平尾昌晃先生ありがとうございました | KAORU TAMARI

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平尾昌晃さんが亡くなられた。79歳。

まだまだお若いのに、本当に残念だし、とてもさみしいです。

というのも、平尾先生は、番組でご一緒した最もご縁が多かった方のお一人だったから。

 私がテレビ朝日やじうまワイドのキャスターをしていた7年半のおそらく2年間くらいはコメンテーターとしてレギュラー出演された。芸能の担当でしたが、人懐っこく、情報番組というよりも平尾先生のきらきらさで、番組自体が華やかになり、エンターテイメント番組にもみえたような、イメージがあります。

 時はバブル最盛期で、やじうまスタッフとともに、芝公園の東京プリンスあった、ゴルフの打ちっぱなしに連れて行っていただき、その時に御馳走になったグレープフルーツのゼリーは本物のグレープフルーツに果汁100のゼリーで、それはそれは贅沢で印象に残っています。当時の私にとってはとても新鮮でいつか、こんな風に人に御馳走できるかっこいい大人になりたいなと思っていました。

 そのあともゴルフに連れて行っていただいきましたね。今は私も全くゴルフなど行く時間もなくなってしまったが、当時の時代とともにとても楽しかった、20年くらい前の話。

 28歳の時にやじうまとともに、NHKの歌謡番組のキャスターとしての仕事がスタートし、そのゲストにも何度かいらしてくださいました。

 なによりも、またNHKの特番でFM13時間生放送では、2度でしたか、「女流作家を迎えての私の歌謡史」ほか司会をご一緒させていただいきました。懐かしい写真を見ると、あずさみちよさんや、宮川泰先生、また別の回では「昭和の歌謡史」。たしかつい先日なくなられた日野原先生はじめ多くの昭和を彩ったゲストの皆さまのお話を伺ったのを覚えています。

NHKとともに平尾先生といえば、芸能界登竜門の先生であり、熊本にいたときからあこがれの先生でした。

 私にとって(どの歌手の方のお話にもでてこられるのですが、平尾先生は、いつも明るく、励まして下さり、とってもお会いするのがうれしかったし、最近では紅白の最後にタクトを振っていらっしゃるのをみるのも私の励みだったのに。

先生は、ご友人も多く芸能関係の方のお別れの会でお会いすることも多かったです。

最後にお会いしたのは青山葬儀所での小野やすしさんのお別れの会。

その際に目を合わせてぽつんと、「寂しいねえ」といわれたのは、3年くらい前だったと思います。これが、私がお会いした最後になってしまいました。

 私が申し上げるのもおこがましいが平尾先生は作曲家であり、歌手であり、ロカビリーの大スターであり、タレントでもあり、その華やかさで芸能関係のいろいろなお仕事をなさりその魅力で沢山の友人がいらしたかたでした。

芸能界でもたくさんの方が年齢を重ね、亡くなられることをとてもさみしく思っていらしたと思います。

 

歌謡の世界では本当になんでも役割をこなせる方だったので、業界からも仕事のオファーが多く本当に直前までお仕事がいっぱいだったろうと思います。

いらっしゃらないというのは今だ信じられないのですが、ご冥福をお祈りしたいと思います。。