘れることのない

嬉しそうに頬張る笑顔が浮かぶ

 

お茶を入れる程度なら動いてもいいと言われ

一か月ぶりにコーヒーをいれた

 

思い出した

子どもたちが生まれたとき

光り輝いて見えたの

しばらく忘れていた

ああそうだった

小さな体いっぱいのエネルギーが

私の体いっぱいにしみてきて広がって

希望

未来

慈愛

満ち足りた時間

 

あのとき私は

生まれたばかりの赤ちゃんから

未来そのものを受け取ったのだと

 

それからいつでも子どもは私の未来であり続けていたの

私は未来へ進む子どもの一歩後ろを歩いていたの

 

暖がいなくなった時、私の未来も一度途切れてしまったかのように感じていた

 

もう10年近く 私は未来を見失いながら過ごしてしまったみたい

 

ああそうか

もしかしたら私も 本当は光をまとって生まれてきたはずなんじゃないかな

いつの間にか忘れてしまったそれは大事な忘れ物かもしれない

なんだか迷子になってしまったような時間

 

それが私の10年

 

 

ひとりの人がひとりの人に影響する力っていうのは、なんともいえないもので。

 

それはその人とのつながりであったりとか。

それは心とか魂のつながりっていうのに近い気がするな。

それはその人との時間のつながりであったりとか。

それは愛着ができるとかそんなつながりに近い気がする。

それは好きなことが同じ人のつながりであったりとか。

それはひらめきとか感覚とかがつながっている気がするの。

それは大事な人が大事にしていることだったり。

それはいつの間にかつながっていることに気づく気がする。

 

いなくなったただひとりの人がいつまでもいつまでも胸に刺さっていたりして。

 

そうかと思ったらたくさんの人が気がつけば心にあふれている。

 

辛いとか嬉しいとか裏表にある気持ちを丸ごと飲み込んで気配を消してしまいたくなることの方がまだ多いかな。

庭にしもばしらができていたので写真撮ってみたけど、なんだかよくわからない・・・よく見てみると・・・芽が出てる!

 

 

もうすぐ春。

暖、お誕生日おめでとう。

生まれたとき、赤ちゃんってなんてかわいいんだろう。こんなにかわいかったっけ。

と思いながら、『こんとあき』の絵本を思い出していた。

 

 

あれから7年。

あちらこちらで「あれから7年」の話題。

早いような気もするけど、時間が止まっているような気もする。

こんな状態でどんな未来を描いていけるのか・・・。

訪問中のお宅にいるときで、気持ち悪く大きな揺れだった。

 

昔を思い出しながら何か書いてみようかと思い始めました。覚え書きのようなものです。

平成6年の今日は、そろそろ生まれるかと思いながら過ごし、月末の引っ越しが決まっていたので落ち着かずにいたかな。

たいていこの時期は年度末で卒業式やら送別会やら、新年度の準備やら、さみしさと希望の両方を持ちながら過ごしていたかな。

 

暖が3歳の今頃、肩甲骨にできた外骨種が大きくなって、取り除くことになり、手術日を決めては、いざ手術の前日に熱発するとか幼いのに帯状疱疹になるとか手術が流れること2回。子どもは敏感。

 

2003年あたりは、カブトエビを卵から育てた。ちっちゃいけど、いっちょまえにちゃんとカブトエビの姿で、少しづつ育って大きくなって、泳ぐのを見るのが楽しみだった。

 

2006年、2007年の今頃は、森野エコ-クラブという会で毎月自然体験していて、暖と一緒に歩くスキーをした。

木に穴をあけて樹液をとって飲んだのもこの時期だったような・・・。ものすごい勢いで根っこから水を吸い上げて春に芽吹く準備をする木に、何やら気持ちが明るくなったっけ。

山の中で木の芽観察したのもこの頃かな。

雪の中でも、自然はちゃんと生きて営みを続けているってすてきだなって。

雪の白と空の青のコントラスト。冬の山歩きは楽しかった。

 

8月7日、雲ひとつない青空の下、
暖が好きだった船に乗り、
暖の遺骨を海へ送り出しました。

あれから5年・・・
ようやく海へ還れた暖は、喜んでいるのでしょうか。
やっと、安らかに眠れるのでしょうか。

ずっと手放せなかった遺骨に、朝は眼鏡をかけてあげて、夜は外してあげていた。
少しでもお世話してあげてる気持ちがあって、嬉しかった。
ぽっかり空いたその場所に、私は何をしてあげたらいいのと戸惑う。
もう抱きしめることもできない。

減っていくことはあっても、増えることはないんだ・・・。

「ばば、どうして泣いてたの」と孫。
「ばばは、悲しいんだよ。」

泣かずに送り出せたら良かったのにね。

それでも、やっと海へ彼を送り出せたことに、ほっとしている。

暖、これからはいつでも、大好きな海だね。
1月に、娘家族と同居しました。
子育てした楽しい思い出のいっぱい詰まった海の見える部屋は、
辛い部屋でもあって、
4年以上も前に、ちょっと行ってくるよとばかりにパッと三途の川を飛び越えてしまった暖の姿は、
いつまでたっても忘れられず、涙が出る思い出になっちゃっていた。
彼の大好きだった海のないこの土地で、ようやく彼を海に連れて行ってあげる決心がつきました。
今年の夏は、暖の遺骨が海に気持ちよく揺蕩う予定。

結局あれから2年半位頑張って仕事していましたが、辞め、

あきらめて病院にかかり、

先生曰く「あなたのはPTSDに近いから」ということで薬も飲み始め、

すっかり家にひきこもり、

気のゆるみと薬の効果もあってか20キロ体重が増え、

たんすの中の着られなくなった洋服を大量処分。

余計に人に会いたくなくなる悪循環に陥り、

なんとかコツコツ月に1キロダイエットし、

8キロまでは落ちましたが、ある程度は中年太りと諦めています。

手紙や年賀状をいただいた方には、返事せず失礼したままで申し訳ありません。

年賀状は今後も、時期的に体調がすぐれない頃なので書く予定はありませんが、ご容赦ください。

固定電話は、いずれ外す予定です。

1年半近く家にいて、ぼんやりしたり、孫娘や自分の服を作ったりしていました。

久々に漫画も読みましたが、老眼からか、すぐに疲れてしまい気が付いたら寝ています。

暖がいなくなって間もなく、4ヵ所くらい一気に欠けた歯を、長らく放りっぱなしだったのを、

ようやく治療する気がわいて来まして、歯科通院中です。

特定健診の無料券も、来てすぐゴミ箱に捨てていたのを思い出し、

再発行してもらいました。

たくさんの方に心配かけたことと思い、申し訳なく思いますが、

少しずつですが、前を向くことを考えはじめました。

今さらですが、ようやく本当に家族のありがたさがわかったということもあります。

そして、その間に生まれた孫もやっぱり可愛く、まだ頑張らなくてはならない気がします。

先月から薬も減り始め、ようやく月1万円以下になってホッとしています。

そして、2年半泣かない日はなかったけど、薬を飲んでいるうちに、

気が付いたら、泣かない日の方が増えてていました。

思い出が辛いのは変わらないけどね。

今までとは、自分の周りの景色が違うように感じるこの頃です。

皆さんありがとう。