日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動) -2ページ目

日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動)

野良猫1匹を巡って、いろんな人が関わっている。
それを繋げていくと、町がそのまま「形のないシェルター」になるよ。
小さな町で、sakkiが紡いだ“猫を巡るコミュニティ”のお話

晴れ年の瀬が迫って、皆さんお忙しいことでしょう。


私もいろいろあった1年でしたが、昔交流があった餌やりさんの1人が亡くなっていたと知った時は、堪えました。

亡くなったのは、去年の11月だったそうです。その死を、私は1年も知らずにいたのでした。…痛恨でした。


タバコ屋のおじさん…。


俺は昭和8年生まれだ」と言っていましたから、享年は80でいらしたと思います。

今思えば、私はその最晩年に、猫に導かれるように彼の前に現れたことになります。

そして多分、私は彼にとって数少ない友人のひとりだったのではないかと感じています。


おじさんと私とのあれこれを思い出し、文字にすることで、改めてご冥福をお祈りしたいと思います。



           変形五差路に立つタバコ屋さん。

           奥のシャッターを開けるとカウンターがあり、おじさんはコタツに座ってタバコを売っていた。

           茶トラ猫がしゃがみ込む手前の自販機の裏に、こっそり猫窓が開けられている
                          「だから東京が好き!街のねこたちより転載 (2007年の写真)


