日本の韓国・中国侵略史 | 気になる映画とドラマノート

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 アグネス・スメドレーは、「魯迅を想う」という文章の中で、1930年ころに魯迅と会った時、魯迅がスメドレーに「根こそぎにされた中国」の物語を語ったという。

 


 

 魯迅の言う「根こそぎにされた中国」の加害者とは、長い清朝の封建時代の中で、中國人自身の精神が腐敗した」という意味であり、けっして日本を加害国、中国を被害国と言いたかったのではなかった。

 


 

 スメドレーは魯迅の言葉として、貧しかった魯迅は、当時、中国の民族運動に同情的であった日本に留学して、日本の学校で医学を学び、同時に日本語訳によって、ロシアのトルストイやゴーリキーを熱心に読んだ」と言っている。

 


 

 戦後日本では、日本が中国を侵略した、これを認めるか認めないかとばかり騒ぐので、この魯迅の話の意味がすぐには、理解できないほど、歴史について無知になっている。

 


 

 魯迅が言っている日本が同情してくれた民族運動とは、西欧諸国の租界地だらけになって中國人自身も自立心にかける惨憺たる有り様が、「万里の長城」の内側において固定化していたその状況の事を言っていたあのであり、1930年のこの時点でさえ、魯迅は日本人に対してなんの敵愾心も持ってはおらず、むしろ、日本に親近感を覚えていた。

 


 

 魯迅はアグネス・スメドレーに、たいていの病気、中国人の苦しむ病気は、(歯痛、食中毒・感染症などなど)は、貧困と貧困に伴う無知によるものだ、と語った。

 


 

 また、その中国人のそうした病気の原因である貧困の原因を作ったのが、日本だなどと、魯迅は夢にも思わなかった。それは長年に培われた中国人自身の怠惰と清朝政府が、日本人が日本国民に学校を用意したようには、教育を整備しようともしなかった事に原因がると考えていた。

 


 

 戦後日本人は、日本が日清戦争、日露戦争とアジアに侵略を続け、中国人、朝鮮人を苦しめ続けたと把握している人がいるが、魯迅自身はむしろ、日本人は貧しい中国人を世話し、親切に留学させ、医師になるための勉強までさせてくれたと考えていた。

 


 

 また、日本語を覚えたおかげあってこそ、トルストイやゴーリキーがどんな事を考えていたかを学ぶ事ができたのであり、朝鮮語を学んだでもロシアや西洋の事を学ぶ事があできたとは考えもしsなかった。

 


 

 アグネス・スメドレーは言っている。

 

「中国では、穏健な社会文學でさえ、読むのを禁じられていた。」

 

※これは、当時のアジア地域で、穏健な社会文學を読んだり買いたりする自由があったのは、ほかならぬ日本だったことを意味する。

 


 

 日本では、文芸雑誌に労働者出身の佐田稲子の小説やプロレタリア文學の徳永直んお小説と川端康成の「浅草紅団」が同じ号に掲載されるような状態だった。

 


 

 日本が中国の思想の自由をどうこうできるわけもなく、中国自身が、中国国内の言論表現を弾圧して、魯迅の文學は、中国政府の弾圧を避けるために。歴史に材をとって、現代中国をあてこするような手法で書かれたが、それでも、魯迅の小説は、検閲のため、あちこちが削除されて、意味の通らないかたちに改ざんされた。

 


 

 アグネス・スメドレーは魯迅のような作家をごく例外的な立派な文学者として評価しながら、中国のインテリのほとんどを「およそ肉体労働などしたこともないくせにそのくせ、傲慢な態度で、彼等中国インテリのいう「青年」に農民、労働者は眼中になく、「学生」の事しか頭にになく、農民に対して優越意識に凝り固まっている」と腹を立てている。

 


 

 日本が戦った中国とは、そういう農民を小馬鹿にした中国インテリの支える中国だった。

 


 

 アグネス・スメドレーは、中国人の書くプロレタリア文學など、ロシア文学の真似にすぎないと嫌悪を露わにしている。

 


 

 そういう真似にすぎないプロレタリア文學を書いていた中国インテリが後に中国共産党の党員として1949年に中華人民共和国を建国して、今日の腐敗につながっていく。

 


