母さんが生きていた。
それはにわかには信じられないことだったが、親父がふざけてそんな話を持ち出すわけもなかった。
よかった…
心の底からそう思った。
じんわりと溢れるものに目の前が霞む。
恐ろしい事情が付きまとっていたが、それでも亡くなったと思ったその人は生きていたんだ。
泣いてる場合じゃない。
しっかりしないと…
サクライを取り巻く様々な思惑が、綺麗ごとでは済まされない事態を生んだに違いない。
そして、それは今現在も俺たちが関わっていかなくてはならない世界だった。
「はっ、それでお母さんは今どこに…?
アメリカ…?」
だが、その俺の質問に、親父は困ったような表情をして見せただけだった。
なんだ…?
<翔…。>
すぐ俺の横にいた横山さんが、そう俺の名まえをつぶやいた。
奇妙な違和感。
彼女は先ほど俺を気遣って背中をさすってくれていた。
てっきり親父の愛人の正体は横山さんだとばかり思ってしまったが、母が生きてるならそれは勘違いなのだろう。
だが、何も言わないままでいる親父の様子に、俺はだんだんと不審なものを感じ始めていた。
まさか…
親父だって、母は亡くなっていたと思っていたはずだ。
もしかしたら…
そんな考えが頭をよぎる。
俺は我慢しきれず、横にいた横山さんを振り返ると、そのままじっと彼女を凝視した。
少し驚いたかと思えば、すぐさまにっこりと微笑み返された。
疚しさのかけらもなさそうな…
「なんで俺を…。」
呼び捨てで…
そう思いながら、彼女を見つめているうちに違和感をおぼえる。
優しい花の香り…
出会った頃、彼女が母と同じそれを纏っているのが嫌だった。
あの頃の厚化粧ではなく、それは…
「なっ…。」
<翔…。>
「まさか、そんな…。」
驚きを隠せない俺に彼女が笑顔を向ける。
智くんによく似た面差しは…
「お母さんっ!」
<うん。>
俺は正面の親父を見ると、口をパクパク動かしていた。
気持ちが急いて声が出ない。
どういうことだ。
じゃあ…
「なんでっ!」
ずっと黙っていたんだっ!
『彼女が葉月だと知ったのは私もごく最近だ。』
<それについては…ごめんなさい…。>
「ごめんなさいで済むことかよっ!」
『翔…。』
「ごめんなさいって、そんな簡単な…。」
『簡単な話じゃない。さっきも話したが、葉月が命を狙われているのは今も同じだ。』
なっ…
衝撃のあまり言葉に詰まる。
『生きているのがバレるのはまずいんだ。
だがら慎重をきさねばならん。和也たちに知らせるのはまだだ。
どういうことか、わかるな…?』
さすがに意味が飲み込めた。
今、こうしてこの場で密会をしていることがバレるのすら、親父は要注意だと言っているんだ。
背中に冷たい汗が滴る。
だが、それとは対照的に優しく温かな手が、俺の手に添えられていた。