【人】に【良】い事。 それが【食事】 -2ページ目

色んな一年が経過しました。

様々な思いの1年が過ぎようとしています。

阪神淡路大震災を体験したのは中学生の時でした。

その頃は関西はまだ行った事が無く、全く揺れなかった東京で生きてた僕は
TVの中の関西地方では凄い事が起きていると
TVの中のSHOWを見ているような、とても現実の物として理解する事が出来なかった。

あれから何年の月日が経ったのでしょう。

去年の今日。

3月11日

今度は関東地方を含む東日本が揺れました。

HANAKOと言う雑誌に掲載してもらった翌日で
これでやっと集客が出来るんじゃないか!?
とワクワクしていた3月11日ランチ

その日は猛烈なる空振りに終わり
14時半を過ぎてもお客様はゼロ

HANAKO効果が無いというよりも
ここまで見事に集客出来ない店も凄いな。

そう思ってた時、吉祥寺も揺れました。

最初の揺れも長く大きく
それが徐々に大きく育って近付いて来ている様な
恐怖感を感じました。

僕は厨房の火を消し、ガス栓を閉め
女房と一緒に外に非難すると
店の前は歩けないほどの人で溢れかえってました。

近所の高層ビルの上部は大きく揺れ
周りの人が地震に酔い始め、立ってるだけでも
ユラユラ揺れてる感覚が残る大きく長い地震でした。

携帯電話は不通になり
様々な交通機関は麻痺し
東京はパニックに包まれました。

暫くすると震源が東北にあると知り
僕は大切な友人の安否が気になりました。

山口美幸さんです。

彼女は無事でしたが、とても安心出来るような状況に無く
とても心配でした。

その日は閉店して家に帰りTVを見ると
東北地方ではCGかと思えるような津波が街を飲み込み
普通の世界じゃない世界に姿を変えさせられて居る東北がありました。

本当に怖かったのを思い出します。

山口さんの家は沿岸部ではないので津波の被害は無かったものの
山口さんを取り巻く環境は、やはり今までとは大きく変わってしまいました。

そんな中、色々な人が【山口さん通信】として被災地の今を送ってくれ
僕達は被災地の生の声を聞くことが出来ました。

決して色褪せさせてはならない想いを
僕らが皆、感じ始めたのが
一年前の今日です。

3月11日
本当に日本が大きく変わった日です。

今となっては原発の問題ばかりですが
被災地では、まだ放射能より復興だと思います。

将来的に人体に影響を及ぼす何かより
生まれ育った街を壊滅させた津波
全てを壊滅させられた街
全てを壊滅させられた産業

せめて津波被害を大きく受けた地区がそこから立ち上がって、立ち直ってから
放射能だか何だか分からない物を心配しようよ。
原発反対も良いけど
もっと復興を!が先じゃない?

僕らはずっとそう思って義援金を募ってきました。

1口300円の義援金が5万円を超え
店で集めた義援金と、クゥーチャイからの義援金を足すと
10万円を超えてます。

そんな皆さんからの想いを持って
15日に宮城県名取市に行ってきます。

皆さんが足を運んで届けて下さった想いですから
ちゃんと自分の足で届けてきます。

1年お疲れ様
まだまだ一緒に頑張ろう会 in 名取

を開催してきます。

美味しいカレーともち米と
美味しい鶏肉と、豚肉を持って行って来ます!

3月15日

クゥーチャイ in 宮城県名取市

食事ってのは
人に良い事って書きますからね。

それまで義援金を待ってます!!

皆さん、一緒に行きますか?

12月2日~12月4日まで



クゥーチャイ1周年有り難う御座いますキャンペーン開催します!

乾杯生ビールが無料!

それからは1杯100円です!

しかもキャンペーン最終日の12月4日は私の誕生日!


頑張れ俺!

立ち向かう臆病者になるべく34歳になるんだぜ!


皆さん宜しくお願い致します!

11月3日は

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深津飛成です。
ど~も。

11月3日の木曜日は、休日なのでランチからバッチリ営業して居ります!

徐々に変貌を遂げて居る吉祥寺クゥーチャイ。

皆様、是非遊びに来て下さい。

今は梅酒のキャンペーンをやってます。

実は梅酒ってタイフードに合うんです!

クゥーチャイの料理には合うんです!

だもんで、色々な所の梅酒を取り寄せてみました。


色々と飲み比べて見て下さい。

ランチは12時~15時
ディナーは18時~23時30分(L.O 22時30分)