 

 1930年の魯迅は、スメドレーに、「無辜(罪のない)の民の虐殺と人権の冒涜に対する深い憎しみを語った」

 


 

 これまた、日本が虐殺したというのではなく、中国政府が中国の無辜の民を虐殺したのだと語っている。

 


 

 そういう日本は万里の長城の内外をめぐって中国との戦いの泥沼にひきこまれて行った。

 


 

  つい最近、2015年7月初旬、中国政府は100人におよぶ人権活動家を逮捕投獄している。

 


 

 毛沢東は中国共産党のゲリラ活動を自画自賛して、アグネス・スメドレーに吹き込み、スメドレーはこれを真に受けて、「偉大なる道」と題して、英語圏の知識人、日本の進歩的知識人をたぶらかした。

 


 

 「偉大なる道」114ページ

 

「共産党軍が敗北しないのは、軍隊内で民主主義を実行しているからだ。」

 

現代の日本人は、どうしたわけか、2010年ころから、映画「西部戦線異状なし」に出てくる「指導者がまず先に立って戦争をやればいいんだ」という言葉を九官鳥みたいに、真似するようになったが、共産党の指導者たちもまた、率先して、前線に出ていったわけではない。指導者が前線に出ていくような組織は最弱の組織だろう。

 


 

 軍隊にかぎらず、会社の社長が、経営方針を考えずに、窓口に座っていたら、半年もせずに、その会社はつぶれてしまう。

 


 

 「ここではいっさい階級は無くなり、みな自由にしゃべる完全な権利を持っていた。」

 

 会社員なら、この毛沢東の話が法螺話にすぎない事はすぐにわかるだろう。

 

 人間には、大きな構想を持った人物もいれば、短期の目標の達成に長けた人物もいるし、検討ちがいの判断しかできないが、言われた事をまじめに黙々と実行する人間もいる。そうした人間たちが、組織の中で、好き放題に喋り始めたら収拾がつかんくなる。

 

 だが、日本の会社経験もなければ、世間にもまれた事もない進歩的知識人は、毛沢東のこの言葉を文字とおり本当の事と受け取った。

 


 

 毛沢東はスメドレーに話す法螺話の興にのって、「きのうは、敵軍にいて、勇敢ではなかった兵士が、われわれ共産党に入党すると、勇敢な兵士に変わるのは、民主主義の影響である」

 


 

 「傷病兵の傷の治療についても、民主主義の平等精神が行き渡って、重傷者の治療費も、軽傷者の治療費も同じ額だけ給付するようになったので、さすがにこれはダメだと指導した。」

 


 

 こういうすぐわかるウソをついては、民主主義、民主主義と強調している。

 

 だから、北朝鮮の国名は、「朝鮮民主主義人民共和国」なのだろう。

 

 日本の戦後の平和運動のデモをする市民もやたらに民主主義民主主義とくりかえす。


 

学校教育では、「世界史」では、日本の過去を学ぶことはなく、「日本史」では、世界各国の歴史を学ぶことはない。

 


 

 そこで日本国民のおおかたの持つ日本の歴史イメージから抜け落ちる真実が、自国と他国が似たような事を過去にした場合のその比較をしてみないゆえに生じる勘違いの歴史観だと思う。

 


 

 この日本人歴史館の歪みと同じ原因の歪みを、おそらく韓国人も持っている。

 

 西欧諸国がどうしているかわからないが、英仏を比較したり、英米を比較する歴史センスは彼等にはあるのではなかろうか。もちろん、ましな程度にあるという意味だが。

 


 

 いずれにせよ、世界観は比較しなければ何もはじまらない。だからこそ、ドイツの哲学者ヘーゲル、マルクスは、盛んにアジア的支配様式の事を語ったのではないだろうか。

 


 

 日本人も韓国人も、日本の植民地支配について語る時、とにかく、比べもせずに、「世界史に例のない悪逆非道な帝国主義」と決まり文句のように言いたがるのである。

 


 

 比べれば、日本の植民地支配はまだましだった、という結論しか出てこない。卑劣は卑劣だった、という反論があるだろうが、果たして、ほんとうに、比べて、「まだましだった」という結論しか出てこないだろうか。

