死んだまま無理やり立っているテレビ局報道 | 気になる映画とドラマノート

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テレ朝報道ステーションは、最近、ますますタチが悪くなってきた。
コメンテーターが、すさまじい似非学者のふたりで、憲法学者の木村草太と現代史家の中島岳志だ。

 昔、映画界は、五社協定といって、大映は、大映の専属俳優、東映は東映の専属俳優というかたちに囲いこんで、俳優がどの映画会社の制作する映画にも、自由にオファーを受けて出演する事を妨害する時代があったが、現在のテレビ局は、例えば、中島岳志は、朝日新聞の審議委員であり、朝日新聞と関係が深いということがまずあっての、立場からテレ朝のコメンテーターとして、話をする。

 中島岳志がもし、ほんとうに辛辣に朝日新聞を批判しはじめたら、朝日新聞が審議委員を依頼し続けるわけもないので、中島岳志は、朝日新聞に同調することを表明したようなものなのだ。

 一方憲法学者の木村草太の講演録は札付きの岩波書店「世界」に掲載されている。岩波書店「世界」といえば、ソ連、中国、北朝鮮を礼賛し、北朝鮮の人権問題、拉致問題が確定すると、韓国礼賛にシフトした被害ビジネス、偽善商売の典型の出版社なのだ。

 木村草太は、その講演で、しきりに、辺野古の人々に詐欺のようなウソをふりまいている。木村草太は、「辺野古の住民の方々は、住民投票をして、その結果によって、辺野古の基地建設を拒否できるんだ、と説く。

 出来もしないことを説いて辺野古の人々を迷わせているのである。
 成田空港の例を見れば、わかるように、住民投票が絶対だというなら、今頃、成田空港はないから、日本人はいまよりももっと、不便で、外国の人々も日本に来ることが出来ないハメになっていることになる。

 この種の事業というのは、住民投票にゆだねれば、地域エゴによって、「なんでよりによってここなの」「他ならいいが、自分のところだけはイヤ」という例をあげるにイトマがない。

こういう主張をする木村草太がいかに、口当たりのいい夢を見させて、知識人ぶる阿呆かがわかろうというものだが、そういう憲法学者をテレ朝はコメンテーターとして採用する。

 日本人は、こういう状況を不思議に思わないらしいが、この状況は日本のメディアに退廃的な影響を及ぼす。つまり、TBSは、毎日新聞編集委員をコメンテーターにして、日本テレビは読売新聞記者をコメンテーターにする、テレ朝は、朝日新聞の記者、あるいは、朝日新聞と懇意な学者をコメンテーターにするという現状はやめて、かならず、半数は、別な新聞社の記者をコメンテーターにする、というくらいでないとテレビ局は、報道の自立性を放棄しているに等しい。

 事実、新聞社に関係ないコメンテーターにしても、報道番組のはじまる前の打ち合わせでは、彼らは、フジテレビでは産経新聞のコピーを読まされ、TBSでは、毎日新聞のコピーを読まされ、またテレ朝では朝日新聞の記事を読んで、場当たりにコメントを求められて、朝日なら朝日の社説を参考に思いつきの意見を述べて見せることになる。

 そういうわけで、見る側からすれば、今のテレビ局のコメントは茶番なのだ。もっともらしい事をキャスターとコメンテーターが掛け合い漫才をしているが、それはその日の系列新聞の社説の枠内に沿った見解なのである。

 朝日新聞審議委員でテレ朝コメンテーターの中島岳志は、7月16日に、「民主主義は多数決だと思っている人は多いが、民主主義は、少数者の意見を取り入れて成り立つ」と言っていた。

 まったくのまちがいである。
 たとえば、脳死法制化、死刑制度の廃止存続論、少年法の年齢問題をみればわかるように、最終的には、かならず、ある立場は退けられ、ある立場が法制化されるという自体は、民主主義社会でも、避ける事はできない。

 中島岳志のいう「少数者の意見を取り入れる折衷原則」は、民主主義の重大原則でもなんでもない。

 民主主義の肝心な点は、
 民間のレベルでは、メディアがなるべく事実を報道して、恣意的な編集、曲解をしないメディアが多く、国民が自力で判断する材料が示される条件がそろっていること。

 政治制度においては、国民が公約を破ったり、ウソをついたり、重大な問題を国会自体が無視する場合に、デモをしても逮捕されない自由があること。(たとえば、拉致問題を自民党も社会党も無視していた場合には、デモはしてもよい。また、ギリシャのように、緊縮反対公約を破った政治家はデモによる抗議を受けざるを得ない。)

 岸信介時代の安保闘争の事をよく考えてみるがいい。あのデモは、けっして国民の声だと言えないのは、岸信介の前の選挙も後の選挙も、自民党を国民は選択したのである。

 今回の安倍首相の場合も、国民は、かねてから、安倍首相は、戦後レジームからの脱却を掲げていることはよく知った上で、自民党政権を選択した。そして、日本というのは、国民は政権をリコールする事が可能な制度的保証があり、言論の自由が現にある以上、手続きに則っての、法案成立に、いっさい、強行などという形容の余地はないのである。

 なおかつ、日本の場合、責任意識の強い自衛隊員は別として、危険なことはいやだ、という自衛隊員がもしいるなら、退職の自由はあるのだから、何の心配もない。