復帰が延期になって適応障害の意味をやっと知った話  2 | クララの思うところ

クララの思うところ

ブログタイトル変えました。
旧タイトル「30女の思うところ」

元ニート、社会不適応者なクララが、

スピリチュアル、AC、発達障害などについて書いてます。
自分大嫌いだった私が、少しずつ自分らしく生きる記録。

※ペタ、いいね、は基本しません。

前回の無理ゲーの話は、置いといて

(※もはや私には攻略法が思いつかないので、投げた)

 

復帰が延期になって初めて、自分の適応障害の症状を誤解していたかもしれない、と思い始めた。

 

白状すると、私自身が適応障害という病気が本当に存在するのかあまり信じてなかった。

うつ病ではないし、ストレス環境から離れさえすれば症状が治まるなんて、

誰だって行きたくない会社や学校に「行きたくない」気持ちを我慢したり、うまく折り合いを付けたりが下手なだけじゃないかと。

 

………上の文章は、わかりにくいけど、つまり、適応障害なんて甘えとまでは言わないけど、そんなたいした病気ではないと思っていたのだ。

 

だから、てっきりすぐに復帰できると思っていた。

なぜなら

「つい最近まで働いていたんだから」

 

休業する前に戻るだけだと思っていたのだ。

しかし、そんな甘いものではなかった。

 

休業が決まった直後に一瞬楽になったのだが、

その直後に、なんかねっとりとしたきつさがずっと続いていた。

(気が付かないようにしてたけど)

 

復帰が延期になってやっと気が付いたが、それは溜まりに溜まったストレスの反動みたいなもので、

ストレスって多分、表面的なストレスと、心身にふかーく刻まれた潜在的なストレスと2つあるんではなかろうか?

(私の勝手な解釈です)

 

表面的なストレスが取れたことで、深いストレスが表面に浮き上がってきたのが今のクララの状態ではないかと。

 

働いていた会社は決してものすごいブラックではない。

東電とかブラック企業の社畜自慢をする人達の働いている会社に比べたらはるかに良心的だ。

過労死ラインなんて全然届いてない。

ただ、普通に働くだけ。

 

それでも、私は「無理」をしていたということ?

 

本当はずっときつかったということ?

 

図書館で何気なく手にとった本に書いてあった一文

 

「プツンと糸が切れたように……」

 

この一文を読んで「あ」と思った。

 

それだ。張りつめていた糸が切れたのか?

だから、単純に休業前に戻ればいいという問題ではなく、切れてしまった糸はなかなか簡単には戻らないのではないかと思い始めた。

 

そしてよーく考えたら、

休業中だというのに、私は決して元気一杯ではない。

 

外に出るのはすごく、体力がいるし、

外で過ごすのはすごく疲れる。

人と関わると疲れ方がもっとひどい。

午前と午後に両方予定を入れると(通院と運動教室など)

あくる日、昼過ぎまで起きられない。

 

これって休業中なのをいいことに私がだらけているだけだと思っていたのだが……

 

確かに、通院のある日はどんなにきつくても病院に行ける。

働いていた時も、きつい日はいくらでもあったけど(というかほぼ毎日かもしれないけど)会社に行っていた。

 

働いていた時の自分を「平準」だと思っていたのだが、

休業している今の自分がもし「平準」だとしたら?

 

私フルタイムで働けないってこと?

 

ああもうどこまでが甘えで、どこまでががんばってるなの??

 

……無理ゲーがますます無理ゲーになった。

 

という話でした。

 

 

≪追記≫

日本には、すべての人が同じ努力をすれば同じ能力になるという信仰があって。

学校教育から。

限界までがんばらないと「がんばった」とは認めない空気があると思う。

 

「いじめられてつらい」→「気にしなければいい」

「長時間労働で辛い」→「みんなもっと長く働いてるよ?」

 

「いじめを苦にして自殺」→「かわいそうに学校は何をやってたんだ!」

「長時間労働で過労死」→「かわいそうに会社は何をやってたんだ!」

 

上の2つの間がなさすぎる。

私は結局、本格的に体を壊すまで限界までは頑張れなかった。

だから、理解してもらえないだろうな、とどこかで思ってるし。

そんな社会で生きていくのが正直辛すぎる。

 

 


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