晴れ猫崎町の駅向こうに、変な形をした五差路があります。4方向から車が行き交う、とても危ない場所です。

その交差点に面して、小さなタバコ屋さんがありました。店舗兼自宅の木造建築で、おじさんと奥さん、息子さんが暮らしていました。

奥さんはお勤めに出ていたので、おじさんは日中、たった1人でタバコ屋の店番をしていました。


店頭に並ぶ自販機の裏側のサッシに、道路側から見えないように、15センチ四方の穴がこっそり空けてありました。

そう、それは猫窓でした。


何十年も店番をしながら、無聊をかこって野良猫に餌をやるようになり、

その猫がいつでも入って来られるように、思い切ってサッシにカッターを入れたのは、おじさんでした。

猫窓をくぐった先には、山盛りのカリカリと、干からびかけたウェットを入れたお皿が並んでいて、

大量の猫缶の買い置きが、タバコより先に目に飛び込んでくるのでした。


おじさんは、鳥にも餌をやっていました。

車が通らないのを見計らって、車道にパンやお米をばら撒くと、鳩やスズメやカラスが集まってきました。

そこへ車が通り掛かり一斉に飛び立つ様子は、見ていてハラハラしました。


猫窓から車道を横切ろうとして、車に轢かれて何匹も猫が死んだそうです。

するとおじさんはすぐに、店の電話で清掃局を呼びます。そして当たり前のようにお財布を出して、遺体処置代を払うのです。

店の引出しには、何十年分かの領収書の束が、大切にしまってありました。


保健所にはたびたび苦情が入り、保健所は明らかにここを、ブラックスポットと認定していました。

職員さんが時間を作って指導に行くと、おじさんは、

鳩だって野良猫だって、必死に生きてるんだビックリマーク多少食べさせて何が悪いビックリマーク この、薄情者プンプン爆弾逆切れして、

一向に改めようとしませんでした。

周りの壁には遠慮がちに、鳩に餌をやらないでください」とか「ここで猫に餌付けしないでください」と紙が貼られていましたが、

おじさんは意に介しませんでした。


おじさんは、矛盾に満ちていました。


小さな命を愛しく思う優しさと、自己満足とが、ごっちゃになっていました。

わざわざこんな危険な場所に、餌で猫や鳩を集めておいて、事故が起きると罪滅ぼしのように自分の懐を痛めるのです。

まるで、墓守(はかもり)のようだガーン と、私は思いました。

自分の矛盾に付けこまれないように、おじさんは頑なに地域に背を向けました。一度も地域のお役を引き受けたことがないそうです。

無謀な餌やりを何度もとがめられるうちに、地域から浮いてしまったのでしょう。

もはや、やり直しや後戻りをする柔軟性もない。俺はこれで良いんだとどこかで開き直って、

その心の穴を、猫や鳩への餌やりで埋めていたのでしょう。

なんとも、寂しい心象風景でした。



               店の前で。2匹の黒猫が寛ぐすぐそばを、自転車や車がよけるように過ぎて行


晴れ2011年のことです。

一人の女性が通りがかりに猫窓に入って行く猫を目撃し、勇気を出しておじさんに話しかけました。

猫に餌をやるだけだと増えてしまいますよ、手術はしてるんですか?と聞くと、

「手術なんて不自然なことをする必要はない。野良猫は野生なんだから、生まれようが死のうが俺には関係ないビックリマーク」 と、

追い返されたそうです。


ところが、その時猫窓に入った若い黒猫が、初産で子猫を6匹も産んで、

件の猫窓から子猫を1匹ずつ店内に咥え込んで、ファミリーで玄関に住み付いてしまったのですショック!爆弾


そうなってみて初めて、おじさんは慌てました。

あろうことか彼女に電話してSOSを求めました。頼れる人が他に思い当たらなかったのでしょう。

でも、彼女は遠くに住んで居て細やかに対応できません。そこで彼女が私に、協力を打診してきたのです。


こうして、私とタバコ屋のおじさんは巡り合ったのでした。


訪ねていくと、おじさんは待っていたとばかり私にすがってきました。

私はおじさんの噂を知ってはいましたが、一切意見したり批判したりはせず、辛抱強くおじさんの言い分を聞きました。


「困っちゃったんだよ。子猫が迷い込んで来たから餌をやっていたら、子供を産んで、店に連れて来ちゃったんだよガーン汗

何十年も猫に餌をやって来たが、こんなことは初めてだ。

子供は夜になると店の中を走り回っている。ノミでもいるのか痒くてたまらない。

この子らがまた子供を産んだら、大変なことになる。俺もこの年だから全部は面倒見切れない。

奥さん、すみませんが何とかしてやってください」と、あの時女性に言われた意味を、やっと理解したようでしたダウン


ノミがいると聞いて少しひるみましたが、靴を脱いで室内に上がると6畳ほどのスペースにコタツが置かれていて、

おじさんは一日そこに座って、カウンター越しにタバコを売るのです。


ふと見ると、コタツの布団の際にウンチが落ちています。オシッコの臭いも強烈ですえっ

コタツの先に使われていない玄関があって、母猫はそこから縁の下へ潜り込み、子猫を育てていました。


いつものように、私は知力と体力を総動員して作業に取り掛かりました。

毎日タバコ屋さんへ通って、玄関の後ろの薄暗い階段に何時間も身を潜ませて、捕獲作業をしました。

助成枠の申請、複数の病院への搬送、引き取り、伝手を辿って預かり先を見つけトライアルに同行し…。


その一部始終を間近で見ていたおじさんは、奥さんは、エライね。家庭だってあるだろうに。頭が下がるよ」と言いました。

そして、「この7匹は、全部俺が責任を取るチョキ」とカッコ良く私に宣言して、

母猫の不妊手術代、里親募集する子猫の医療費や早期不妊手術代から、残った子猫の去勢手術代まで、

その都度、きっぱり出してくれました。


厄介な人だと散々聞かされていたおじさんなのに、私は、一度も困ることはありませんでした。

きっと、自分を批判せず、ぴったり寄り添って働いてくれる人がいたことが、嬉しかったのだと思います。



                 タバコ屋さんから保護した子猫3匹。全部メスだった。

                 3匹はなな猫ホーム さんに預かられ里親募集して頂き、

                 それぞれに優しい里親さんに迎えられた(→テーマ「タバコ屋さんの猫」)。

                 今も、幸せに暮らしている


保護した子猫が願っても無い良縁に恵まれてそれぞれ里子に出るたびに、私はタバコ屋さんへ知らせに行きました。

するとおじさんは、

「ああ、良かった。本当に良かった。こんなところで野良猫になるよりどんなに幸せか。奥さんのおかげだしょぼんと繰り返しました。

「そうですね。どんなに食べる物があっても、ここに居たら車に轢かれて死んでいたかもしれないですしね。

可愛がっていた子を清掃局に引き渡すなんて、おじさんだって本当はしたくないでしょう?

