夜中に目覚めた妻が空腹を訴えたので、僕はホテルの隣りにあるハンバーガー屋さんに行って、2人分のセットを購入した。
日本では見かけないハンバーガー・チェーン店である。
カウンターの奥の掲示板には10種類以上のメニューが掲げられ、番号が振ってあったので、
「Nomber……9、and Nomber……11、please」
と、吟味しながら、たやすく注文することができた。
「Take Out?」
「Yes!」
2つのセットで20ドルくらいになり、日本のハンバーガー屋さんより若干割高かなと思ったけれど、出てきた品物は、バンズも、挟まっている具も、そして付いているポテトも飲み物も、息をのむほどビッグ・サイズだった。
しかも、カウンター後方には、蛇口がいくつも並んでいるテーブルがあり、ケチャップやマスタードなどがかけ放題なのである。
隣りには、ハンバーガーに挟む野菜やタマネギなどが山盛りになったケースが並んでいて、それも取り放題だった。
豊かさを求めて新大陸に移住してきた先人たちが目指したのは、とにかく、食べることには事欠かない社会だと、聞いたことがある。
食の豊かさが、アメリカ社会を維持する最低条件、なのだという。
まさに、アメリカの豊かさを実感するような、ファースト・フード店だった。
ホテルの部屋に戻ってホカホカのハンバーガーを口にしてみれば、バンズは、ぱさぱさして大雑把な食感だったし、具やポテトの脂っぽさも、日本とは比べものにならないほどで、大変に味の濃い代物だった。
カロリーの高さは半端じゃないと思われた。
妻は、ポテトを食べきれなかった。
僕も少し胸焼け気味になった。
まあ、飛行機の中から数えてみれば、24時間で6食目だから、という理由もあるだろうけど。
それでも、食事時になればきちんとお腹がすくのだから、しょうがないではないか。
腹もくちくなった後は、2人揃ってぐっすり眠り、翌朝のニューヨークはどんよりとした曇り空だった。
2人で外出の支度を調えてホテルを出た。
「ね!朝御飯、どうする?」
「うーん、どうしようか」
「夕べ買ってきてくれたハンバーガー屋さんって、そこ?」
「うん」
「もう1回、そこにしない?──私、アメリカのハンバーガー屋さん、体験してみたかったの」
と妻が言うので、再び、ホテルに隣接したハンバーガー・ショップへ入った。
妻と2人でレジに並び、前夜とは違うメニューを選んで注文する。
店員さんが、威勢良くレジの奥でポテトやハンバーグを揚げており、夕べには気づかなかった香ばしい匂いが、店内いっぱいに漂っていた。
出てきたセットに、妻はたっぷりとケチャップやマスタードをかけ、生野菜を挟み込む。
こいつ、こんなに濃い味が好みだっけ?──
と僕が驚くほどだった。
前日のワシントン往復の疲れがまだ残っているのかもしれなかったし、郷に来ては郷に従え、という流儀なのかもしれない。
この日、アメリカは土曜日だった。
朝のハンバーガー屋さんも、7th Ave.の人通りも、昨日に比べれば心なしか少なかった。
ニューヨークで行きたいところは、事前に2人で決めていた。
まずは国際連合本部である。
「どうやって行く?」
という妻の問いに、僕は迷うことなく、
「タクシー」
と答えた。
国連本部があるのは、マンハッタン島の東岸、イースト・リバー沿いである。
住所にして、1st Ave.&46th St.───。
マンハッタンの道路は、ほぼ碁盤目を成しており、南北に走る通りがAvenue、東西に走る通りがStreetとされている。
日本語では、Avenueは「街」、Streetは「丁目」または「通り」、と訳されている。
Avenueは東から西へ、Streetは南から北へ、数字が大きくなっていく。
つまり、国連本部は、1番街・46丁目。
僕らが宿泊しているホテル・ペンシルバニアはミッドタウンの7th Ave.&32th St.にある。
いわば、マンハッタン島のど真ん中なのだ。
国連本部までは、7本のAvenueを横切りながらまっすぐ東へ行き、それから十数本のStreetを横切りながら北へ向かえばいい。
距離にして数km程度だろうか。
歩くには、ちょっぴりつらい。
