朴裕河パクユハ著 「帝国の慰安婦」を読む 終わり | 気になる映画とドラマノート

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 113.韓国政府の女性に対する人権侵犯。

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 2012年の林博史「米軍基地の歴史」によると、


 韓国政府は、1951年の国連軍16カ国向けの慰安(遠方の戦地の憂さ晴らしの方法として、)として、ダンスホールと慰安所設置を決定した。

 同時に韓国軍兵士に対しても、慰安の目的で、特別慰安隊を結成させた。



 1952年の上記目的のための軍人向けに特化した風俗嬢は、89人。

 1954年の時点では、2564人だった。


 ※朴裕河は、日本の場合とちがって、こんなに少ないんだ、と言っているのは、興味ふかい。


 そして、この時の国連軍向け慰安婦体験者のキム・ヨンジャによると、韓国の村人たちは、「「汚い女ども」と陰口を叩きながら、田舎の村のありったけの部屋を提供して、こづかいかせぎをした。また、畑のそばに屋台をだして、コガネ稼ぎにせいを出した。


 ※わたしの知るところでは、日本の米軍基地周辺にも、米軍兵士向けの簡易風俗店が作られて、「黒人兵を黒豚、白人兵を白豚」と日本の業者の呼び込みが客の種類を符丁で話して、白人の人種差別に配慮して、別々に部屋を案内するという事例があった。


 2009年1月9日のインターネット新聞「ニュシス」では、「こうした国連軍向け慰安婦」の体験者たちが、はっきりと、「韓国は自分たちの醜い歴史をかえりみずに、日本に対して慰安婦賠償を要求するような偽善をしている」とまで、言うようになった。


 また、韓国政府が設置した基地村にはあ、フィリピン女性も含まれていた。

 フィリピン政府は、「韓国の風俗業者を」相手に、訴訟を起こした。


 「そのような需要を作ったのは、韓国政府だ」と朴裕河。


 2006年になると、(韓国政府の韓国人女性の風俗の取り締まりが強化されて、韓国人女性は、海外に出稼ぎに行き)その代わりに、中國人朝鮮族、ロシア人女性が、米軍基地周辺に入ってきた。その前は、フィリピン、ペルー人が盛んに来た。


 韓国が経済力をつけるようになって、より貧しい国の女性たちが、韓国に来て、風俗に勤めるようになっているのが、真実の姿だ。


 これがほんとうの姿なのだから、あまりにも、日本の人権派は、善良すぎないか。

 わたしは、いつも、「サルバドル遙かなる日々」のラストを思い出す。

 「もういい。ほっておいていいから」と黙って耐えているのは、いったいだれなのか。


最後に、もうひとつだけ、考えるヒントをひとつ。

 ローマ史の紹介者で有名な塩野七生(しおのななみ)が次のような興味深い事を言っている。神戸に住むオランダ人の20代の青年が、日本の製品をインドネシア(当時オランダの植民地)に輸出する仕事をしていた。


 結婚して、ジャワ島のスラバヤに引っ越しして暮らしていたところへ、戦争が勃発。日本語を話す事のできる彼を日本軍は、通訳として雇ったが、彼は日本軍の情報をオランダに流したので、逮捕され、5年の刑に服する。


 この時、このオランダ人は、インドネシアの「オランダ人女性収容所」に一時収容された後に、オランダに帰国するのだが、この「オランダ人女性収容所」とは、何なのか、というと、オランダ人とは、インドネシア人をこきつかった支配者だったので、インドネシア人の怒りに駆られた復讐からオランダ人女性を保護するための目的で日本軍が作った収容所で、それを日本軍が維持していたのだという。


 塩野七生は、日本軍にそのような公正な行動の側面があったことを、そのオランダ人男性を、日本政府が探して、その当時の事を証言してもらってはどうか、と言っている。


 これは、朴裕河のいう日本の慰安婦とは、日本内地に日本人、朝鮮系の日本人、台湾系の日本人だったのであり、(日本・台湾・朝鮮は、当時は仲間うちだった)オランダ人は、敵国の女性であったからこそ、保護したという区別になるという逆説的な現象が生じているという証にもなる。


 韓国の人々は、「日本人としての徴用労働」を「まるで他国の國民が強制連行された」と称するように、それは、「当時朝鮮人は日本人だった」という事実を押し隠して、あたかも、他国の女性が強制連行された状況と錯覚する事につながっている。


 よく考えると、韓国政府、韓国の団体、朝日新聞は、韓国女性が、当時日本人ではなく、「韓国という国の國民」であったかのように、錯覚した上で、強制連行されたと言っていることになる。そんな錯覚などしていないと言うなら、九州・東北出身の女性もまた、「強制連行」されたと言わなければならなくなるではないか。

