ニューヨーク点描 第16章 ~様々な人・車・屋台が彩る夜のNYC~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

「Lindy's」の夕食で満腹になり、夜はホテルの部屋に戻って2人でゴロゴロしながら過ごした。

妻は昨日からの疲れが蓄積しているのか、部屋に戻れば気持ちよさそうに眠り込んでしまう。
あくせくと色々な場所を欲張って回ってへとへとになるよりも、のんびりと、自分の体調に合わせて滞在できる、このような旅の方が、2人の性に合っているな、とも思う。
今回の旅の目的は、名所・旧跡を巡るよりも、世界最大の大都会の空気を吸うことにあったのだ。

僕も夕食のあとに少しばかり居眠りをして、ふと目を覚ますと、まだ午後10時過ぎだった。
妻はスヤスヤと眠っている。
そっとベッドを出て、コートを羽織って部屋の外に出た。
ニューヨークの夜の空気を吸ってみたくなったのだ。


ホテル・ペンシルバニアの回転ドアを出ると、ピシッと凍りつくように冷たい空気が全身を包み込んだ。
息が白くなる程ではなかったけれども、ペンシルバニア駅の出口の電光表示板が華氏39度から40度を上下している。
摂氏に換算すれば3~4℃である。
喉に痛いような、ニューヨークの夜の乾ききった冷気であった。
一服つける時のライターの焔のきらめきが、まぶしく、暖かく感じる。

凍える手をこすりながら、建築後100年近くが経つ古めかしいビルの麓でライターを灯していると、ふと、マッチ売りの少女の物語を思い出した。
粉雪でも舞ってくるのではないかと、思わず空を見上げれば、低く垂れ込めた雲がところどころ白く輝いて、この不夜城の明かりを鈍く反射している。
しかし、チロチロと揺らめくライターの焔を通して映し出されるペンシルバニア駅前の光景は、もっと現実的だった。

午後10時を過ぎても、人と車の行き来は絶えない。
路線バスも、日中よりは少ないとはいいながら、まだまだ行き交っている。
地下から通じる通風口からは、24時間営業の地下鉄の走行音が、吹き出す風とともにゴオッと聞こえてくる。



目の前を足早に通り過ぎていく人の流れから、ふと歩みを止めて、僕の方に近づいてくる若い女性が見えた。
すらりとしたスタイルの良い美人である。
少しドギマギしていると、

「○□×△◇○、cigarette?」

と、指を2本そろえる仕草をする。

ああ、これか、と思う。

ニューヨークのガイドブックや旅行記に、道端で喫煙していると、必ず煙草をたかられる、と書かれていた。

「Sure!」

と、煙草をケースごと差し出すと、彼女は、ニコッと機械的な瞬時の笑みを浮かべながら1本だけをつまみ上げ、自前のライターで火をつけ、歩き去った。

滞在中、ホテルの前で、何人に煙草をねだられたことだろうか。
おそらく両手ではきかない数だと思う。
僕はたっぷりと日本から持ち込んでいたから、これもコミュニケーションの1つだと思って、惜しいとも思わなかったけれど。
珍しく、煙草ではなく、火だけを貸して欲しいと言ってきた男性もいて、かえって可笑しく感じたものだった。

マッチ売りの少女ならぬ、煙草を恵む中年男──

童話にはなりそうもない。


昼間と異なるのは、トラックや清掃車など、都市を支える縁の下の力持ちとも言える車が目立って増えたことだった。
たとえば、ホテルの目の前の7th Ave.と33rd St.の交差点に、見上げるような大型トレーラーが、我が物顔で路駐している。
映画「コンボイ」などでアメリカの大型トラックに魅せられていた僕は、ここぞとばかりに近寄って眺めてみた。
大陸を横断する長距離トラック仕様ではないらしく、運転席の後ろに寝台スペースがなかったから、少しのっぺりした印象だったけれども、それでもアメリカのトラックは顔つきに独特の迫力がある。
映画では、運転席の天井からぶら下がった紐を引いて警笛を鳴らすシーンが印象的であるが、アメリカン・トラック特有の、いかにもスケールの大きな「ブォーッ」という音が聞こえてくるようだった。