マンハッタン島の公共交通機関は、主として地下鉄と路線バスが挙げられるが、縦横無尽にマンハッタン各地を結ぶ路線バスに比して、地下鉄はほとんどAvenueの地下を南北に結んでいる路線ばかりである。
東西に走るクィーンズ・タウン方面の郊外路線型の地下鉄もあって、国連本部のすぐ脇を走っているのだが、国連の近くに駅がない。
ガイドブックを読んでも、南北の移動は地下鉄、東西の移動はバスが便利と書かれている。
逆に、バスは、東西のStreetを機械的に往復している路線ばかりである。
複数のStreetをジグザグ走るような路線は少ない。
Avenueを南北に走るバス路線も少なくないけれど、渋滞が多くて使いにくい、と書いてあった。
だから、ホテルから国連本部に行くためには、地下鉄の34丁目・ペンシルバニア駅からタイムズスクェア・42丁目駅へ北上し、そこから路線バスで東へ向かい1番街停留所で下車する方法が、一般的と思われる。
地下鉄もバスも、共通のメトロカードで乗れて、料金は1回の乗車で2ドル25セント均一である。
4ドル50セントから80ドルまでの希望額が購入できる券売機が、地下鉄各駅にあるという。
Unlimited Rideと呼ばれる7日間有効の、29ドルの乗り放題チケットもあり、12回乗れば元が取れる。
でも、ワシントンの地下鉄で、乗車の時に戸惑ったことや、乗り換えを要する経路であること、そしてニューヨークの地下鉄の治安がワシントンほど安心感がなさそうだったことから、僕は、ニューヨーク見物の1日目にはタクシーを利用することに決めていた。
もっとも、ガイドブックによれば、
「90年代後半まではニューヨークの地下鉄と言えば『汚い』『危ない』と言われ、旅行者にはお勧めできないものだった。しかし、今では綺麗で快適。朝夕のラッシュ時は、東京の山手線並みの混雑になるほど、多くの人々が利用している」
とのことである。
うーむ、「綺麗で快適」とは書いてあるが、ワシントンの地下鉄のように「安全」という記載がない──
多くの人々が利用するから、安全、というニュアンスなのだろうか。
別のガイドブックでは、
「15年前に比べると、地下鉄構内は眩しいくらいに明るくなったし、車内もとても綺麗になりました。メトロカードの普及でタダ乗りもできなくなり、不審な人が入らなくなったのも理由の1つかもしれません。
以前は地下鉄構内に公衆トイレがあり、事件と言えばトイレが発生場所となることも多かったのですが、現在トイレは全て閉鎖されています。
とはいえ、事件がなくなったわけではありません。強盗や発砲事件は当然のように起こります。旅行者は22時以降の地下鉄の利用は避けた方がよいと思います。
また、早朝や夜間、構内に人が少ないときは、ウェイティングエリアの看板の下で電車を待つこと。その場所は監視カメラで見張られているので、そこで事件を起こす人はいないでしょう」
などと書かれており、やっぱり、いきなり地下鉄を利用することを逡巡させる内容である。
ならば、タクシーは?──
案外、ガイドブックにニューヨークのタクシーの安全性についての言及はほとんどない。
ニューヨーカーたちによく利用されている交通機関、というガイドばかりである。
ただ、「安全なタクシー利用法」という項目では、
①イエローキャブに乗る。
②乗車の際、運転席にメーターがあるか、メーターの横に写真付き運転登録証があるかを確認。
③走り出したらメーターが動いているかを確認。
④支払いの際、レシートをもらっておく。
⑤変だなぁと思ったら、早急に停めて降車する。(以上原文のママ)
と書かれている。
ニューヨークのタクシードライバーは移民が多く、英語が下手だったり、場所を良く知らなかったりすることも多い、という注意書きは、どのガイドにも書かれている。
だから、目的地の固有名詞を言うより、「1st Avenue、and 47th Street」というように街路の番号で告げると確実であるとのことだった。
ホテル・ペンシルバニアの玄関口で、大柄のドア・ボーイさんに歩み寄ると、
「Taxi?」
と聞かれた。
タクシーを呼んで、というつもりで、
「Call me Taxi!」
と言ってしまい、次からみんなにニヤニヤしながら、
