本の進呈・続報94・中編・5(シンクロニシティ) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

 このブログ(英語:blog)に御訪問頂き、誠にありがとうございます。

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 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、こちらのブログ記事に 本日 すなわち 8月28日(日)の「本の進呈・続報94・中編・4(シンクロニシティ)」のブログの続きを記させて頂きます。前回のブログから 話が つな がっておりますので、前回のブログも 御覧頂きますと おわかり頂け易い と存じ上げます)

 

 さて、去る3月7日(月)の「本の進呈・続報71・後編(シンクロニシティ)」のブログの上段に、

「(前略)去る2月21日(月)の『本の進呈・続報70・後編(シンクロニシティ)』のブログの上段に、

『(前略)去る 2月17日(木)の【本の進呈・続報69・後編(シンクロニシティ)】のブログの上段に、

【(前略)一昨日おととい すなわち 2月15日(火)の〖本の進呈・続報68・後編(シンクロニシティ)〗のブログの上段に、

〖(前略)本日 新たに 1通の 返事がありました。ちなみに、その便りを紹介します。すなわち、母親の信仰している 宗教団体の男性から です。

〔(前略)如月の候 お元気で ご活躍の御事と 心より およろこび申し上げます。

 先日は 数十年にわたる ○○さんの ご研究ご研修の賜の集大成とも いえる 書籍 始め 文献を お送り戴き ただただ真摯に取り組まれて来られた お姿に 感銘を受けました。

 ご両親様を大切になされ 親孝行される姿を尊く、礼拝させて戴いております。

 私の事を沢山に お誉め戴き 感謝申し上げます。ただ 私は ただの一信徒です。

 さて、早くから お送り戴いた 御文章でしたが、一月から 四月は 出張が多く、明日から 又 出発する所です。拝読してからと思い ついつい遅くなってしまいました。まだ 全てでは ございませんが 読ませていただき、○○さんは 素晴らしい御両親の元に生まれられ お父様 お母さまのご愛念、真心に導かれ〘医療の道〙に進まれ 貴い お役目を歩まれていらっしゃる 人類光明化運動の高級霊の 御一人なのだなあと思いました。コピーを読ませて戴き、○○さんの歩みを初めて 知りました。私には 出来ない素晴らしい気遣いと 気の遠くなるくらいの実践の積み重ねを感じ取り 感動致しました。

 日本舞踊をもって 人類光明化運動のお役に立つ事を 十代から 私の生涯の旗印だと思い ただ歩んでいる私。人間は 神の子 仏の子である。それを信じる者は 神仏と同じき 力を顕す事が出来るのだと信仰している一人です。

 神様の世界の〘真善美〙を美の世界に於いて 担当する お姿を戴いていると精進努力させて戴いております。

〘真理の道は ただ一つ 人間は 神の子である〙と 谷口雅春先生は 解説下さった(人間の歯の姿から 実証される)神の子 人間の食生活の あり方を 実践検証されている ○○さんの体験を通しての書籍は 体験談として 実証された 貴い発表と拝見させて戴きました。

 私は 完全な 菜食主義ではありません。魚介類は 頂戴させていただいており 家族も同じ生活です。子供達は 少しは 肉食を戴いております。

 又 私事ではございますが、十八歳(昭和四十六年頃)から 先生の〘心と食物と人相と〙を拝読実践。現在も 無病息災での毎日です。素晴らしい事だと思って 感謝致しております。

 平成十九年六月末~七月始め(〘初め〙ですね)迄の八日間 ブラジル 生長の家栄える会セミナーがあり、サンパウロ伝道本部に 神奈川県栄える会 三十人で 神谷光徳会長を中心に御一緒しました。国際本部の許可で 二日間 日本舞踊奉納を依頼され 奉納させて戴きました。その折(向井総長 始め[これも、〘初め〙ですね]大勢の皆様の中)日系二世の方々から 日本が来た。と涙ぐまれ 感動いたしました。文化の持つ力の偉大さを 実感した瞬間でした。