今いる数匹の猫は、きっとおじさんの最後の猫ですよ。

最後まで世話できるように、車に轢かれないように。おじさんが方法を改めて、ちゃんと守ってやらないとね」と言うと、

素直に、うん、うんと頷くのでした。


時に、おじさんが電話してくることがありました。飛んで行くと、

「今日保健所がやって来て、猫が車のタイヤで爪を研ぐと苦情があったとか。

そんなこと言われても野良猫のすることだ、俺にどうしろって言うんだプンプン怒っています。


「おじさん。野良猫と言ったって野生動物ではないんですよ。誰か人間が助けてやらなければいけない、愛護動物なんです。

おじさんは、あの子たちにちゃんと手術をしてやった。ならもうひと頑張り、してやって。

迷惑掛けてすみません、もう増えませんからどうか私に免じてご容赦を、って、

おじさんがご近所に頭を下げて回るだけで、猫は、ずっと生きやすくなるはずです。

おじさん。ご近所とは仲良く。おじさんならきっとできますよグッド!と励ましました。


やがて、私のアドバイスに従って、おじさんは店内に新品の猫トイレを置きました。

猫窓のそばに並べていた不潔な給餌皿はきれいに洗って部屋の奥へ並べ直し、叩きは元のタバコ置き場になりました。

おじさんが膝の手術で入院している間に、家の改造が行われました。両膝が痛むのに、コタツでの店番は辛かろうと心配していたのです。

家族が、ちゃんと考えてくれたのだと思いました。

オシッコ臭かったコタツは、新品のテーブルセットに取り換えられました。


少しずつ、少しずつ、おじさんから攻撃性が消え、柔らかくなって行った気がします。

家族に愛され、地域に居場所があるという余裕が、晩年のおじさんを変えて行ったのではと思います。



           おじさんの家のトタン屋根で爆睡する黒猫。

           カウンターから見えたのはこの猫だと思う。思えばおじさんと一番長い付き合いをして、

           ついに店の看板猫に昇格したわけだ。息子さんから「もうほとんど外には出ない」と聞いて安心した
                                         「だから東京が好き!街のねこたち」より転載


晴れ最後におじさんに会ったのは、去年の年明けでした。

美味しい土佐文旦を頂いたので、すぐに食べられるよう皮を剥いてタッパーに入れて差し入れると、おじさんは喜びました。

「タッパーはあげるから、使ってね」と言うと、「また取りに来てよ」と言われました。

そのタッパーを取りに行かないまま、おじさんは11月に亡くなったそうです。すでに手遅れの胃癌だったそうですしょぼん


携帯タバコ屋のおじさんはもういない、って言う人がいたんですが、もしかして亡くなった?」と教えてくれたのは、

保健所の職員さんでした。

慌てふためいて飛んで行くと、懐かしい店内で店番をしていたのは、おじさんではなく、息子さんでした。

「こんなに遅くなってすみません。お線香を上げさせて下さい」と言うと、喜んで迎え入れてくれました。


お仏壇に、映画スターのブロマイドみたいなおじさんの遺影が笑っていました。

おじさんは、なかなかハンサムな人でした。


気になっていた、自販機の後ろの猫窓をそっと確認すると、以前のままでした。

遺族は、おじさんのやっていたことを否定しなかったのです。塞がれなかった猫窓はその証だと、私は思いました。


見覚えのある給餌皿が、見覚えのある並び方で室内に置かれていて、おじさんがしていたと同じように、鰹節が掛けてありました。

そして、おじさんが可愛がっていた年老いた黒猫が、テーブルの上にちょこんと乗っていました。


息子さんが教えてくれました。

「あの母猫は、たまーにやって来ますよ。他にも餌場を見つけたらしく太っています。もう、この辺の猫も少なくなりました」

「そうでしたか。あの猫窓は、塞がないんですか?」

「ホントは寒いんですけどねにひひあせる

まあ、ボクは猫が居ても別にイイんです。おやじも猫を可愛がっていたし」と言いました。


「もし増えそうになったら、すぐ知らせて下さい。私で良ければ、すっ飛んで来てお手伝いしますから」と言うと、

「ぜひお願いします」と名刺を交換しました。名刺にはタバコをくゆらす猫が印刷されていて、笑いましたニコニコ


帰り際、どうしてもひと言言いたくなって、振り返りました。


「お父さまは、この7匹は俺が責任を持つと言って、きっぱりお金を出して、やれることは全部なさいました。

お父さまは、立派でした。

私たちは、結構仲が良かったんですよ。私もお父さまのことが好きでしたけど、

お父さまの方は、その何倍も私のことが好きだったんじゃないかな?」と、イタズラっぽく言うと、

息子さんは、困ったように笑いました。



おじさんのタバコ屋は、出入りする猫と一緒に、まるまる息子さんに引き継がれていたのです。


若い彼なら、この後、猫との関わりをどう終結するか?地域とどう付き合うか、困った時に誰を頼れば良いか?

自分で考えて行くでしょう。



私は五差路に止めてあった自転車を動かし、ここに初めて来た時のことを思い出しながら、

「おじさん、さよなら」 と、心の中で言いました。


カウンター越しに、黒猫が見えました。


まるで店番をしているようだなと思いながら、私は勢いよく自転車を漕ぎ出しました。







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もみじこの秋、猫崎町にひとつの大きな出来事がありました。

猫崎ペットクリニックが、11月末をもって本院に統合され、閉院することになったのです爆弾



閉院を知らせるハガキが郵送されてから、町の中はちょっとした騒ぎになりました。

「急に閉院なんて。どうしよう?どこへ行けば良いだろう?」と、ねこパト中、あちこちから相談を持ちかけられました。


都心ですから動物病院は過当競争です。猫崎町にも、他にも優秀な動物病院が複数あります。

あちらに行かれてはどうですか? 少し遠くなりますけど、キャリーに入れて自転車で行けば楽ですよ。

私のは電動自転車ですから、いつでもお手伝いします。

長患いの持病があっても、初診で検査をすれば状態はわかるでしょう。心配は無用だと思いますよ」などと、

病院の回し者みたいに、あちこちで転院のアドバイスをする羽目になりましたべーっだ!



