JR秋田駅近くの「千秋公園(久保田城跡)」内の「与次郎稲荷神社」と「八幡秋田神社」を紹介します。 | ラブドールのララちゃんの旅日記

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 今回は、JR秋田駅から徒歩15分ほどにある「千秋公園(久保田城跡)」内の「与次郎稲荷神社」と「八幡秋田神社」をレポートします。

 

 「与次郎稲荷神社」は、正字体表記:與次郎稲荷神社と書きます。

 「与次郎稲荷神社」は、「与次郎狐の伝説」を由緒に持つ神社です。

 当社に祀られているのは、久保田藩初代藩主・佐竹義宣に飛脚として仕えた狐の「与次郎」です。

 狐の「与次郎」は、飛脚として秋田江戸間を6日で行き来し、御用勤めは6年続いたそうです。

 その後「与次郎」は、山形の六田村(現東根市)の飛脚宿の間右衛門と猟師の谷蔵により仕掛けられた罠にかかり殺されてしまいます。

 間右衛門や谷蔵は与次郎の死体を煮て食い、金を奪うのですが、村ではそれからすぐに人々が発狂し始めます。

 江戸にもこの話が届いて代官が派遣され、代官は与次郎を八幡に祀ることとすると、騒ぎは収まったといいます。

 義宣は与次郎の死を無念に思い、城内に与次郎を祀る神社を建立。これが与次郎稲荷の始まりです。

 社殿に至る参道には、多くの狐の像が置かれています。

 当社は、久保田城三ノ丸八幡山(現在の秋田市立明徳小学校所在地)に建立された後、数度の変遷を経て、1892年(明治25年)以降は千秋公園の本丸跡に鎮座するようになりました。

 

 続いてレポートするのは、佐竹氏の氏神八幡神社と、佐竹義宣公、義和公、義堯公を祀る秋田神社が合併した「八幡秋田神社」です。

 秋田神社は、明治11年(1878年)秋田初代藩主佐竹義宣を祀るため、広小路に創建され、明治32年(1899年)に旧城本丸の現在地に移された後、九代義和・十二代義堯を合祀しました。

 明治40年(1907年)、佐竹氏の氏神八幡神社(明治五年大八幡・正八幡宮を合祀)を合祀して、八幡秋田神社と改称して内町の鎮守となりました。

 社殿は、文政年間(1818~29)に造営された佐竹氏の氏神大八幡宮を移築したものです。

 八幡秋田神社の社殿は、大八幡の社殿を使っており、重要文化財でしたが、平成17年(2005年)、賽銭泥棒による放火で全焼してしまいました。

 社殿は、平成20年(2008)に再建され、現在に至っています。

 千秋公園(久保田城跡)からのレポートは、今回が最終になります。

 最後は、現在、行われている発掘現場の写真です。

 今後も、何らかの新たな発見があることを期待したいと思います。

 それでは、また・・・。

 

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