「Hello、Mr.Taxi!」
「Hi、Taxi!」
と言われるようになってしまったという笑い話を思い出しながら、
「Yes please」
そう答えると、ドア・ボーイさんは指をくわえてヒューッ!と鋭く指笛を吹いて手を挙げた。
映画などでは観たことがあったけれど、指笛でタクシーを呼ぶ光景を目の当たりにしたのは初めてだった。
また、これほど大きな音の指笛を聞いたのも初めてだった。
「うわっ、カッコいい!」
「ニューヨークって感じだね!」
「あ!チップあげなきゃ!」
Thank You!と言いながら1ドル紙幣をドアボーイさんに渡して、停車したイエローキャブに2人で乗り込んだ。
車種はフォード「エスケープ」だった。
SUVタイプの小柄なハイブリッド車である。
「The United Nations Headquaters,please」
「OK!」
タクシーはスルスルと走り出した。
7th Ave.は南方向への一方通行なので、タクシーは、いったん南下しながら2本のStreetを横切り、30th St.に左折、古風な建物が流れるように過ぎ去るのを見ながら東へと向かった。
街並みの、なんと個性的で味のあることだろう。
長い歴史が醸し出す風格と落ち着きがあって、なおかつ暖かみを感じさせる建物の数々。
他の大都市と異なって、画一的なところは1つもない。
木造と石や煉瓦造りの違いはあるけれど、僕は、昭和40年代の日本の地方の古い商店街を思い出した。
カラフルで、懐かしい看板を掲げた軒先がぎっしりと並ぶ街路のことを、である。
ニューヨークの街路は一方通行が多い。
ホテルのすぐ南に面した32nd St.が東へ向かう一方通行なのに、どうしてそこを曲がらず30th St.を通るのだろう。
まさか、いきなりぼったくりタクシーに捕まったのか?──
と身構えたけれども、地図をよく見ると、32nd St.は1st Ave.に到達する前に突き当たって、途中で途切れてしまうことが判明した。
映画「マンハッタン無宿」のクリント・イーストウッド演じるクーガン保安官補のように、
「○○って、ニューヨークには幾つあるんだ?──1つ?その前を2回通ったぞ!」
と、文句をつける機会でもないか、目を皿のようにして窓外と地図を見比べていたけれど、まあ、通りの1本や2本くらいの大回りならば、それくらいは大目に見よう、という気分だった。
実際、遠回りされても、クレームをつける英語力など、持ち合わせてはいないのだが。
イエローキャブの料金は、最初の1/5マイルが3ドル。
以後、1/5マイルごとに40セントが加算される。
渋滞の時には、60秒ごとに40セント。
夜間や平日の夕方には、追加料金が必要となると言う。
滑らかな走りであっという間に1st Ave.に突き当たり、左折して間もなくのことだった。
寡黙だった運転手さんが、
「Which side? Right or Left?」
と聞いてきた。
だだっ広い1st Ave.は、北への一方通行なので、道路のどちら側へつけるか聞いてくれているのだ。
「Right side、please」
料金は15ドルほどだったと思う。
チップも合わせて20ドル紙幣を渡し、タクシーを降りると、ぷん、と潮の匂いが含まれた、冷たく湿り気を帯びた風が、僕らの頬を叩いた。
1st Ave.は行き交う人や車の姿も少なく、ホテルの周辺と同じ街とは思えないほど、閑散としていた。
厚く垂れ込める曇り空の下、道路に沿った広大な敷地の中に、ガラス張りの高層ビルが燦然とそびえていた。
僕らは間違いなく、国際連合本部を自身の肉眼で見上げていたのである。
前日のホワイトハウスを見たときと同様の感動が、僕の胸中にこみ上げてきた。
ついに、ここに来たんだ、という──
第2次世界大戦の教訓を生かして、国際連合憲章の下、1945年に設立された国際組織である。
主たる活動目的は国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現とされている。
2011年7月現在の加盟国は193か国であり、現在国際社会に存在する国際組織の中で、最も広範な権限と、普遍性を有する組織とされている。