お待ちしちょります。

飛成

山口さん通信



今日の山口さん通信は、以前牧場のことを書いてくれた まーちゃん の友人の、のびたんが書いてくれました。



私は現在ブータンで青年海外協力隊員として活動しています。

ブータンはインドと中国(チベット)に挟まれた場所に位置し、国全体の大きさは九州よりやや小さい程度、国全体の人口は80万人ほどの小さな国です。主な宗教は仏教です。

私はここで、主に乳牛の飼育管理指導の仕事に関わっています。

震災時、私はブータンにいました。私の実家は宮城県岩沼市にあり、家族や沢山の友人達が県内に暮らしています。

このため、震災が起こってから数日は生きた心地がしない思いでした。

インターネットやテレビから得られる情報をみながら、何もできない自分に歯がゆい思いをしながら、ただ皆の無事を祈るばかりでした。

ブータンにおいても、日本での震災は大きなニュースでした。そして、日本の人達のために少しでも何かしたいという思いから、色々な活動が行われました。


国王、そして首相らが主催となってお寺でバターランプに火を点して、祈りを捧げるというのは、最初に行われたことでした。


その後、ブータン各地でも同様のお祈りが捧げられていました。

私の任地でもここの地域の方が主体となって祈祷会が開催され、私達在ブータン日本人も招かれました。

ブータンの方から、‘ブータンは日本に沢山お世話になっているのだから、何か少しでも自分たちに出来ることがしたい’と言っていただき、その温かい心に胸がうたれました。

その後も、コンサートなどによるチャリティーイベントが行われたり、学校からは日本の子ども達にメッセージを送るといった活動も行われました。

ブータンは経済的に豊かな国ではありません。なので、金銭的な援助などは、それほど大きなものとはならないのも確かです。それでも、日本を思ってくれる気持ちは確かで、だからこの思いが日本の皆様の心に少しでも届いて、ちょっとの助けになればなと思います。

震災後の情報はほとんど入らなくなった今でも、時々ブータンの方から、実家の方は大丈夫になったのか?と聞かれることがあります。

その際、幸い私の実家は、海沿いではなかったので大きな被害もなかったため、‘大丈夫だよ’と答えるのですが、‘海沿いはまだ時間がかかると思う’とも答えています。そして、時間はまだまだかかるとはわかっていますが、早く、‘もう全部大丈夫だよ’と、ブータンの人に答えられる日が来ればいいなと願うばかりです。

つたない文章でしたが、色んな国の人が応援してくれているということが伝わればなと思い、文章をかかせていただきました。被災された皆様が心安らかに暮らせる日が一日でも早く来ることを心よりお祈り申し上げます。


山口さん通信

女子格闘家で、現在は女子ボクサーの角田紀子選手が、8月7日のA先生の通信を読んで、ハエ取りリボンや、虫さされの薬などを送ってくださいました。

昨日、先生へ渡してきて、今日石巻に着きます。
石巻で物資の必要な仮設住宅を確認して届けられるそうです。

先生も、支援してくださった方にくれぐれもお礼申し上げてください。本当に有り難うございます!
といっておられました。

あたたかいお気持ちに感激しています。
仮設住宅の方々もたいへん助かると思います。

ありがとうございました。

山口


そして今日は、山口さんの友達の東十条さんの友達の仙台在住のMさんが綴ってくれました。


徐々に我が広がって来てて良いですね!

これからも輪を広げ、東北の皆さんが体験した震災の声を発信して参ります。

色褪せちゃダメな事。

過去の話にしなきゃダメな事だからこそ、今は徹底的に向き合わなきゃダメな事。


小さな発信ですがずっと山口さん通信を続けます。

これを読んでくれてる東北の被災者の皆様

もし発信したい事がありましたら送って下さい。

小さな発信ですが、僕が発信します。

小さな発信ですが、確実に大きくなってます。

これからも山口さんと手を結んで、しっかりと発信して参りますので、是非とも声を残して下さい。

どんな言葉も被災地で戦う皆さんに届きます。

山口さん通信への書き込みは、山口さん通信の内容にそった物でお願い致します!

この小さな発信を、皆さんの力でもっと大きく育てて下さい。



それでは今日の山口さん通信です。



震災当日、私は仕事中でビルの6階にいました。

会社の中はコピー機やデスクがひっくり返り、壁も剥がれていました。

外は大パニック。罵声やクラクションが鳴り響いてて、吹雪、晴天、吹雪…と目まぐるしく雲行きが変わり、映画を見てるみたいでした。

帰路についた18時には真っ暗。街灯もなく家も店も停電。電線は切れ、壁は落ち、信号も停止。交通機関は麻痺。徒歩の帰宅者たちの波。

会社の中では「ジェットコースターみたいだったねー」なんて話していましたが、見たことがない街の風景に思っていた以上の被害を感じ恐ろしくなりました。


震災以降『絆』という言葉を目にすることが増えました。


私自身がその言葉を感じたのは近所の方たちとの交流です。

いつもはヤンチャな感じで、挨拶も交わさない雰囲気の高校生のお兄ちゃん。

『大丈夫でしたか?避難所になってる小学校なら誰でも新聞貰えますよ』
って声をかけてくれました。

聞いてみると両親は不在でお姉さんと二人で被災したとか。

お互い助け合いましょう!

って自然と言葉が出ました。

衣食住の中でも重要な『食』。救援物資だけではどうしてもバランスが崩れます。

避難所では畑を持っている方たちが野菜を持ち寄って献立を考えていました。

美味しいものを食べて欲しい!

栄養とらなきゃ!

ってご高齢の方々が頑張っていました。

私も少しばかり炊き出しを手伝いました。

正直、今までは偽善的なボランティアはやだなと思っていて…。

協力したいと思ったのは初めてだと思います。

しかし、『絆』とはかけ離れた出来事も。

私の夫が働いていたお店は震災前から自転車操業。

給料も未払い分があり…。

そこに震災。

支払われる事は諦めていたし、仕事も失いました。

ところが、2ヶ月後、東京に新店オープンの広告を発見。


“被災した地から…”

を売りにTVに取り上げられたとか。

誰かの幸せは喜ぶべき事。

でも何か悲しい気持ちになりました。

もちろん、連絡はありません。

この震災を通して様々な人と関わりました。

悲しい出来事もありましたが、自身を見直す機会や、思わぬ優しさに触れる事も。

心配してくれた友達、親戚の皆さん本当にありがとう!

ケガもなく、今を迎えられる事に感謝。

与えられた命だと思って大切に生きたいと思います。