父の告別式、無事終了しました | 藤沢あゆみオフィシャルブログ Powered by Ameba

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作家。著書29冊。相談30000件超。ananによる信頼できるカウンセラー20人の1人。NHKEテレハートネットTV出演。2023年4月「バズる!ハマる!売れる!集まる!WEB文章術 プロの仕掛け66」発売9日で増刷、7月18日枚方蔦屋書店で101人講演会開催

藤沢あゆみです


4月23日、父四方哲也の告別式が無事終了しました

 

 




亡くなった21日、父は病院の方とわたしで体を清め、わたしが死亡診断書を受け取り、セレマさんの車で、父とともに自宅に戻りました。


健康で甘いものが大好きな父は、油断すると太ってしまうので、ご飯を一杯だけおかわりしてもいいことにしていました。


父はいつも母に
「わし、もうご飯おかわりしたか?」
と聞いていました。

 

そんな父もがりがりに痩せています。


手も足もしわしわで、手の甲には点滴の後が青紫に変わっていますが顔にはしわ一つない、穏やかな表情の父。


91年懸命に生きた、人間の最期の姿です。


最期に着るのは、姉が選んだ着物とじゅばん。


父は若いころ、会社から帰るといつもこの着物とじゅばんに着替えていました。
仕事に燃えていた父。カッターシャツにネクタイを締めるビジネスモードから、うちに帰ってリラックスモードになっていたのかもしれません。


母のいる仏間に、父の亡骸を安置していただき、一緒に一晩過ごしました。


家族葬とは言え、お隣さんや、自治会長さん、老人会の方、父と友人付き合いをしてくださっていた司法書士さんが父の顔を見に来てくださいました。


わたしと姉は通夜までにいろいろなミッションがあります。


姉は、いろいろなところに支払うお金を用意して包む。
わたしは告別式で、DVDを流していただけるということでうちのアルバムをすべて見て、父の人生を彩る写真を19枚選びました。


母と映っているときの父は、とても良い表情をしています。
我が両親ながらなかなか美男美女じゃないの。

 

 




それと、父の思い出の品を、飾っていただけるとのことなので、父の書いた墨絵と、メッセージの書かれた額と、社長として活躍していた時、海外の取引先が来た時の写真、家族とともに映っている写真、会社で朝礼をしたり、スピーチが得意だった父の晴れ姿、地域でおみこしを最前列で引いている、目立つことが好きだった父らしい写真と、普段かぶっていた帽子を選びました。



通夜の日に、姉を二人で鶴を折って飾りました。

 

 




そして一番重要なミッション、遺影写真選びです。


あまりにも若すぎるのも変ですが、会社を立ち上げた父が輝いていた現役時代の写真を選びたい。
とある集合写真から、ロマンスグレーになっているけど、びしっとネクタイをしめ、父が好きだったストライプのカッターを着て、自信に満ちた笑顔の写真を見つけました。

 

 




翌日は通夜です。
午後から出棺、家族葬でぎりぎりまで予定が決まらなかったのに町区の方が20人以上も外で待ってくださっていました。


霊柩車に乗った父の旅立ちを告げるクラクションが鳴り、改めて父はもう二度とここに帰ってこないんだ、人でなく、仏さんになるんだ、と改めて実感し、胸がぎゅーとしました。


雨がばらつく中、杖をついたり、老人車を押してきてくださっている人もいる、地域の人に、お礼を言いながら、家族一同父とともに葬儀場に向かいました。


通夜には、教員である姉の職場の校長先生も来てくださり、家族とともに通夜を行いました。わたしと姉は、父と共に過ごしました。

 

 




コロナ以降、家族葬など小さなお葬式が主流になっているそうですが、我が家もご多分に漏れず。と言っても実際祭壇を見ると、めちゃくちゃいい感じじゃないですか


全然小さなお葬式ちゃうやんといういいお値段だったのは内緒です。


父が生前、ここがいいと契約していて、気前よくやりたい父らしいですね。


花がいっぱいで、娘たちが一生懸命選んだ父の写真、めちゃくちゃかっこいい。あの写真がこうなるのかとプロの技に感動。


遠方だったのにもかかわらずお隣さんもきてくださり、温かく父を見送れました。

 

 




とっておきの写真で作られたDVD、これが本当に素晴らしかったです。四方哲也の人生、人とのつながり、母との夫婦の歴史の3つのパートにわけてたくしましたが、プロの手により、素晴らしいドラマになっていました。


苦しんでいた父が、穏やかに息を引き取り、火葬されてお骨になる・・・
ああ・・・本当に人間じゃなくなったんだ・・・


最期に、祭壇に飾られた花をすべて棺の中に入れました。
花で埋まるほどの棺の中の父は、穏やかでした。

 

 

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そして、あに、あね、おい、わたし、それぞれが書いた手紙を棺の中に入れました。


棺を閉める前に、お声をかけてあげてください


そういわれて出るのはありがとうという言葉につきました。


お父さん、ありがとう


そういいながらわたしは初めて声を上げて泣きました。


心拍がゼロになった瞬間、うちを出る時のクラクション、その時も確かに涙が流れましたが、お父さんに声をかけられるのはこれが最後です。


父はお骨になり、帰ってきました。
四方哲也は、寿岳哲心居士になりました。


91歳まで生きた父だからこそ寿のついた戒名をいただけたのでしょうか。岳という文字も自ら会社を興し、人生を切り開き続けた父の人生を表してると感じました。哲は父の名前から、心という文字も・・・素晴らしい戒名をいただけました。

 

 




初七日も、行い、父を偲びながら父のいる仏間で食事をしました。


母が78歳でなくなった時、父は数年間、元気がありませんでしたが、それでも91歳まで生きてくれました。


病院に入院してすぐに母が亡くなったことで、姉はもっとお世話をしたかったと心残りがあったそうですが、父をしっかりお世話して看取ったことで、心のつかえがとれた、家族葬もいいねと話してくれました。

 

 




両親を看取ってくれた姉夫婦には感謝しかありません。
わたしはこれからの人生で返していこうと誓いました。

 

 

藤沢あゆみ