でも本当は、閉院で一番打撃を受けたのは、私自身だったように思います。

長年のパートナーを失ったような、何とも言えない寂しさがしみじみと押し寄せていたのに、

他の人の対応に手一杯で、言葉にする余裕を見失っていたのですしょぼん汗


この6年間、猫崎町のあちこちに小さな地域猫の現場を作ってきましたが、

猫崎ペットクリニックこそ、私の活動のベースキャンプであり、何にも代えがたい私の相棒だったのです。



      2013年5月に亡くなった猫崎公園のぶーちゃん

      ぶーちゃんは2010年に右目を悪くして、男性ばかり3人、それそれに病院へ通院させていたことが後からわかった。

      そのうちの2人は猫崎ペットクリニックへ連れて行っていたので、診断を聞きに行って以来交流が始まった。

      ぶーちゃんの右眼は失明。でも処方された目薬を毎日さしてくれる人がおり(公園仲間のはっちゃん)、

      調子が悪い時は何度か通院させて、処置してもらった。

      そのおかげで、ぶーちゃんはさらに3年、元気で暮らすことができた。

     


2009年に横浜から東京へ移り住んだ時、私はまず、野良猫を連れて行ける病院を探しました。


「野良猫の不妊去勢手術? いいですよ、ただし1週間後に抜糸に連れて来て下さいね」なんて言うような病院は、

暗に、野良猫はお断り と言っているのと同じです。

横浜時代は、こんな調子の動物病院が多くて、ずいぶん苦労したものでした。


現在の愛護事情に関心があり、機会さえあれば獣医としてのスキルで自分も貢献したいと思っている、若くて、柔軟な考えの獣医さん。

私が探して居たのは、そういう獣医さんであり、病院施設でした。

そういうパートナーが居てくれれば、この猫崎町の野良猫事情を大きく変えられるはずだと、最初から考えていたのです。



晴れある日、ねこパトの途中に大通りの一角に小さな動物病院を見つけました。


こんなところに動物病院があったんだえっビックリマーク でも、患者さんが出入りしているのを、一度も見たことがありません。

恐る恐るドアを開けると、白衣を着た、目元の涼し気な若い女性が対応してくれました。


「お訪ねしますが、こちらでは野良猫の不妊去勢手術はして頂けますか?区の助成枠の対象病院でしょうか?」

「こちらはK動物病院の分院で、私が分院長を務めています。

本院は獣医師会に所属していないので、助成枠の対象病院ではないのですよ」


「では、新たに対象病院として名乗りを上げて頂くことはできないでしょうか?

この町も野良猫が多くて、こちらにお願いできれば、とても助かるのです」

「本院の意向を聞いてみますから、少し待って貰えますか?」


クールビューティは、その日のうちに本院に聞いてくれたようで、すぐに返事が貰えました。


「残念ですが、難しいようです。

でも、野良猫ちゃんの治療ならこちらでもお引き受けしますよ。私がお役に立てるのでしたら、いつでもどうぞニコニコ


これが、藤孝先生(ふじたかせんせい・仮名)との出会いでした。

2010年のことで、藤孝先生が猫崎ペットクリニック院長に赴任して、ちょうど1年経っていたそうです。

私と藤孝先生は、奇しくも同じ2009年に、この猫崎町へやって来ていたのでした。


                       アトム。2010年秋に不妊手術したお萩には4匹の子猫がおり、

                       いずれ子猫全頭に手術をするために、

                       私はファミリーに餌付けして公園に移動させた。

                       4匹のうち、アトムとアンリは里親募集をし、幸せに暮らしている。

                       保護出しのための一次検査を藤孝先生にお願いした。

                       処置の間アンリが逃げ出して診察室の物陰に籠城してしまい、

                       泡を喰ったのを思い出すガーン(→テーマ「お萩と4匹の子猫たち 」)