 


 

 そうではないと思う。なぜなら、同じ「強制連行」と言われるものでも、世界には、朝鮮人の言う強制連行の他に、強制連行の典型例は、少なくとも三例ある。

 

 他にも、あるだろうが、歴史の中で無視されて忘却されてしまっているのだろう。

 


 

 1.ナチスドイツのユダヤ人強制収容所に逮捕拘束連行して行った場合である。

 

 この時のユダヤ人は国籍としては、ドイツ国籍の人が多かった。

 

 2.英国・アメリカの奴隷商人がアフリカの黒人を暴力的に拘束屈服させて、アメリカに連れて行って、人身売買した場合。

 

 3.日本軍降伏後に、ソ連がわざわざシベリアまで60万人の日本人を連れて行った場合。

 


 

 上記の強制連行もまたあ、世界史には、あったと知り、知ればくらべざるを得ない時、これらの「強制連行の被害者」が、抵抗できたのか、できなかったのか、と考えることになる。

 


 

 韓国人の言う「強制連行」とか、「日帝強制占領期」というのは、ほんとうに「抵抗したくても、抵抗しがたいほどの強烈な圧力だったのだろうか、という疑問も生じるし、韓国人自身、もっとその時、やれた事はなかったのだろうか、という反省も出てこよう。

 


 

 こういえば、加害国の子孫が言うべきことではなく、被害を受けた側の反省は、被害を受けた側自身がする、という反論がすぐにでてくるだろう。

 


 

 しかし、そういうことではない。日本人自身が「筆舌に尽くしがたい被害を与えた」(村山談話・河野談話)と思い、韓国人が「世界に例を見ない悪逆非道の強制占領」と考えているかぎり、韓国人自身がみずからの落ち度を反省するはずがない。

 


 

 なぜなら、被害者というものには、二通りあって、多少なりとも、本人の何らかの努力で防止できた被害といかなる努力とも、関係なしに、加害者の圧倒的な悪意によって、被害を受ける場合とがあるからだ。

 


 

 日本人が「筆舌に尽くしがたい痛みを与えた」と言う以上、韓国人が「われわれの被害は、われわれが努力して避けられるようななまやさしい悪ではなかった」と考えるのが、当然だろう。だからこそ、韓国人自身も、ひたすら、日本帝国主義の巨悪を言い立ててやまない。

 


 

 他の世界史のさまざまな出来事の中でも、中国、韓国は、中国、韓国自身に落ち度があっての悲劇を、日本帝国主義の侵略主義にすべての原因を押しかぶせようと血道をあげてきた歴史だ。

 


 

 上に「強制連行」の世界史における実例をあげたが、次に「植民地」の実例をあげてみる。たぶん、多くの日本人も、韓国人も、世界史の「植民地」の実例をあげることは、日本と韓国のほかに、せいぜい英国とインドの例をあげる事ができるくらいだろう。

 


 

 1.アイルランドはイギリスの植民地だった。

 

 その結果、アイルランドの人口は、1841年に820万人だったが、1911年には、444万人と半減した。なぜかというと、この間、栄養失調と、500万人のアイルランド人が、英国以外に移民したからである。

 


 

 ※朝鮮人の場合、中国に脱出移民するかと言えば、続々と、日本の移民してきた。

 

 また、半島の人口は、1910年に1313万人が、1942年には、2553万人に激増した。(32年間。)

 


 

 2.英国のインド統治においては、インド統治のために、英国から来た官僚、下級官吏、英国軍の全費用は、支配されるインド人の税金でまかなった。

 


 

 彼等駐インド英国軍人が退役すると、インド人の税金から、恩給が支払われた。

 


 

 これを日本と朝鮮の関係に比べると、日本から朝鮮に派遣された軍人の給与は、日本本土の日本人の税金から支払われた。

 


 

 インド人が支払った総税金のうち、25%が、毎年、英国に送金された。

 

 朝鮮の場合は、朝鮮人から徴収した税金を日本本土の国家財政に補填したということはなかった。

 


 

