プライドと嫉妬と虚栄心だとするならば、
そのどれを否定したとしても
自己は成立しないのか。
他人よりも優れていたいと思うから
頑張れることもあるかもしれないし、
他人を認めたくないから、
認められるべき自分であろうとするかもしれない。
理性を発揮して、
自分の目に入るもの全てを肯定して
全ての素晴らしさを感じながら、
両手を叩いて認めていきながら、
生きていくことができたら、
それはひとつの幸せなのかもしれない。
過去の自分を絶賛して、
これからの自分もそれと同等か、
それ以上になれると想像しながら、
前向きに生きていけたらと思うことも少なくない。
自らのアイデンティティを共感してくれて、
アイデアや作品やあらゆる成果物を
認めてくれる仲間がいることも、
理想の生き方なのだろう。
生きるのは大変だ。
生きていくのは大変だ。
ベッケンバウアーが言った
「強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだ」
からインスパイアするとしたら、
強く生きようとするのではなく、
生き続けることが強さなのかもしれない。
ペダルを漕ぎ続けるのは、体力が要るよね。