猫崎町には実にたくさんの野良猫が住み付いていて、私はねこパトを繰り返して彼らの生態を探りました。

土地柄なのでしょう、この町に住み付いた野良猫の後ろには必ず、密かに手を差し伸べて命を支えてくれる人がいました。


「野良猫1匹を辿って行くと、いろんな人が関わっている。それを繋げていくと、町がそのまま、形のないシェルターになるよ」


日々是ねこパトの冒頭に掲げているこのフレーズは、

足で稼ぎ、1匹の野良猫を支えている人を探しあて、同じ猫を気にかけている人同志を繋ぎ合わせていけば、

そこに無形の野良猫シェルターが出来るかもしれないという、私が作り上げた夢のような構想であり、実感だったのです。


背後に猫崎公園、並びはウシ子のいた猫だまり。大通りを渡った向こうはマルメロ通り、教会通り。その先に5丁目駐車場の現場…。

私のねこパトエリアのど真ん中に位置する小さな動物病院、猫崎ペットクリニックは、

こうして、猫崎町の野良猫事情を大きく変えるベースキャンプとなっていったのでした。





       猫崎公園の縞ちゃん(上)とお兄ちゃんの兄妹。

       2匹は半年を隔てて、おばあちゃんご一家に家猫として迎えられ、とても仲良く暮らしている。

       下は、風邪を引いたお兄ちゃんを捕獲して治療してもらっている写真。そのままお届けすることになり、

       おばあちゃん宅の猫部屋に病院スタッフ3人も駆けつけてくれて、総勢8人で2匹の感動の再会を見届けた。

       (→テーマ「お兄ちゃんの公園卒業 」)

       実は、2匹には3匹目の兄弟がいて、連れ帰った人がいたことが後からわかった。

       閉院間際のクリニックでその方と再会。その子猫は、ある猫に執拗にいじめられており、見かねて引き取ったとのこと。

       「尻尾の無い猫がね、首根っこをガシっと抑えて、食べさせないのよプンプン」と言うので、

       「もしかして…ガーン」とトミ黒の写真を見せると、「あ~これこれ!この猫がうちの子を苛めてたのよ!」ですって!! 

       後ろで藤孝先生が笑いを噛み殺していましたにひひアップ  



不妊・去勢手術をサポートしご近所関係を整理して、地域に猫を見守る体制を作ってしまうと、
今度は、シニアの猫たちや、重篤な病気を発症した猫たちの医療ケアが必要になってきました。


私は藤孝先生を頼り、藤孝先生はその都度、私の要求に精一杯応えてくれました。


野良猫の治療には、飼い猫とは違う独特の制限があります。

そのひとつは、2度目の通院はないかもしれない(捕獲できない)こと。ふたつ目は、治療後、野に返すことが前提ということでした。


保護するつもりがない以上、「血液検査しても意味がない」と割り切る必要もありました。

その代わり、その場でできる限りの処置をしてほしい。こちらは素人という免罪符がありますから、はっきり求め、粘ります。

すると、そのお題にどう応えるか? 藤孝先生は頭を捻って道を探るのです。


基本は、QOLを少しでも上げるための対症療法です。

そして、外でしか生きる場所のない猫たちの尊厳を尊重し、「生き切る」ことを、最大の眼目とする。

れが私たちの基本姿勢でした。


シニア猫にとっては、口内炎のケアは必須です。無麻酔での抜歯は痛々しいものですが、

大抵はその日のうちにワシワシと食べるようになります。そうなれば一安心。

リリース後は、丁寧に観察しながら薬剤を加減します。

抗炎症効果絶大なステロイドも、使い方を間違えれば自己免疫を阻害します。そういう「塩梅」を、藤孝先生に何度も教えて貰いました。

時に、藤孝先生が猫崎公園へ様子を見に来てくれることもあり、今後の方針を立ち話したものでした。


「野良猫の通院は、一発勝負ドンッ」 という緊迫感が私にはいつもあり、

意外にも、藤孝先生が私以上にそのツボをきっちり抑えてくれたので、私たちの意思疎通はとても楽でした。



        パルがぐったりしているとマルメロから通報を受け、急ぎクリニックへ運んだ

        胸の中に大量の膿が溜まっていて、呼吸ができず食べ物も通らず、気づくのが遅れていたらパルは助からなかっただろう。

        外科医・藤孝先生は胸にドレーンを入れ、排膿処置をしてくれたが、膿胸を甘く見ることはできず、

        完治までひと月は掛かると言われた。結果、ちょうど1ヶ月でパルはマルメロ通りへの生還を果たした。

        この時のパルを支える人間模様は、実にドラマチックだった。

        マルメロ通りに、地域猫の現場を作って良かったと、強く感じた(→テーマ「膿胸になった飼い主のいない猫 」)。


しかし、猫崎ペットクリニックには最大の難点がありました。入院設備が無いのですドンッ


ネグレクトする飼い主を見切って家出した花ちゃんは、自ら、私たちの地域猫になり、

公園近くのお宅の玄関前に置かせてもらったハウスに住み付きました。


そのハウスが、入院設備と同じ役目を果たしてくれました。そこから何度も通院させ、私たちに看取られながら、

花ちゃんはハウスの中で、とても穏やかに旅立ちました。(→テーマ「飼い猫をやめた猫 」)