 ※1911年から1937年までの26年間は、以上のようであり、1937年から1944年までの約7年間は、朝鮮人の税金からも日本の軍事費にくりいれられるようになった。

 


 

 日本の負担と朝鮮人の税金負担を差し引きしてもしようがない。

 

 要するに、あれ?そんなに、日本は朝鮮人を弾圧したのだろうか、という疑問が沸き起こる余地があるということだ。

 


 

 戦争によって、慰安婦が生まれたのではなく、日本がまったく関わる前の朝鮮時代から、朝鮮には、キーセンと売春の伝統が、日本の吉原などと同様にあったので、日本とまったく関わらなければ、朝鮮は、女性に悲惨な境遇の何物もない人権国家だったわけでもなんでもない。

 


 

 (続く)

 

 漢字ハングル混じり文を発案したのは、福沢諭吉で、明治19年に、「漢城週報」で、漢字ハングル混じり文が用いられた。以後、日本統治時代を通じて、漢字ハングル混じり文が普及した。

 


 

 現在、韓国人の青年たちは、日本語が読めないのではなく、漢字ハングル混じり文が読めないという理由で、1970年以前の学術書が読めない。

 


 

 日本語でしか日本統治時代の表現がないので、日本から脱した後に、文化的断絶にさらされた、というなら日本のせいに出来ようが、実際は、漢字ハングルまじり文が読めないのだ。

 


 

 日本人の思考には、「至高」「賢人」「駅舎」と言えば、ああそういう意味ね、と庶民でもわかるが、韓国人には理解できない。

 


 

 漢字がわからないために、韓国人にはイメージさえできない概念は無数にある。

 

 日本では、「世界最古の日本文化」という教え方をしないが、かわいそうな事に、韓国の子どもたちは、「世界最古の文化」という教育を受けている。

 

 1.高麗時代の金属活字は世界最古(たった2個しか残っておらず、しかも、フランスが持つ。

 

 2.新羅時代の木版印刷は世界最古

 

 3.科学的文字ハングルは世界最高

 

 4.李朝時代の測雨器は世界最古

 

 5.亀甲船は世界最古

 

 6.中国は4千年の歴史だが、「韓国」は5千年と、世界最高でなければ気が済まない。

 

 ついでに、人口あたりの売春婦の数も世界最高だ。

 


 

 などと、世界最古、世界最高とつけられそうなものはなんでも、つける。日帝は世界史に例を見ない凶暴な帝国主義ということになっている。

 


 

 ギリシャ人は自分でギリシャの古代文化の価値を吹聴しなくても、だれもが認めているが、韓国人というのは、必死になって、朝鮮のすごさを吹聴してやまない。

 


 

 朝鮮半島北部に存在して滅びてしまった高句麗を、中国も、韓国も、勝手に自国の歴史の一部とみなしている。

 


 

 フィリピン人がスペインの血が入っているからといって、スペインを栄光の祖先の国とするのが、おかしいように、高句麗とは、むしろ、異民族が平壌に進出してきていたと見るのが正しい。

 


 

 韓国では、現代に近くなればなるほど、自信を持って示すものがなくなるので、証拠のない時代になると、あらゆるものを韓国起源としたがる。

 


 

 韓国では、「柔道」は韓国起源と信じられているが、「勝つと思うな。思えば負けよ。」とか、「負けたのは、自分が未熟だったから」とか、「一本できれいに、文句なく勝ちたい」という観念は、韓国人には理解できない。

 

「柔」の「勝つと思うな」とは、韓国語のことわざ「モ(はずれた道)でもソウルに着きさえすればよい」「正道をはずれても、とりあえず勝つのが先決だ」という考えとは真逆の考えを表している。勝つことを優先すれば、どんな卑怯な勝ち方でも良いことになってしまう。日本人はそれが嫌だと思う人が多いのだ。

 


 

 堂々と戦って、負けるなら、それでもよい、というのが大前提で、そうした気持ちで勝ってこそ、ほんとうの勝利だと考えるのが、日本人だから、結果的には、反則で腕を痛めながら戦って苦しむのは日本人である場合が多い。

 


 

 柔道は韓国起源だとは言っても、そういう精神こそ、韓国人の精神とまでは、言えないのが韓国だ。

 