 だが、日本の女性が「女性の人権を侵害されて、強制連行された」などという表現を聞いた事がない。これは何を意味しているかというと、韓国の支援団体、および、日本の左翼マスコミが、「当時、半島の人々は、日本人だった」という前提に目をつぶった上で、あたかも、他国との関係での出来事のように、語っている事を意味する。


 だからこそ、朴裕河は、しきりに、朝鮮人は、日本人だった。だからこそ、同胞同国人への「お姉さんによる慰安」なのだ、という。朴裕河によると、当時、朝鮮女性もまた、割烹着を着て、日本人女性と同じ格好をしていた場合は多かったという。だからこそ、連合軍は、韓国を勝戦国と認めなかった。日本敗戦まで、韓国という国はなかったのであり、大韓民国というのは、日本から切りはなされた半島にあらたに建国された国なのである。ところが、韓国は、あたかも、大韓帝国と韓国に連続性があるかのように言う。


李氏朝鮮王は、高麗の将軍であり、高麗王と李氏朝鮮王は造反敵対関係であって、なんの正統の継続性もない。アメリカと英国の歴史が別物であるように、高麗と李氏朝鮮は別物であり、そのような意味では、百済、高句麗、新羅、後高句麗、後百済、それぞれの王族が琉球王と同列の別の国だった。

 日本の戦国武将にあたる存在なのであり、日本の場合、武将の上に天皇がいたが、朝鮮では、朝鮮王の上に、シナの皇帝がいた。


 アジアで、王と自称すること自体、皇帝の下に入ることになる。


世界に植民地という概念が登場する前から、朝鮮半島には、唐に服属する国、、モンゴルに服属する国、明に服属する国、明を倒した清に服属する朝鮮というように、シナ大陸に興亡する異民族に服属し、文化もその都度同化するという、服属と同化の連続史だった。36年の植民地というのは、半島に興亡した政権にとって、はじめての屈辱ではなく、むしろ常に変わらぬ被属国状態だった事は、高麗のモンゴルとの関係、イ・ソンゲの明国との関係。仁祖と清國との関係を見れば明らかだろう。さらに、日清戦争の直後になぜ、李氏朝鮮王は、大韓帝国「皇帝」をなのったのかを考えてみればよい。それは、清國から独立した証なのだ。そしてたちまち日本の保護国になった。

 光復とは冗談みたいなもので、朝鮮が独立国だったことは、歴史上皆無といって過言ではない。



すなわち、韓国人は、36年植民地を気にかけるが、元来、一貫して、唐の属国、モンゴルの属国、明国の属国、清國の属国となり、つかのま、皇帝となった短い時期があった。


 その間、貢女を強要され、王の嫁をモンゴル王族から取ることを強要され、李氏朝鮮の仁祖は、息子夫婦を人質に差し出した。


 だからこそ、明成皇后と、一代だけ、皇后が存在する。その間、盛んに日本に財政上の借金を繰り返した果てに、国家運営を放棄してしまう。自立しようとした、有意の青年官僚は暗殺してしまい、、文字通り五体バラバラにして晒し者にした。


 憲法は、少なくとも、明治憲法の改正という建前がとられ、天皇の勅語によって施行されたために、日本国は、連続性がたもたれた。

 韓国は、大韓帝国の皇帝を復活させることも、皇帝の象徴化という改正を、大韓帝国憲法の改正手続きによって行うこともしなかったのである。

 北朝鮮は、大韓帝国皇帝を革命によって倒しもしない「革命政権」なのだ。

 本来、共産主義革命政権とは、自国の支配階級を倒して、政権を樹立するものだが、北朝鮮は、日本を倒したわけでもなく、大韓帝国支配階級を倒したわけでもない。大韓帝国支配階級を倒したのは、日本であり、日本が大韓帝国を支配階級を日本に服させたのである。


 本来、韓国が、李氏朝鮮の継続形態である王政を否定して、アメリカのような大統領制がいいというなら、自分でそうすべきだった。ところが、それを可能にする荒療治をしたのは、日本にほかならなかった。


 韓国人が、日本の強制を拒絶するには、いったん、李氏を皇帝として迎え、そのうえで、國民の投票によって、帝政を廃止すべきだったのである。


  イスラエルがユダヤ民族によって、新たに建国された若い国家であるように、実は、北朝鮮も、韓国もあらたに半島に作られた国家であり、もし、日本が、北朝鮮や韓国に過去について謝罪しなければならないというのであれば、それは、日韓併合が無効で、併合という名の侵略だった、という前提が成立しなければならない。


 だが、併合条約それ自体が違法だというなら、ハワイ併合はどうなるのか、と言う事になってしまう。また、漢民族にとって、チベット、ウィグル、満洲を他民族地域の併合をしたのではないかという疑いが生じる。


なお、韓国のドラマが美化されるのは、IMF危機を日本の援助によって乗り越えて自信を持ち始めて以降であって、それ以前の韓国ドラマの脚本家は、韓国古代史を民衆抑圧史と見るマルクス主義史観の影響を受けているために、属国の実態を示す場面が描かれるわけで、決して美化一辺倒とはいえない。