 又 私は 谷口雅春先生の お書き下さった 聖歌が大好きです。特に 〘実相を観ずる歌〙〘堅信歌〙が好きです。常に 口ずさんでいます。

 毎日の渋谷代々木八幡ネットフォーラムでは 開会前に 必ず 皆で(堅信歌)を歌います。

 御礼状が遅くなって 申し訳なく思っていましたので 取りとめもなく、思った事を書かせて戴いてしまいました。右 よろしくお願いします。

 何より 自分が神様。

 なにも かにも〘唯神実相〙だ。歓び悦び ただただ生かされている 今が、今 今 今 のみに生かされている私達。感謝、ここにも 感謝、ここにも 感謝、感謝、感謝の連続。有難い。

 毎日 この道を歩ませて戴いている 実践者〇〇です。ただただ この道を実践している自分。  

 先祖を尊び 家族制度を大切にして 親孝行を家族で生き、夫婦の御縁を思いやり。愛行を楽しんで出来て。こんなに素晴らしい 毎日は有りませんね。

 谷口雅春先生 輝子奥様を御手本に戴いている事を感謝です。

 生長の家に 又 〘天皇国日本〙の この国に 私の様な日本人が 一人くらい いても良いのだと信仰している日本舞踏家です。

 宜しくお願い致します。

 時節柄 どうぞ お父様始め(これも、〘初め〙ですね)○○さん呉々も 御身 ご自愛下さいませ。○○さんの親孝行を お父様は 心の目から ご覧になっていられ 感謝していらっしゃいます。神様に 誉められる生活の実践に、祝福申し上げております。合掌。(字体 そして 送り仮名がなも 含めまして、原文通り)〕以上であります。

 なお、いつものように 返信を 郵送しました。ちなみに、この返信の一部であります。すなわち、

〔(前略)十八歳(昭和四十六年頃)から 〘心と食物と人相と〙を 拝読実践なされておられると お伺い致し 謹んで お伝えさせて頂きます。すなわち、昭和五十三年十月(御顕齋の約一ヶ月前・進路を決める、奇遇なことに ○○ ○○様と同じく十八歳のとき)の九州総本山・神性開発一般練成会に参加しました。そのときに、後日 退職した 総本山 本部講師に 聞かされたことであります。つまり、二代目 谷口清超氏の長男である〘雅教まさのりさん〙のことであります。生まれたときには、周囲の お付きの人たちによりますと 輝くような 胎児であったとのことであります。そして、幼児のときに 緑色のウンチをします。この症状を聴きますと 消化器内科の専門医でないような 当方でも、腸チフスであると分かります。それで、当時 谷口清超氏は 医者に受診させたかったのでありますが、養子であり まだ 谷口雅春氏に頭が上がらず 指示にしたがうしかなかったのだそうであります。その指示とは、その幼児に 焼きおにぎりを食べさせることであります。ちなみに、〘胃弱の弱い方の食生活〙の資料を同封させて戴きました。これにも 〘慢性胃炎の食事療法では 正反対の食事をとらなければならぬこともある〙と書かれてあります。すなわち、谷口雅春氏は 若いときからの 御自身の体験で 自分の胃弱の治療のために 牛蒡ごぼうとか 焼きおにぎりを食べたのであります。ぞくいますと、逆療法でありますね。それを 幼児の〘雅教まさのりさん〙に実践させたのであります。ところが、成人 と 幼児は 一般内科 と 小児科が分かれているように、まったく違うと言っても いいくらいなのであります。つまり、たとえば 母校の医学部の先輩医師によりますと、ブドウ球菌性肺炎などでは 幼児は 一晩で 急変して、肺に穴がいて 亡くなってしまうとのことなのであります。ようするに、焼きおにぎりを食べさせたことにより、腸チフスにより 弱っていた 腸壁が 穿孔せんこう線香せんこうならいいのでありますがね。失禮しました)してしまったのでそうであります。