よく、日本人は、国連に幻想を抱きすぎではないか、という指摘を受ける。
まるで、世界政府や地球連邦などといった夢の政治形態のように、世界で絶対的な権限を持つ平和維持組織、または、世界の民を代表し、その歴史を左右する力を持つ理想主義的な政治組織のように、国連を考えている日本人が少なくなかったのは、事実だと思う。
今でも、国連の財源となる分担金の比率は、最も多いアメリカの22.0%に次いで、日本は12.5%と、2番目に多く負担している。
その数字も、日本人の国連に対する期待感を表しているような気がするのだ。
しかし、その歴史をひもといてみれば、国連を表すUnited Nationsは、第二次大戦の枢軸国(日独伊)に対する「連合国」を指し、中国語などでは「国際連合」ではなく「連合国」と呼ばれている。
つまりは、第2次大戦の戦勝国が自分たちの都合に合わせて創設した組織でもあるわけで、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国の常任理事国に認められている無条件の拒否権などのことを考えてみれば、果たして本当に世界の代表機関と言えるのかどうか、疑問が湧いてくるのも事実である。
また、竹島問題で脚光を浴びている国際司法裁判所や、これまで1回も創設されたことがない国連軍(朝鮮戦争での国連軍は厳密な意味で異なるものと解釈されている)のことなどでも明らかなように、国連の権限には強制的なものが少なく、実際に力のある国際組織と言えるのかどうかは、議論が分かれるところでもある。
それでも、世界保健機関(WHO)や国際通貨基金(IMF)、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)といった専門機関や、緒方貞子氏の活躍で日本でも有名になった国際連合難民高等弁務官事務所、国連児童基金(UNICEF)などの耳慣れた国際機関をも束ねる、世界唯一の調整・救済機関であることも、事実である。
僕は、国連と言えば、大好きだった昭和30年代から40年代にかけて製作された邦画や小説のことを思い浮かべる。
特に、宇宙からの侵略や、世界的な災害・戦争を描くSF特撮映画などで、国連が指導的役割を発揮し、その下で日本が活躍する、という設定が多かったように思う。
各々の利害を剥き出しにして対立する各国政府を、日本政府が懸命に説得し、調整して一致団結させる場として、国連が描かれていることが多かった。
現実の日本政府が、そのような政治力や調整力を持っていれば、僕たち国民は、もう少し胸を張れるのだが。
そのような物語での危機に際して、必ずアップで映し出されるのが、ずらりとひらめく加盟各国の国旗を背景にした、ガラス張りの青い建物だった。
今の僕は、国連に対してそれほど甘い幻想は抱いていないつもりだけれども、それでも世界の中心として考えてしまう傾向がなきにしもあらずなのだ。
だからこそ、ニューヨークで真っ先に行きたいところを挙げるとするならば、どうしても、国連本部!と思ってしまうのだった。
妻も、1回は見てみたい、と賛成してくれたし。
1st St.の歩道から見上げる国連本部は、土曜日でお休みなのか、眠っているように、全く人気が感じられなかった。
約5万人に及ぶという職員の気配は、微塵も感じられない。
門も固く閉ざされているし、建物の麓に並ぶ国旗掲揚のポールも、全てカラである。
おなじみの国連旗だけが、ポツンと寂しげに翻っているだけだった。
所要1時間という国連本部のツアーも、ウィークデイのみである。
それでも、僕は満足感でいっぱいだった。
巨大な国連本部ビルは、1st Ave.の歩道からは写真の枠に収めるのが困難だった。
通りを横断して、階段で反対側の高台に登れば、西から伸びてきた43rd St.の突き当たりにある、「U.N.WAY」と書かれた公園のような路地の突き当たりから、国連本部が一望のもとに見渡せた。
僕と妻は、飽きることなく、イーストリバーから吹き付けてくる風の冷たさも忘れて、いつまでもその光景を見つめていた。
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