VIPライナー名古屋3便・Grancia first(グランシアファースト)の豪華夜行バス | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

夜行高速バス「VIPライナー」名古屋3便が秋葉原駅を定刻に発車した5分後に、日付は5月2日から3日(平成26年)に変わった。




このバスは埼玉県の志木が始発で、さいたま新都心を経由して来るから、先客も含めて十数人の乗客が、薄暗く減光された車内で早々と寝る支度を済ませている。

バスはするすると昭和通りを南下して、首都高速の高架が頭上を覆う日本橋の上で停止した。
信号待ちかと思ったが、いつまでたっても動き出す気配がない。
結局、10分ほど時間調整をしてからおもむろに走り出したが、再びビルの谷間で止まってしまう。
窓のカーテンをめくっては、道路の向かいに並ぶ灯りの消えたビル街を眺めながら、このバスは本当に目的地まで走ってくれるのだろうかと心細くなった。

そのうち、ぞろぞろと乗客が乗り込んできたので、0時35分発の鍛冶屋橋駐車場だったことを了解した。
出発便がいっぱいで駐車場に入れず、道路まで乗客を案内してきたのだろう。
4連休の前夜だから、秋葉原で見かけた他の夜行バスも、何台も続行便を連ねていたことを思い出す。




それにしても、ずいぶんのんびりした旅の始まりだと思う。
ほとんどの席が埋まって車内のざわめきが収まる頃には、バスは京橋ランプから首都高速都心環状線に入り、途中休憩や到着予定時刻を告げる運転手さんの案内放送も流れて、いつもの夜行高速バスの旅の導入部に落ち着いたのだけれど。

高速バスに乗ると、よくそこまで滞りもなく喋ることができるものだ、と感心する運転手さんに出会うことがあるが、この日の運転手さんも話しぶりに全く淀みはなく、感服させられた。
名古屋まで、交替運転手のいない1人乗務のはずである。
ハンドルやギアさばきも実に滑らかで、僕は昼間の仕事の疲れと相まって、間もなく眠りに落ちた。

先月に続く夜行だったから、よく眠れるように豪華な座席のバスを選んでいた。





「VIPライナー」名古屋3便は標準的な横3列独立シートのトイレ付きだが、右前方3席はランクアップシートと名付けられて前後間隔が広い特別席になっている(http://vipliner.biz/bus_list/nagoya_3/)。
個々のシートはシェルに囲まれ、内部で座席がリクライニングするから、前後を気にせずに思う存分に背もたれが倒せる。
「VIPライナー」には「Grancia first」と呼ばれる横3列×縦7列の21席に定員を抑えたバスがあり(http://vipliner.biz/bus_list/grancia_first/)、主として首都圏と関西を結ぶ路線に投入されているが、「VIPライナー」名古屋3便のランクアップシートはテレビ画面がない以外は同じように見える。
他の座席の前後間隔は98cmであるが、ランクアップシートは120cmで、4月に乗った桜観光の「Quality Express」と変わらぬゆったりさである(http://s.ameblo.jp/kazkazgonta/entry-11828136514.html)。

だが、この日の「VIPライナー」の座席はちょっぴり使い古されていて、リクライニングを倒そうとすると、背もたれの革張りとシェルがこすれ合ってぎゅうぎゅうと言う。
車内に響き渡る大きな音だったから、思わず周囲を見回して首をすくめたけれども、勇気を奮って電動リクライニングを145度までいっぱいに操作し、レッグレストを持ち上げて、前席下部をくり抜いたフットレストに足を伸ばせば、それ以上異音がすることもなく、寝心地は申し分ない。
通路側のカーテンも少しばかりしわしわで縮れているが、閉め切ってしまえば、周囲に気兼ねすることなく一夜を過ごせる個室の出来上がりである。

ただし、料金は9000円を超えた。
東京-名古屋間を高速バスで走ったことは多々あるけれども、最高新記録の額である。
これも連休中という多客期の成せるわざであろうか。
普段ならば5000~7000円前後のことが多いようである。
公式サイトで予約した場合は、Tカードの番号を同時に登録すれば、100円につき2ポイントがたまるから、200ポイント近くを稼いだことになる。

この夜は、とにかく熟睡した。
途中、バスの走りがぎこちなくなった気がして、寝ぼけまなこでカーテンの隅をめくると、渋滞にはまっていた。
時間的に、東名高速の渋滞の名所、大和バス停付近かな、と思った。
なだらかな登り坂のために知らず知らず車のスピードが落ちるから、交通集中が起きると連鎖反応的に車の流れが滞る地点である。
最近、「登り坂 スピード注意」という標識が建ったけれども、あまり効果はない印象である。

考えてみれば、ゴールデンウィークに公共交通機関で旅に出るのは久しぶりだった。
当然、どの高速道路も大変な混雑が予想されるけれども、深夜ならば大丈夫だろう、と、たかをくくって夜行バスを予約したのである。
大抵、夜行バスのダイヤは余裕を持って組んであることが多いから、少しくらいの渋滞なら大きく遅れることはないさ、と、その時も楽観的に思っていた。
ゴールデンウィークとは、こんな深夜から渋滞するものなのか、と他人事のように感心しながら、再び眠りに引き込まれた。