 なお、去る 8年前の10月5日(日)の〘ボランティア・高尾山登山 〙のブログ そして 去る 7年前の1月21日(水)の〘ボランティア・高尾山登山・その2〙のブログで、

〘(前略)18年間、月二回、日曜日に、・・・ボランティアを、このトップの方々かたがた二人に委託されて、おこなって参りました。(後略)〙と記させて頂きました。この生命学園の行事で 毎年 多磨霊園の谷口家の お墓参りに行きました。その墓石に、〘雅教まさのりさん〙の命日がきざまれています。すなわち、昭和二十四年十一月二十三日であります。戦後 ぐの頃でありますね。ついながら、霊牌は書かせて頂いております。ちなみに、谷口雅春氏は、一晩 お泣きになったそうであります。したがいまして、谷口清超氏は 医者に受診してもいいと伝えています。しかも、〘心と食物と人相と〙には、この経験から 挿入されている文があります。すなわち、胃弱の逆療法(正反対の食事療法)はあるが、腸チフス患者は この限りにあらずとのむねの文であります。なお、〘心と食物と人相と〙には、〘新版 心と食物と人相と〙がありますので、何ページであるかを記載させて頂きますことは割愛させて頂きました。長年 お読みになられておられると お伺いさせて頂きましたので、該当ページは お分かり頂けると存じます。ついながら、〘雅教まさのりさん〙が生きていたら どうなっていただろうかと思われます。但し、上記のように 小児医学を無視したところに〘雅教まさのりさん〙の死があるとも言えます。ちなみに、当時、信徒の母親でも 同様に 自分の子を対応して 医者に受診させずに 亡くしている事例があると思われます。

 なお、現在は 次男の雅宜氏が、生長の家の総裁ということになっています。但し、白鳩会員も言うことでありますが、グローバリスト すなわち 共産主義者でありますからね。ついながら、去る 昨年の12月13日(月)の〘リハビリテーション(父親)・162・中編・6〙のブログの下段に、

〘(前略)その理学療法士のかたが、鳩山由紀夫を言及しました。それで、祖父である 鳩山一郎は 愛国者であったと伝えました。しかしながら、民主党は 左翼 リベラルであり 国益にかなわなかった との話になりました。(後略)〙と記させて頂きました。すなわち、祖父である 鳩山一郎 や 西園寺公望は 愛国者であっても、御承知のように 孫の 鳩山由紀夫 や 西園寺公一(共産主義者)も そうであるかというと 必ずしも そうではないということであります。すなわち、祖父が立派であって その孫であっても、気を付けなければならないという教訓であります。

 

 ときに、〘文化〙につきましては、去る 8年前の12月26日(金)の〘ぶなしめじ〙のブログ の中段やや上に、

〘(前略)戦後、御先祖様が築いて来た、日本の伝統、文化、ほこり、そして、精神性も、生態系同様に外来のものに圧倒されています。これは、しみてもなお余りあることと思われます。(後略)〙と記させて頂きました。

 また、家族制度のことは、去る 4年前の10月31日(水)の〘日本国憲法・第24条について〙のブログ去る 一昨年おととしの1月12日(日)の〘日本国憲法・第24条について・続報(日本民族の結婚の伝統)〙のブログ 、去る 一昨年おととしの4月19日(日)の〘日本国憲法・第24条について・続報2(日本民族の結婚の伝統)(姪の出産)〙のブログ そして 去る 一昨年おととしの5月21日(木)の〘日本国憲法・第24条について・続報3(日本民族の結婚の伝統)〙のブログなどを記させて頂きました。(後略)〕以上であります。ついながら、この作業が 朝まで かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)〗以上であります。

