で、この記事の見出しのお知らせが届いたので読んでみました。
夫が自分のミスを素直に認めない理由は、
① 怒られる
② かっこ悪い
の2つかなと観察して来て思います。
他人からの指摘を受けるのが大嫌いなので、指摘されること自体にアレルギーがあるせいもあるかも。
私に関して言えば、失敗なんてどうでも良くて、次からは『気を付けてね』の一点だけ伝えたいだけなのに、『怒られる』『責められる』『馬鹿にされる』が聞く側の夫の根底にあると、次回失敗しない為のアドバイスは記憶に残らないんですよね。
そして私の全ての言葉は、責めと受け取られて馬鹿にされていると腹を立て、会話が成立しなくなることもあるので、落ち着いた頃に説明をするのですが、それでも『思い出し怒り』が始まったりする。
失敗を減らし、出来ることを増やしてくれればなと、その手助けをしているだけなんですけどね。
時々難しいなと思ったりします。
【編集後記】
子供の頃にどれだけ親や兄弟を始めとする周囲を観察し、周囲から見守られて手助けされて来たのか?が、大人になってからの土台になる部分ですが、私は三箇所の家で育ちましたが、手は抜かれておらずちゃんと教育されていたなと、夫の中の土台の欠落を見つける度に思います。
それはほんの些細なことで、例えば魚を食べる時にはご飯と一緒に口に入れず、骨がないことを確認してからご飯を口に入れるとか、
(おかずとご飯を数珠つなぎに一緒に口に入れる夫は、当然魚を食べる時にも同時に入れるので、小骨があると腹を立て、口の中のもの全部をティッシュに出し、ご飯を食べる気も失せる)
「え?そんなの常識じゃん?」と、当たり前過ぎて無意識にやっている自分の行動の原点が夫には存在しない家庭環境で育ったようです。
(故に私の中では常識過ぎて、なぜいつも夫が小骨だけを吐き出すことができずに怒るのかが理解出来なかった)
なので、『嫌い』や『苦手』や度重なる失敗の原因が、一度も教えられたことがないからと言う『知恵の欠落』にある場合が夫の場合は多々あって、そこに発達凸凹が乗っかっているので、原因が欠落か凸凹のどちらにあるんだろうか?と悩む場面があります。
『当たり前』や『普通』が共通認識出来ないことは夫の罪ではなく家庭教育のせいであると一呼吸おけるようになったので、余分なイライラは随分と減り、出来て当たり前と言う期待も以前より持たなくなったので、心的には平和にはなっていますが、疲れが溜まると『私ばっかり』と言う思いが強くなるので、夫育てを頑張っているところです。
夫は10才年下なので、私も大目に見れるし、夫の私への競争心やプライドが低いので平和的にやって行けるのですが、これが年上やプライドが高い人がパートナーだとキツいだろうなと思います。