マルメロ通りの若い猫・パルは、膿胸という重篤な状態から間一髪、藤孝先生に命を救われました。

1日2回胸腔内を洗浄する処置が長期で必要で、胸にドレーンを装着していましたから、リリースはもちろんできません。

この困った事態に、マルメロ通りの住民のひとりが、夜だけパルを預かりましょうと申し出てくれたのです。


私はマルメロ通りにチラシを撒き、パルを可愛がって下さっていた地域の皆さんに医療費のカンパを持ちかけました。

1日1万円掛かると言われた治療費のほぼ全額は、このカンパで賄うことができました。



「野に置いたままでは、できない」と考えるのではなく、「どうすればできるか?」だけを、私は必死に考え実行しました。

それを可能にするのはたったひとつ、地域の皆さんの力を借りるしかないといつも考えていたのです。


そして私にとっては今や、藤孝先生もまた、紛れもなく地域のひとり、欠くべからざる重要人物でした。


彼女が懸命になってくれるのだから、必ず私が、段取りしてみせる…グー


その思いが、毎回事件が起こるたびに、火事場のバカ力のように私を動かしました。


そうやって、1匹の猫を地域の皆さんと一緒に助け、あるいは送り出して、「お疲れ様でした」と笑い合えれば、

すべての苦労が爽やかに報われました。


今思い出すと、その日々はまるで、私の青春時代そのもののようでしたニコニコ

でも、多分藤孝先生にとっても、私との協働戦線は刺激的だったに違いありません。


膿胸のパルが日中クリニックにいる間、マルメロ通りの皆さんが代わる代わるやって来て、パルに面会したそうです。

sakki さんが言ってる”地域猫”というのは、こういうことなのかニコニコと、実感したに違いありません。


飼い主とペット、その一対一の関係に介在する獣医さんの仕事から逸脱して、

本当の意味で「地域密着の動物病院」になれたと、感じてくれたのではないでしょうか?



私が探し当てた「若くて、柔軟な考え方の獣医さん」は、こうして猫崎町のために尽くしてくれました。

この6年間が彼女にとって何がしかの学びの時間であったとしたら、それは将来、彼女のキャリアに、必ず影響を与えるでしょう。


それが、私から藤孝先生へ贈る、ほんのささやかなお礼です。受け取って貰えていれば、私は幸せです。


        花ちゃん。ネグレクトしていた飼い主はドアに猫窓を開けていたが、花ちゃんは家に帰らず私たちを頼った。

        すでに、カウントダウンは始まっていて、止めることはできなかった。

        何度も通院させ、そのたびに藤孝先生と、尊厳ある死までを、いかに支えるか? 意見を交わした。

        QOLという言葉を噛みしめながら、死に行くものに何がしてやれるか? みんなで一緒になって考えた


 

晴れ12月8日、朝。

猫崎公園でデリをしている所へ藤孝先生が寄ってくれて、クリニックの片付けも今日で終わりますと教えてくれました。


夕方、お別れをするためにクリニックを訪ねました。

別れ際、スタッフさんのひとりが感極まった様子で目で訴えてきたので、私は思わず彼女をハグしました。

藤孝先生とも、固く握手しました。


私から見れば妹たち、ひょっとすると娘の世代のような若い女性たちだけで、この病院の経営を何年も支えて来たのです。

不安もプレッシャーもあったことでしょう。


「皆さん、本当によく頑張ったね。長いことお疲れ様でした。明日からの再出発が、どうか、うまく行きますように。

そして願わくば、いつかこの場所に動物病院を再建できますように。

そんな夢を実現できるまで、獣医さんとして、スタッフさんとして、キャリアを磨いて下さい」 と言いました。


この日を最後に、クリニックのシャッターが上がることはなくなりましたしょぼん




さようなら、猫崎ペットクリニック。 いままでお世話になりました。 ありがとうございました。



町の猫たちと、猫繋がりの皆さんのために、無我夢中で奔走した日々に区切りを付けたような、

なんとも表現しがたい思いに捉われながら、お別れをしたのでした。






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トミ黒(とみくろ)の口腔底にできた異物の正体を調べるために、太い針を刺して患部の細胞を採取。