 しかも、本日 新たに 1通の 返事がありました。ちなみに、その便りを紹介します。すなわち、母校の同期生の医師からの返信であります。

〖この度は、大変 ご立派な本を出版されまして誠におめでとうございます。

 心や体を痛めている患者さんのために日々 ご活躍のご様子が拝見出来ました。

どうぞこれからも お体を大切にしながら、講演診察に勤しんでくださいませ。(字体 そして 送り仮名がなも 含めまして、原文通り)〗以上であります。

 なお、いつものように 返信を 郵送しました。ついながら、この作業が 朝まで かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)】以上であります。本日 新たに 1通の 返事がありました。ちなみに、その便りを紹介します。すなわち、心身医学関係の教授(この子息が、母校の医学部の後輩)からの返信であります。

【拝啓 春寒の候、いよいよご健勝のことと お慶び申し上げます。

 さて、この度は 詳細な 資料とともに お手紙を頂き、有難うございました。

 就中、〖心身医学を学ぶ人のために〗のご著書の分担執筆者に 河野 友信、玉井 一、渡辺 克己といった そうそうたる先生方の お名前が並んでいるのをみて、懐かしい気持ちで一杯でした。有難うございました。

 先生の今後 ますますの発展を記念致しております。

 先ずは、御礼まで。(字体 そして 送り仮名がなも 含めまして、原文通り)】以上であります。

 なお、いつものように 返信を 郵送しました。ついながら、この作業が 朝まで かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)』と記させて頂きました。

 ならびに、本日 新たに 1通の 返事がありました。ちなみに、去る一月二十五日(火)の消印で 成書を贈りましたので、約六週間 経過しての返信であります。なお、その便りを紹介します。すなわち、かつて 倫理の高校教師であり、臨床心理士の お年寄としよりの女性から です。

『(前略)先月来 大変な ご労作 集大成のご著書や参考資料を お送り賜りましたこと 御礼のことばが 遅くなりまして 申しわけございませんでした。

 お詫び申し上げますとともに、お返事を配慮なくと おっしゃられます おやさしい おことばに甘えました。

 実は、丁度 届きました 1/25は 入院手術の日でありまして その後 すぐ 退院はいたしましたが、ねたり おきたり・・・気ままにして リハビリ状態、(右うでのひじ関節でした・・・)

 こうして ペンで 右手で書けますが、まだ 自分としては 十二分に できないような気がします。

 しかし、一切 痛みもなく 朝のつどい(オンライン)は 欠かさず 実行しつづけています。

 何か お心を頂きながら、ただただ もったいなく感謝でありますが、いずれ ゆっくり拝読させて頂ける 折も あるかと思います。

 この数年は 私も 地元野菜を 主にして ほぼ菜食しています。すすめられない 年齢層もあるようですね・・・。

 こまかくは 読めておりませんので お許し下さいませ。

 あなた様の幼い日からの ご精進・・・やはり 特別な ご使命の お方と存じます。

 お互いに別々の場において ますます光となられますように・・・御多幸を お祈り申し上げます。再拝。                ○○○○ 3/2

 

 こちらへも ご返信の お心づかいは どうぞ ご無用になさって下さいませ。

 ブログを拝見するのが よいかと思ってはいますが、仲々(中学3年生のときも 女性担任が 当方への通知に この字を書いてきましたので、返事を書くついでに 指摘したことがありました。勿論もちろん 現代でも、漢字で書くのでしたら 【中々】と記するようですね)新たに 加えにくくております。すみません。(字体 そして 送り仮名がなも 含めまして、原文通り)』以上であります。

 なお、いつものように 返信を 郵送しました。ついながら、この作業が 朝まで かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る4月9日(土)の「本の進呈・続報76・後編(シンクロニシティ)」のブログの上段やや下に、

