全国に30,000社あるといわれ、私たちにとって、もっとも身近な神社といえる「お稲荷さん」の総本宮が伏見稲荷大社からお届けします。
今回、伏見稲荷を訪れた目的は、2023年4月に申し込んだ大鳥居が2023年12月に建立されたということで、その大鳥居の存在を確かめることです。
参道入口の一の鳥居で記念写真を撮っていたアオザイ姿の美女の写真からスタートします。
こちらは、参道の先にあるのは、伏見稲荷大社の顔ともいえる楼門です。
この門は天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされ、神社の楼門の規模としては最も大きいものに属します。
楼門を潜った先にあるのは、外拝殿(げはいでん)です。
江戸時代末期(天保11年)に建立されたものです。
内拝殿ができるまでは外拝殿単に「拝殿」と呼ばれており、1780年(安永9年・江戸時代後期)に刊行された『都名所図会』にも現在と同じ位置に確認することができます。
この日は、2月10日で初午の2日前ということもあるのでしょうか、奉献されたたくさんの品が並べられていました。
伏見稲荷大社初午大祭(はつうまたいさい)は稲荷大神が最初に稲荷山に鎮座した奈良時代初期の711年(和銅4年)2月初午の日に由来する神事です。
外拝殿の横をぐるっとまわりながら進むと、本殿・内拝殿があります。
内拝殿は、本殿の前にピタッと建てられています。
本殿を参拝し、稲荷山の入り口に向かいます。
稲荷山の参道には、多くの鳥居が建ち並んでいます。
境内にある朱色の鳥居は、すべて奉納されたものです。
鳥居の奉納は願い事が「通る」、または「通った」というお礼の意味から始まったと言われています。
千本鳥居の入り口にやってきました。
こちらの長さ約400mの区間に連なる鳥居の実本数は、『850基前後』と言われています。
鳥居の奉納が始まったのは、江戸時代末期の文化・文政年間【1804年~1830年】以降とのことです。
千本鳥居に建つ鳥居の大きさは、5号(直径15cm)の大きさで高さは約2mです。
本殿の東方、千本鳥居をぬけたところには「奥社奉拝所」があります。
一般には「奥の院」の名で知られています。
この奥社奉拝所はお山を遥拝するところで、稲荷山三ケ峰はちょうどこの社殿の背後に位置しています。
こちらまでは、本殿から往復20分ほどと手軽に行けます。
昨年、たーくんが奉納した鳥居は、この奥の院から三叉路の間にあります。
ちなみに、稲荷山に奉納されている鳥居の数は大小数万(約1万基)におよぶといわれ、今も増え続けています(2010年に実際に数えた人がいるようです。その時には小さな鳥居は数えなかったそうですが、境内には3,331基あったそうです)。
毎年200基以上は新たに奉納されているという情報もあります(劣化がすすみ、撤去する鳥居もあるので、単純に200基が増えるわけではないと思います)。
200基のうちの1基がたーくんが奉納した鳥居です。
「根上の松」を過ぎ、鳥居がある参道を横切る道のところを抜け、僅かな勾配の坂道を下りきった先に目的の鳥居を発見しました。
今回奉納したのは、直径約21cmの7号鳥居でした。
鳥居は、木製なので風雨や積雪、台風被害や害虫などにより劣化していきます。
耐久年数は、5号鳥居で7~8年のようです。
劣化してきたら社務所から電話があるそうで、その際に撤去するか修繕するかを選択することになるそうです。
3月初旬には、本殿で「鳥居奉納奉告祭」を執り行う予定です。
これから伏見稲荷大社に行く楽しみが一つ増えました。
それでは、また・・・。
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