他にも、小型トラックやソフトクリームの販売車、輪タクなど、様々な車種が目の前を行き交って、いつまで見ていても飽きが来ない。




僕の愛車と同じハリアーも見かけたので、思わず写真を撮ってしまった。
よく見ると、きちんと左ハンドルになっている。
確か外国では、レクサス・ブランドで販売されていたはずである。


不意に「ピューッ」というけたたましく甲高いサイレンが耳をつんざいた。
どこから現れたのか、「N.Y.P.D」のロゴをつけたパトカーが、激しい車の流れを懸命にせき止めながら走り出そうとしている。
事件発生の無線でも入ったのだろうか。
しかし、並んで止まるバスが前を塞ぎ、道にひしめくタクシーや車も、なかなか道を譲る素振りを見せない。

子供の頃からアメリカ製のテレビや映画に親しんでいた僕は、日本と全く異なるアメリカのパトカーのサイレンが好きだった。
ファオンファオンファオン……というサイレンを鳴らしながらカーチェイスする、無骨なダッジのパトカー、というのが、アメリカの警察と言えば真っ先にに思い浮かぶイメージ。


目の前のパトカーはダッジに比べれば小ぶりで、実際に耳にしたサイレンも、甲高いピューッという警報音の方が主体だったけれど、その合間には懐かしいファオン、ファオンという音も聞かれたから、ああ、アメリカにいるんだなあ、という実感が湧いてくる光景だった。
警察官や事件の当事者は、それどころではないだろうと思う。


あちこちの路上に屋台(Vendy)が見受けられるのも、夜の風物詩である。
マンハッタンでは昼間から開店している屋台も少なくないらしいが、ホテル・ペンシルバニアの前では、夕方から深夜までの屋台が多かった。

僕も、言葉に苦労しながら購入してみた。
味付けはどうするとか、何を入れるのか、などと聞かれたようだが、例によってさっぱりわからず、生返事を返していたら、店員さんはニコニコしながら鉄板で焼き上げた肉と野菜を、塩胡椒やタルタルソース(それともドレッシング?)などでたっぷりと味付けして、クレープで巻いたものを差し出した。

開いてみると、こんな感じである。


僕はいったい、何という料理を注文したことになっているのだろうか?

味が濃いのではないか、とちょっぴり逡巡したけれども、かぶりついてみると、案外さっぱりしていてしつこくなく、何よりもホカホカと身体が暖まる。

かつて、この街に来た移民たちが、祖国の味を安く食べられるようにと始めたのが、マンハッタンの屋台の起源だという。
今では、ニューヨークの屋台で、世界中の味を楽しむことができる。
有名なタコスをはじめ、定番のメキシカン・中華・アジア各国料理に加え、ユダヤ教の決まりにかなったコーシャフードに、イスラム教の人々に向けたハラルフード、最近は韓国料理も登場して、屋台はますます大人気と聞いていた。
市民の投票による「屋台コンテスト」も開かれ、最近優勝したのは、13種類の香辛料を混ぜながら、野菜とお肉を炒めたパキスタン料理のクレープだったという。

マンハッタンのど真ん中で食べる屋台料理も、「Lindy's」での家庭料理と同じく、ニューヨーク独特の味、と言えるのではないだろうか。

ならば妻にも食べさせなきゃ、と、もう1つ料理を購入してパックに包んでもらい、勇んでホテルに戻った。
屋台の主である若い男性に「Thank you」と何度も言ったけれど、とても美味しい、というニュアンスのニューヨークらしい英語が思い浮かばなかったから、もう1品注文するのが、最上の賛辞だと思ったのだ。

部屋でアツアツのVendy Foodを頬張りながら、ニューヨーク2日目の夜も、やっぱり食べ過ぎてしまう2人なのであった。



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