その検体を培養し、細胞の組成を調べて病理診断するラボに出すことになりました(→「宣告前夜 」)。


結果が出るのに1週間位かかります。

その間、膀胱炎の薬を出しますから、1日2回、飲ませていて下さい。結果が出たら、こちらから連絡します」と院長に言われ、

ニューキノロン系の抗生剤(多分バイトリル)と消炎酵素剤のノイチームを処方され、ぼーっとしながらG動物病院を後にしました。


まだ、ガンと決まったわけではありません。

でも、「顕微鏡を覗いたらそれらしき細胞が見えました。多分、扁平上皮癌だと思います」と言われたのですから、

尋常でいられるハズがありません。


この日、10月30日。トミ黒は「ガン宣告」を受けたのです。 …私にとっては、それと同じことでした。



家に帰ると、トミ黒は「えらい目に遭ったあせると言わんばかりにキャリーを出て布団の中に籠城。

けれど、2時間ほどして様子を見に行くとケロッと出て来て、フードを食べました。

オシッコも出ました。猫ジャラシでも遊び、ベランダに出て外気を吸いました。

この夜のトミ黒は、宣告を受ける前と、少しも変わりませんでした。


晴れところが、翌朝から事態は一変しました。

まったく食べなくなってしまったのです。だるそうで、元気もありません。食べないから、ウンチも出ません。


ベロの下は、昨日から真っ赤になっていました。

それが、時間を追うごとに赤黒くなっていき、生々しい異物となって腫れ上がって来て、

まるで、皮を剥いだカエルが喉につかえているかのように見え、私は不安になりました。


原因は、明らかに穿刺でした。刺したところが痛むのでしょう。口を開けたがらず、フードはおろか、水も飲もうとしません。

「針を刺して組織を取った時に、内出血したのでしょう」と後に院長に言われましたが、

針を刺したことで、ガン細胞が一気に活性化したのではないかメラメラはてなマークと疑い出すと、生きた心地がしませんでした。


とにかく、手を尽くして食べさせなくてはいけません。

空の胃に薬を入れるわけには行きませんし、

第一もしガンだとしたら、食べないまま体力を落とし、免疫力を低下させるようなことは絶対に避けたいと思いました。


嗜好性の高いゆるめのウェットで誘うと、布団から出て来て食べ始めました。カリカリにも飛びつきました。

気怠くて動く気になれなかったのでしょう。でもお腹は空いている。それを思い出した様子でした。


ところが、カリカリをうまく口に運べません。

個体によって食べ方が違いますが、トミ黒はベロで掬い取って食べるタイプです。そのベロが、うまく動かせないのです。

拾っては落とし、また落として、結局10粒も食べないうちにやめてしまいました。

疲れてしまって、食べること自体を諦めてしまうのです。口内炎が酷くなった猫にも、よく同じ現象が見られます。


              「食べるのが下手な猫用の食器」その1

              陶器で、底にデコボコがあってカリカリが逃げない。なかなか優れものだが値段が高い

その日のうちに、私はあちこち自転車で走り回り、

食べやすさに配慮した給餌皿を2種類と、高さのある給餌台を急いで用意しました。

ガン細胞の増殖を妨げるというサプリも取り寄せて、飲ませ始めました。


やはり持病のある飼い猫の介護をしている相棒が、私の心の浮き沈みを細やかに把握してくれて、

すかさず、良質で嗜好性の高いウェットを見繕って、持って来てくれました。

ウェットは、幅の細いスプーンを使って口元に運びます。

こうすると、ベロを使うより両あごで噛みつくような食べ方の方が効率が良いので、食べ方を自然に矯正できるのです。

カリカリもカロリーの高いものに切り替え、食餌の回数を増やしました。

体重の減少をなんとしても最小限に抑えようと、かつて公園猫を看取った時の経験を総動員で当たりましたが、

突然介護生活に引きずり込まれてしまったようで慌てていました。



               「食べるのが下手な猫用の食器」その2

               手前に傾いていて、底面積が狭くなっているため、カリカリが集めやすい。

               その1とその2のドッキングしたもの(内側にデコボコがあり、底面積が狭いもの)

               があれば最高なのだけど…。

               でも給餌皿を変えたおかげで、格段に食べやすくなった


1日2回の投薬がまた、憂鬱のタネでした。

フードを食べ始めたのを見計らって、後ろから頭を保定して下あごを開けるのですが、ただでさえ口が痛いトミ黒はとても嫌がって、

薬が放りこまれたのをきっかけに、食べるのをやめてしまうのです。


憂鬱だったのは、不器用で投薬に手こずったからだけではありませんでした。

検査の結果が出るまでの1週間を、膀胱炎の薬だけ飲ませ、ガンに対して無策で過ごすことが、とても苦痛だったのです。


猫の1週間は、人間の何か月に当たるのだろう? その間に、ガンはどれ位進行してしまうのだろう?

そう考え出すと、この時間が無為に思え、腹立たしくてなりませんでした。


ガンがまだ切除できる段階だったとしても、口の中です。場合によっては、下顎の一部を取る可能性だって、ゼロではないでしょう。

けれど、たった2か所針を刺しただけで、これほどの影響が出たのです。

それを考えると、ガンを切除した後一体どうやって食べるのだろうか? と絶望的な気分になりました。

食道や胃にチューブを通して、そこから栄養を入れる手もあるでしょう。

でもそれは、トミ黒にとってはストレス以外の何者でもないでしょう。トミ黒は、どう受け止めるでしょうか?