「(前略)去る4月5日(火)の『本の進呈・続報75・後編(シンクロニシティ)』のブログの上段やや下に、

『(前略)去る3月26日(土)の【本の進呈・続報74・後編(シンクロニシティ)】のブログの下段に、

【(前略)去る3月13日(日)の〖本の進呈・続報73・後編(シンクロニシティ)〗のブログの下段に、

〖(前略)一昨日おととい すなわち 3月11日(金)の〔本の進呈・続報72・後編(シンクロニシティ)〕のブログの下段に、

〔(前略)本日 新たに 1通の 返事がありました。ちなみに、その便りを紹介します。すなわち、母校の医科大学のもと 皮膚科主任教授(男性)から です。

〘前略。長文の お手紙、貴著、ブログ資料を御恵贈いただき 感謝申し上げます。戦中戦後の飢餓から、飽食の中年、DM、心筋梗塞、バイパスop.、胃潰瘍大出血、虚血性大腸炎大量下血、心房粗銅、心臓アブレーション 、慢性うっ血性心不全、昨年8月に 90歳となり 現在も 5か所で皮膚科診療し現役です。先生の御著書を拝見すると、私の生活のいい加減さが反省され、批判どころではありません。酒とタバコとは無縁でしたが。私のチャランポラン振りを示す 別刷を御笑覧下さい。先生の夢に出現するとは 虚像が消え去り、私の本性に うなされないように!!(字体 そして 送り仮名がなも 含めまして、原文通り)〙以上であります。

 なお、いつものように 返信を 郵送しました。ついながら、この作業が 朝まで かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。(後略)〕と記させて頂きました。本日 すなわち 3月13日(日)の〔葬儀屋の来訪〕のブログに記させて頂きましたように 某・葬儀屋の担当者が来ましたので、上記と同様に 書状を添えて 本を進呈しました。ちなみに、この某・葬儀屋の担当者は 昨日も 来ましたので、すでに 1冊 進呈していました。なお、本日が 2冊目であります。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。

 および、昨日 すなわち 3月25日(金)の〖製本・委託・続報8〗のブログに記させて頂きましたように、成書が届きました。それで、早速 家政婦に あげました。また、 昨日 すなわち 3月25日(金)の〖保険外交員・続報6・前編〗のブログなどに記させて頂きました 保険の外交員のかたにも あげました。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。去る 4年前の3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。また、去る3月11日(金)の【父親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、今回 父親が 続いて 亡くなりました。そして、過日、新たに 1通の 叔母(4女)から便りがありました。ちなみに、その便りを紹介します。

【前略。この度は ご愁傷様でございます。

 先日、○○さん(姉のこと)より訃報の お電話を頂きまして 大変、驚きました、 ご冥福をお祈り申し上げます。

 ○○○姉さん(母親のこと)が亡くなって 数年間、お父様もよく頑張りましたね。今頃は おニ人で 再会している事でしよう。 この度の葬儀には コロナの為、出席できず 申し訳け(〖訳〗で いいですね)ございません。後日、小平へお墓参りさせて頂きます。 又、○○さん(当方のこと)もお父様の介護、ご苦労様でした。 これからは寂しくなりますがお体、ご自愛頂いてお元気でお過ごし下さいませ。 ○○○姉さん(叔母[3女])からも お香典預り(送り仮名は、〖預かり〗ですね)ました、呉々も宜しくとの事でございます、主人も宜しくとの事です。 これからも宜しく」(余分な記号が入ってしまったようです)お願い致します。(字体 そして 送り仮名がなも 含めまして、原文通り)】以上であります。

 ならびに、父親の祖母の関係の親戚から 葉書が来ましたので、その便りを紹介します。

【お父様の訃報に接し、謹んで お悔やみ申し上げます。

 皆様の お寂しさ いかばかりかと拝察いたします。

 お父様には 伊勢の方へ 何度も お越しいただきましたことを思い出しております。颯爽とした 佇まいと やさしい お言葉をかけて頂いたことが思い起こされます。

 ご冥福を 心よりお祈り申し上げます。

 ご意向に従い ご香典等失礼させていただきます。(字体 そして 送り仮名がなも 含めまして、原文通り)】以上であります。

 および、父親の告別式に参加してくれた 僧侶の寺から、

【桜も満開となり、春らしい気候となっております。

 先日の○○○○様の御葬儀では お世話になりました。その際 お預り(送り仮名は、〖預かり〗ですね)致しました御布施の領収書を同封させて頂きます。ご不明な点などございましたら ご連絡下さい。

