台風19号が14日未明に当地を通過しました。内陸の為風雨も一事的でほっとしましたが先週に続いての襲来です。

年末のギフト商品(ふるさと逸品)の準備に入り各産地へ生育状況や出荷見通しの確認をしました。

飽食の世の中ですが長い経験をから自信をもってお勧めできる

12月が一番おいしい旬の逸品のおつけものです。

ご期待下さい。

7月2日、JR高崎駅から3両のSLが同時出発、走行したニュースを見ました。熱烈鉄道ファンではありませんが、愛着は感じて現在のブーム以前から上野駅売店で行き先プレートなど買い今でも吊るしてあります。

今日走った3両のうちC61 20号機は我々家族が群馬伊勢崎市に転勤で移り住んだ時、家のすぐ近くのけ華蔵寺(けぞうじ)公園に保存されていたSLで36年ぶりに復活のため2010年1月、大宮車両工場に搬送され

2011年3月31日復元完了し今年6月4日から高崎ー水上間で営業運転が開始されたとのこと。当時幼稚園、小学生だった娘たちが毎日、姉妹で遊びに通い、触れたり、登ったりしたSLが再び鉄路を走るなんて感動です。

1949年三菱重工製のSL、60年も存在し復活するなんて凄いことです。

機会をつくり是非乗車したいものです。


5月28日(土曜)宮城県在住の友人に亘理町荒浜の被災地を見せていただきました。

震災から2カ月半を過ぎましたが6号国道の亘理警察署を右折、海岸に向かい常磐線を横断すると様相が一変し思わず息をのみました。

震災以来、毎日のように新聞、TVで被災地の様子が報じられない日はありませんでしたが実情はそれをはるかに超える惨状です。うずたかく積み上げられたガレキの山、住宅にのしかかったままの車、全壊の家、骨組みだけの家、人影の全くない町をガレキを運ぶダンプと自衛隊車両、警視庁応援のパトカーが走っているだけです。津波で破壊された新築の家の白いカーテンが風にふかれて揺れている風景に胸が締めつけらる思いでした。

車外に出てカメラのシャッターを押すこともはばかれ、数枚の記録だけで帰路につきました。(画像はそんなわけで今回添付しません)

宿泊したホテルにも被災された方々が30名ほど滞在してるとのことでした。

仕事、子供の通学、日々の生活、そして将来など不安と心配でいっぱいだと思います。長期の支援が必要です。


松ばらのブログ

2月3日(立春)と同時に寒さが数日和らいできました。

福寿草の硬いつぼみも開き始め春の兆しを感じさせてくれます。

2月5日まで乾燥注意報が38日連続し火災が激増したり積雪地帯は豪雪に

見舞われ、自然災害は九州の火山爆発も含め大きな被害をもたらし文明が

進歩しても人間の力の非力さを痛感します。

寒さが峠を越え火山も鳥インフルエンザも早く収束するよう願うばかりです。