真っ暗だった車内に明かりがついて目を覚ますと、バスは新東名高速の浜松SAに停まっていた。
駐車場はまだ闇の中だったが、遠くの山の端がうっすらと白みかけている。
夜と朝の境目の中で、清々しい空気を思いっきり深呼吸しながら身体を伸ばした。
居並ぶ関西方面行きの他の夜行バスの姿を眺めながら、順調に来ているじゃないか、と安堵した。
この先、いなさJCTでいなさ連絡路に入り、東名高速に戻れば、6時35分に到着予定の名古屋まで間もなくのはずである。






再び走り出したバスの中で、もうひと眠り、とうつらうつらしていた僕は、ふと驚いて身体を起こし、カーテンをめくった。

すっかり夜が明けて、そそり立つ杉林の枝の狭間から陽の光が優しく降り注いでいる。
いつの間にか、バスは2車線の狭い山道を走っていて、カーブで身体が右に左に揺さぶられる。
高速を下りてしまっているのだ。

マジか、と座席のソケットで充電していたスマホを慌てて取り出し、道路情報を見ると、新東名いなさ連絡路から東名本線の豊川ICまでの下り線が、渋滞を示す赤線に染まっている。

渋滞25km、所要3時間。

いったい、豊川で何があるのか?──と思った。
ここも、大和バス停付近のような渋滞の名所なのだろうか。
アナウンスはないけれど、運転手さんは浜松いなさICで高速を下りて一般道を走るという判断をしたらしい。

地図をみると、いなさ連絡路の東側を南下する県道68号線のようである。
いなさ連絡路は東海道の背後に連なる山間を貫いているから、平行する県道68号線もかなりのワインディング・ロードだ。
僕が目を覚まさせられたのは、九十九折りのカーブで越える風越峠だったのであろうか。
起き抜けの目に、鬱蒼と道の両側を覆う木々の緑がしみる。
「VIPライナー」に乗って、このような道を走ろうとは夢にも思わなかった。

海沿いの三ヶ日の町まで下りて来ても、高速には復帰できない。
東名高速の南側を走る国道362号線を西へ向かう。
東名の渋滞が信じられないくらいにこちらの交通量は少なく、朝日を浴びて黄金色に輝く鄙びた田園の中を、バスはぽんぽんと跳ねるような勢いで走っていく。

この先の豊川ICから東名高速に戻るんだろうな、と察せられたから、僕はカーテンの外を覗き見るのをやめて、再びシートに身を任せた。
カーテンの遮光効果は抜群で、再び座席が闇に包まれる。
名古屋到着が遅れるのは確実だが、意識に膜を張るように襲ってきた眠気も手伝って、なるようになれ、という投げやりな気分になっていた。
暴れ馬に乗っているような猛烈な走りっぷりだったから、熟睡と言うには程遠く、途中、いつの間にか高速道路を走っていることに気づいて安心したような記憶もかすかに残っているけれども、よく覚えていない。

「長らくの御乗車、お疲れさまでした。間もなく、バスは、名古屋駅前VIPラウンジに到着致します」

というアナウンスに目を覚ませば、バスは名古屋市内を走っていた。

「途中、豊川付近での渋滞を避けて一般道を迂回いたしましたので、バスが揺れましたことをお詫び申し上げます。また、そのために1時間ほど遅れての到着となりましたことを、併せてお詫び致します」

時刻は、午前7時半を回っていた。
あのまま高速に乗っていれば3時間遅れだったはずだから、運転手さんの機転に拍手したいくらいだった。
運転時間が長引いても交替できない1人乗務で、本当にお疲れ様だったと思うが、運転手さんの案内放送は最後まで滑らかだった。

名古屋駅太閤通口から数百メートルほど離れた路地に停車した「VIPライナー」名古屋3便を降り、駅に向かって歩きながら、浜松SAで見かけた関西方面行きのバスたちはどうなったのだろう、と心配した。



名古屋からは高山本線で北陸に抜けるつもりだった。

ごった返す名古屋駅コンコースを通り抜けて、自動券売機で8時43分発富山行きの特急「ひだ」3号の指定席を購入しようとしたが、見事に満席だった。
自由席特急券を手に入れて改札をくぐり、ホームに駆け上がると、1本前の7時45分発、高山止まりの「ひだ」1号が出発を待っていた。

「ひだ」1号と3号は編成が異なるので、念のため駅員さんに確かめるまでは、危うく見当違いの場所で並ぶところだったが、席を確保するために1つ前の列車から待つのは久しぶりだった。
指定席利用が当たり前になっていたと言うべきか、多客期に出かけなくなっていたと言うべきか。
少なくとも、携帯やスマホが普及してからは初めてで、ニュースを見たり、妻にメールを送ったりしながら、案外短く感じた1時間が過ぎれば、僕の後ろには長蛇の列ができていた。



