妖怪かわいそうクララの負のスパイラル | クララの思うところ

クララの思うところ

ブログタイトル変えました。
旧タイトル「30女の思うところ」

元ニート、社会不適応者なクララが、

スピリチュアル、AC、発達障害などについて書いてます。
自分大嫌いだった私が、少しずつ自分らしく生きる記録。

※ペタ、いいね、は基本しません。

ふと思いついた仮説を記録。

 

私は多分「妖怪かわいそう」である。

 

それは幼少期の母との関係にさかのぼる。

母は今思えば厳しい人で、

 

父は仕事

母は家事と子育て(他地域の集まりなどいろいろ)

子供は勉強と家の手伝い

 

そういう風に役割分担があるものだと信じていた。

その価値観が押し付けだと疑ったこともない感じである。

 

が、私は集中力がすぐ切れるので勉強をしなかった。

試験勉強も受験勉強もせず、寝たり漫画読んでばかりいた。

 

家の手伝いもしなかった。

なにかを習慣にするということがなぜかできなかった。

 

そしていつも疲れていて眠かった。

(母に言わせれば運動不足)

 

私はどこかで、自分はこの家で「エサ」をもらってはいけないような気分をいつも抱えていた。

 

ただ飯食い。

 

緑野家の人間としての責務を果たさずに、学費や食事だけもらっている。

 

そのことに罪悪感をいつも抱えていた。

 

そんな私が無意識に「妖怪かわいそう」になろうとしていた。

 

私は体の具合が悪い。

私はいじめられている。

私はなんにもできないダメな子。

 

……ほらかわいそうでしょう?

だからエサをちょうだい。

 

両親にそのアピールして養育してもらおうとしていた。

こまったことにそのアピールは母にはあまり効かなかった。

 

母は、「本当にかわいそうなの? もっとかわいそうでも頑張っている人いるよ? 本当はもうちょっと頑張れるんじゃない?」

って考えの人だったから。

 

それでも私にはそれ以外にエサをもらう方法がなかった。

 

正規のエサをもらう方法は、勉強して、家の手伝いをして、親を満足させてもらうことだけど、

それはなぜかできなかった。

 

だから私はあんまり効かない「かわいそうアピール」をずっと続けた。

 

が、一方で自分自身が「妖怪かわいそう」だということに気が付いていた。

なぜなら鋭い上に言われたくないことをはっきり言うタイプだったから

「あんたそれはエサが欲しくてかわいそうアピールをしているだけでしょ?」と見破っていた。

 

私はそれでも、かわいそうアピールをやめなかった。

生きるために。

 

でも本当は嫌だった。

 

こんなの痛いよ。

こんなの本当は狡い。

こんなの恥ずかしいよ。

 

妖怪かわいそうをやっていて一番辛いのは、かつて母にされたように「本当はかわいそうじゃないんじゃないの? もっとがんばれるんじゃないの?」ってつっこまれることである。

 

 

私は今、適応障害で休職しながら、既視感を覚えている。

 

かわいそう、で会社にようやく生かしてもらっているのに。

 

「この人はかわいそうじゃない」って認定されたらどうなるんだろう。

「私、かわいそうなんです」ってアピールが上手くできなかったらどうしよう。

 

そう考えると恐ろしくてしかたない。

 

でも、こまったことに私はそれ以外の方法でエサをもらう方法をしらない。

 

自分でエサを得る方法も知らない。

 

だからなるべく「誰が見ても本当に絶対かわいそう」になるまで我慢して、最後の最後にものすごくものすごく謝りながらエサをもらう。

 

私はそういう生き方しかできない。

 

妖怪かわいそうが幸せになるには?

どうしたらいいのでしょう?

 

自分が妖怪かわいそうだという自覚のある妖怪かわいそうは。

けっこう辛かったりする、という話。

 

 

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