 「ホ・ギュン」(ホ・ジュンではなく、ホ・ギュン)は、明国に牛耳られていたという場面が描かれ、「チャン・ヒビン」もまた、明国に牛耳られていたという場面が露骨に描かれる。また、近年の「花の戦争」では、後金の満洲族に対して「オランケ」と侮蔑しながら、属国化され、土下座をしいられる様子が描かれる。王自身が、売国奴と解釈されている。


高麗時代末期に政治に介入した怪僧の物語「シンドン」では、当時「高麗」の王族がいかにモンゴル文化に同化していたかが、描かれるが、これは、当時の韓国の親日派糾弾の風潮を背景にして、支配怪僧の「売国意識」を批判したものだが、裏をかえせば、高麗時代もまた、モンゴルに売国していた事を韓国國民に教える結果になり、韓国ドラマ史上最大の人気作「善徳女王」は、新羅が「唐」の力を借りて、半島の統一を図った事が示唆されて、現在の北朝鮮・韓国の中国依存を予感させる結果になっている。


 韓国ドラマでは、「妾めかけ」のいたたまれなさ、妾の子のみじめさ、両班と奴婢の身分格差が、現代に通じる格差社会の批判意識の主張をこめて、繰り返し描かれる。これは、日本、アメリカ、フランス、イタリアのどの国の映画にも、描かれていないテーマへの固執であり、まちがいなく、韓国ドラマへの関心の強さは、この特異性が、ある種のまじめな感じを与えた事も確かだ。それは、アメリカの黒人差別告発をテーマにした社会派映画に似た韓国社会の問題の告発の意味があったが、

これは、韓国を知らない在日韓国人や映画プロパーの好事家にとって、韓国の歴史の悲惨さを知らしめる逆効果を与える側面もあった。

 日本の場合、武士と農民の身分差あイは、教科書では、強調されても、映画、ドラマの世界で、身分格差がテーマになることはないが、韓国では、「両班と奴婢の取り替え子テーマ」はほとんど定番なのは、有名であり、日本の韓国ドラマブームを牽引した「イ・サン」も、庶子差別のテーマが含まれ、主人公のイ・サンの父親は、祖父のきちがいじみた家族間拷問(米びつに閉じ込める)によって、熱中症で死ぬ。

 王は、祖父の後妻に命を狙われて、不安な日々を送る。

 まったく、「古き良き時代」のカケラもないのだが、これを在日のドラマ雑誌編集長は、「古き良き時代」と言った。

 暗殺と庶子差別と家族間虐待による死を描いているのに、宮廷の王族の服装と俳優の美男美女のうわつらだけを見て「古き良き時代」と言い張り、韓国人はこのドラマに影響されて、結婚式に王様の格好をするようになった。

 日本の農家の息子が殿様の格好をして結婚式をしたら、滑稽だが、なにしろ、韓国人のほとんどが、自分の先祖は、王族だと信じているのだ。しかも、他人が言うのは、間違いだが、自分の言う「先祖は王族」は本当なのだ、と確信している。


以上の見方は、韓国ドラマファン自身が否定できない事実だろう。この点、韓国ドラマ嫌いの日本人よりも、むしろ、韓国ドラマを丹念に見てきた日本の女性たちの中に、本音のところで韓国の悲惨さと矛盾を知っている人が増えて、韓国ドラマブログの女性たちの中には、とくに、歴史ドラマ好きの女性を中心に、韓国にきびしい見方をする人たちが意外に多い。


 これは、韓国のテレビ局が、韓国ドラマが東南アジアと日本のテレビコンテンツ向けの輸出コンテンツとして有効だと意識していなかった頃の過去作品をも、日本の輸入業者がレンタル店に置くようになった事から、韓国版自虐史観モノのドラマを日本人が見るようになったため、韓国の歴史の中のグロテスクな面を韓国人以上に知るきっかけになった。というのも、韓国人自身がテレビ放送で流し見していたところを、日本人、在日韓国人は、レンタル店でお金を出して借りてじっくりと見たために、韓国人以上に韓国の脚本家の意図する過去の民族史の屈辱と売国の実録を体験して唖然とすることになった。


 なんたる間抜け。韓国歴史ドラマをよく見る日本の主婦は、むしろ、腹の底で、韓国の歴史は無惨だなと確信する人が増えている。


 韓国も北朝鮮も、口をそろえて、「日本民族がわが民族になした暴虐の過去」というのだが、実際は、半島人は、唐、元、異民族の高句麗、明、清・・・・これらどの国、民族に対しても、ひれ伏し、屈辱を受けてきたのであるが、ケロッと忘れて、現在の対外債権国日本に難癖をつけて、国家的「あたり屋」車に自分からぶつかって治療費を取る、よくある詐欺師のふるまいをしようとしている。