 

1965年の日韓協定に基づく援助の総額は、日本円にして、約2880億円である。

 


 

 現在の価値にして、3兆円近い。

 


 

 以後も、1983年には、7年間で4816億円。

 

 1998年度までの、韓国への日本のODAは7000億円以上。

 

 1997年の韓国外貨危機では、1兆円近い金を援助している。

 

 POSCOは、新日鉄の技術供与で作られ、ソウルの地下鉄は日本の技術供与とODAで作られた。

 


 

 日本の左翼も、韓国の左翼も、こうした事にまったく、関心がないのは、国家と国家は協力しあう場合もあるとは、夢にも思わず、侵略と抵抗の関係しか眼中にないからかもしれない。

 


 

 さかのぼって、日本統治時代についてはどうか。

 


 

 一般に植民地とは、資源の収奪を伴うものだが、日本は朝鮮半島の人々に金、銀、鉛、タングステンの採掘方法を教えて、金を日本円で買い取った。

 


 

 つまり、日本が朝鮮半島から採掘した資源の売却益は、朝鮮半島の人々が生活必需品を購入する所得になった。

 


 

 朝鮮人は日本人とともに、働くことによって、鉱物採掘の方法を学んだ。

 


 

 本当は、日本が鉱業に投資しなければ半島の資源は地下に眠ったままであり、日本は、採掘コストをかけて採掘し、金の買い取りに、さらに、正当な支払いを行った。

 


 

 電気と鉄道などの社会インフラは、開発資金を朝鮮人自身は持たなかったし、電力事業も、鉄道事業もノウハウを持たず、すべて日本におんぶにだっこで作ってもらって、半島の人々自身が恩恵を受けたが、現在の教育では、電気と鉄道の事業は朝鮮総督府がこれを握り」とまるで日本がかかわらなければ、自分で投資し、作れたという前提に立っている。

 


 

 1896年、ソウル、仁川間の鉄道敷設権をアメリカ人のモールスに与える。そして、これを日本の民間鉄道会社が買い取る。

 

 これ自体は商行為として問題ではない。韓国の富豪が日本のビルや会社を買うのと同じだ。

 

 そもそも、なぜ朝鮮が鉄道敷設権を与えたかといえば、鉄道敷設のノウハウもなければ、資金もなかったからだ。

 


 

 

 

 1906年の朝鮮の税収は784万円だった時に、同じ年、こんどは、日本政府が、民間鉄道から、3500万円で買い取る。この鉄道は、朝鮮人が利便性を受け取った。

 


 

 同じように、ソウルと新義州を結ぶ鉄道も住民には、待望の鉄道だったが、ノウハウも資金もない朝鮮は、フランスに敷設権を与えて、作らせようとするが、結局、日本が継承して完成にこぎつけた。

 


 

 馬山浦線も建設費用3138万円だった。

 


 

 韓国はこれらを日本の帝国主義的簒奪のために作ったというが、それなら、日本がつくらなければ、アメリカ、フランスが作って、アメリカの資本、フランスの資本が朝鮮に居座るだけのことだった。

 


 

 しかも、それらの資金は、朝鮮人の血税ではなく、日本の財政から投資された。

 


 

 英国の場合は、インド鉄道から得た巨額の利益を英国に回収した。

 


 

 この時代を韓国の教科書は、「日帝の産業侵奪で、我が民族の経済活動は萎縮したというが、もともと、産業を興す余力が朝鮮の民間にも、国にもなく、国家財政は破綻して、毎年、餓死者が出ていた。

 


 

 日本はハゲ山だった朝鮮の山を造林する意欲のある朝鮮人の低利で貸付を行って、造林が成功すると、山林を譲渡していった。

 


 

 樹苗は無償で提供し、日本からの技術指導員が国費で無料指導した。

 

 つまり、基本的に日本の朝鮮に対する態度は現在の青年海外協力隊やODAのボランティアに近い風景が展開された。韓国の歴史捏造癖がなければ、本来、当時の日本人は、台湾の高齢者の思い出に残る情景や、現在の海外協力技術者のように、まごころこもるる世話をしていたというのが実態だった。