 お体 どうぞ お大事に おすごし下さい。今後とも どうぞよろしく お願いいたします。合掌。(字体 そして 送り仮名がなも 含めまして、原文通り)】以上であります。そして、まだ、桜を見ていないことに気が付きました。

 なお、いつものように 書状を添えて それらの3名の方々かたがたを含めまして 10名に 本を進呈しました。ついながら、この作業が 朝まで かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

 および、上記のように、去る三月十一日・午後六時十分、父親が 自宅で 逝去致しました。ちなみに、その約一ヶ月前に 菜食(さいしょく)に理解を()た 両親に 感謝の気持ちを(ささ)げさせて頂きたい と思い、その『笑いと菜食療法』を 加筆致し 印刷所に 原稿を送りました。そして、過日 改訂 増刷の上製本(ハード・カバー)の成書が届き ました。

 それから、昨日 父親の祖母の関係の親戚から 葉書が来ましたので、その便りを紹介します。

『桜花の散りゆく候。御尊父様 ご逝去の報に接しました。諸行は無常なりと言え、大切な お父上のお姿のない春は、さぞ お淋しいことと存じます。在りし日の お姿を想い浮かべ 謹んで ご冥福を お祈り致します。貴意のままに、供花・お供え等 失礼させていただきます。合掌(字体 そして 送り仮名がなも 含めまして、原文通り)』以上であります。ちなみに、『桜花りゆく候』と伺いました。なお、去る 昨年の11月25日(木)の『三島由紀夫(憂国忌)(令和3年)』のブログ

『(前略)三島由紀夫みしまゆきおは、自決に先立つ 約一ヶ月前の昭和45年(1970年)10月、広島県江田島にある 海上自衛隊第一術科学校の教育参考館を訪れています。その折 偶々たまたま 展示されていた、全国から寄せられた 戦没者の遺書の中から 手に取った 一通の遺書を読み終えた 三島由紀夫みしまゆきおは、声を出して泣いたといわれています。それは慶應義塾大学経済学部から海軍第13期飛行予備学生に志願し、昭和20年(1945年)5月、神雷部隊(人間爆弾【桜花】による特攻部隊)として特攻出撃し、南西諸島方面でさんげした 某・中尉(戦死後少佐に 二階級特進。23歳)の残した遺書でありました。三島由紀夫みしまゆきおはこの遺書を読んで、【すごい名文だ。命がかっているのだから 叶わない。俺は命をけて書いていない。】と語ったと言われています。ちなみに、この遺書は、現在、靖國神社の遊就館ゆうしゅうかんに展示されています。(後略)』と記させて頂きました。ついながら、その届いた葉書には 差出人の 氏名のみで、住所が書かれては ありませんでした。ちなみに、後輩も言うことですが、差出人が 住所を書いてこないのは 誠に失禮なことであります。なお、今年 届いた その父親の祖母の関係の親戚からの年賀状に 書かれてある住所に送るのでは 転送になると、前回 すなわち 3月29日(火)の消印で 送りました 特定記録の死亡通知(葉書)で分かりました。しかしながら、新しい御住所が分からず、今回の返信に当たり 転送になると分かりながら 同じ住所で 送らなければならなくなりました。それで。転送のため 先方に届けることが 一日 おくれることになります。ちなみに、誠に遺憾ながら、返信の便りが欲しくないのかもしれませんね。

 なお、いつものように 書状を添えて その1名のかたを含めまして 6名に 本を進呈しました。ついながら、この作業が 朝まで かりました。すなわち、今回も、寝ないで 作成させて頂き 朝になりました。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈すべく 用意した 成書

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 

 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、つぎのブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)