スマホでは、高山本線の車窓はどちら側がいいのか、ということも調べていたから、僕は左側に席をとった。
「ひだ」は名古屋から岐阜の間は、座席が後ろ向きになっている。
岐阜で進行方向が変わるためで、つまり、僕の席は岐阜から先は右側ということになる。

「ひだ」はキハ85系ディーゼル特急で、電車に比べれば走りはやや鈍重に感じるけれども、途中、名鉄の2000系特急電車「ミュースカイ」と競争になると、ゆっくりではあるが最後に抜き去る底力を持っていた。
僕だったら悔しがるだろうと思うけれど、名鉄の運転手さんはじっと前方から目を離さず、微動だにしなかった。



市街地の向こうに見え隠れする犬山城、鵜沼の先の「日本ライン」と呼ばれる木曽川、ごつごつした崖に囲まれた峡谷と絡み合うように走る飛水峡、湖の上を渡っているような下原ダム付近や中山七里──

高山本線の車窓はのんびりしていたが見所がいっぱいで、4時間あまりの車中で飽きが来ることはなかった。





高山で編成が短くなり、わずか3両と身軽になった「ひだ」は、日本の脊梁山脈を縦断して富山平野に下っていく。
いつしか分水嶺を越えて、神通川に沿っていた。
河岸段丘が開けた場所に建つ無骨なたたずまいの猪谷駅まで来れば、終点まで30分ほどである。

「カミオカンデ」で有名な鉱山の町、神岡まで、猪谷から国鉄神岡線、昭和59年からは第3セクター神岡鉄道が分岐していたが、平成18年に廃止されてしまった。
往年の分岐駅の栄光を思わせる広く荒れた構内に、ぽつんと、2両編成の普通列車が停まっている。



紀行作家宮脇俊三氏が、国鉄全線の完乗を果たすまでを著した処女作「時刻表2万キロ」で、最初に登場する未乗区間が神岡線で、しかも、いきなり乗り間違い、または乗り遅れとも言うべき勘違いのために猪谷駅に置き去りにされた部分が印象深い。

『長いホームの上に私1人がとり残された。
乗客らしい人影はほかにあるはずもない。
改札口に立っていた駅員が、怪訝そうにこちらを見てから、もの憂げに駅舎に消えた。
呆然たる静寂がきた。

高山本線猪谷駅。
よい駅である。
人っ子ひとりいないのがこれまたよい。

山間のホームに立って飛騨側を見渡せば、Y字型の深い谷のなかへ神通川と線路が消えている。
朝靄が半透明の膜となって徐々に上ってゆく。
山肌は樹林に覆われているが色彩は感じられない。
しかし、水蒸気の濃淡が色彩にまさる効果をあげていて、これは水墨画だ。
まさに水暈墨章の妙である』

昭和50年9月の奥飛騨である。
旅の達人であるはずの宮脇氏が、ちょっとした思い違いから綿密に練った計画の中断を余儀なくされる意外性と、それにめげることなく、『よい駅である』とローカル線の小駅の情景を描き上げる見事な筆致は、今でも心に強く残っている。



「ひだ」は、途中、高山で数人の立ち客が出るくらいの混み具合で、12時26分定刻に、小雨に濡れる富山へ着く頃には、自由席に空席も目立ったけれども、乗り換えた12時46分発の金沢・和倉温泉行き特急「はくたか」6号は大変な混雑ぶりで、客室に入るのも苦労するくらいだった。
ここまで来て初めて、ゴールデン・ウィークの洗礼を受けたような気がした。

「ひだ」に比べれば「はくたか」の走りっぷりはきびきびしていたけれど、俊足でならす北陸本線の特急列車は、立って過ごせばこんなに揺れるものだったのかと、妙なところに感心したりもした。
高岡で大勢の客が降りたから、倶利伽羅峠は何とか座って越えることができた。

東京を出て13時間あまりでたどり着いた金沢駅も、観光客で大層賑わっていた。



帰りも夜行バスのつもりだったが、妻がネットでJALの空席を見つけて、僕の名義で予約したと電話をくれた。
はなっから諦めていたから、ゴールデン・ウィークの真っ最中に小松-羽田便が取れたとはまさに奇跡である。
妻に感謝した。




小松空港行きリムジンバスは、北陸道から眺めた、黄昏の日本海にゆっくりと沈んでいく夕陽が素晴らしかった。

40年近く前、小学生だった僕が、家族揃って車で金沢に来た時に同じ夕陽を眺め、その荘厳さに圧倒されたことを懐かしく思い出した。
あれは能登を回った帰りの、千里浜だったか。
波の上で揺らめく巨大な太陽に、僕の人生を過ぎ去っていった人々の顔が重なって浮かぶ。

容赦なく流れていく歳月の無情さに、ふと胸がつまる思いがした。




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