切らずに、自己免疫だけでガンと共生する覚悟をするのもひとつの選択です。

ガン細胞もトミ黒の一部として受け入れて、押したり引いたりして毎日を過ごすとしたら、一緒に居られるのはどれ位なのでしょう?

やがて自壊が始まって、ガン細胞とともに天に召されていくまでを、心を籠めて私がサポートする。

その方が、トミ黒の尊厳を守れるようにも感じました。


…まだガンと決まったワケでもないのに、私の頭の中は空論が渦巻いてはち切れそうでした。


一体、何でこんなことになってしまったのだろう? 検査の前日まであれほど元気だったのに。

穿刺なんて、しなければ良かったんだ…しょぼんダウン


本末転倒の屁理屈をこねて成り行きを恨み、自分を責め、自ら苦しみを深め、私はバカになり切っていました。


晴れ穿刺から5日目、ついにトミ黒の口腔底の赤味が引き始めました。

痛みが取れて来て、手こずりながらも粘れるようになり、食べる量が増えました。

久しぶりに、たっぷりのウンチも出、派手にえづいて特大の毛玉を吐きましたショック!アップ


深夜、PCに向かう私の膝の上で、トミ黒は安心し切って寝こけていました。自分に何が起こっているのかなど、興味もないようでした。


愛しいトミ黒…。あなたの身体の中で何が起きているんだろう? 私は、どうしたら良いんだろう?


心の中は悶々としていましたが、トミ黒のつやつやした背中を撫でていると、心が落ち着きました。

膝で感じる重さと温かさがそのまま、トミ黒の「いのち」なのだと感じました。


私を半狂乱に陥れたトミ黒自身が、大丈夫だよ」と、私の背中を撫でてくれているように思われました。



             PC作業をする横で寛ぐトミ黒。どんな時でもこの姿を見ると穏やかな気持ちになれる。

                 トミ黒は私の精神安定剤だ

晴れ金曜日のお昼頃でした。院長から電話が入りました。ついに、運命の細胞診の結果が出たのです。


携帯その後、どうですか?」と聞かれたので、

「オシッコはちゃんと出ていると思います。

口の中は赤黒く腫れて、食べられないし元気はないし、あれから生きた心地がしませんでした。

でも一昨日あたりから少し食べられるようになりました。

口の中も針を刺した痕が赤く残っていますが、他は普通の色に戻りました」と言うと、

「治っちゃってませんかはてなマークと聞くではありませんかビックリマーク


えっはあ!?  意味がまったく分かりません。なに言ってんのはてなマークはてなマークはてなマーク


院長は少し興奮しているようでした。

「細胞診の結果が、ガンではないかもしれない、と出てるんです。一度連れて来て下さい」。



その日の午後、一番乗りでトミ黒を連れて行くと、院長はトミ黒の口を開けて何度も患部を触り、

「うんビックリマーク 小さくなってる! よし!!と繰り返しました。

それから院長は私に1枚の紙を手渡しました。「細胞診診断書」でした。


とても専門的な内容でした。

前半は、トミ黒の患部から取った標本中に、どんな細胞が、どんな状態で見られたか、事細かに書いてありました。


その細胞構成と状態は、ただちに腫瘍性と判断されるものではなく、肉芽腫形成と肉芽腫性炎を示唆している。

原因としては慢性細菌感染、真菌、および異物が挙げられる、と結論付けていました。


そして最後に、「診断  軽度の好酸球湿潤を伴う化膿性肉芽腫性炎」 とあり、

まずは抗生物質に対する反応を観察し、反応が見られないようであれば組織生検を検討すべし」 と結んでありました。


私はあっけに取られました。

扁平上皮癌は知っていましたが、肉芽腫のことはよく知らなかったために、喜んでよいものか、わからなかったのです。


後に、この難しい診断書を読み解くために、私はあちこち調べまくりました。

体内に侵入した原因物質と闘うために炎症を起こした患部が盛り上がり、肉腫のような体裁を示すことがあります。

その炎症を肉芽腫性炎。そして盛り上がった肉腫を、肉芽腫(にくげしゅ、にくがしゅ)と呼ぶそうです。


ガンのようにどこまでも広がって無秩序に組織を壊して行くことはありませんから、ただちに命に関わる病気ではありません。

けれどできた場所によっては、食べられない、呼吸がしにくいなど、著しくQOLを下げ、結果生命活動を脅かす場合があります。

特に、口腔内は発見しにくい。

だから、食べるのが遅くなった、下手になった、毛玉の吐き方が変わった、ベロが寄っている、などと感じたら、疑う必要があります。

私がトミ黒に感じた小さな変化は、まさに隠れた異常を物語っていたのだとわかりました。


診断書と医学書を引き比べて読み解いてみれば、実によくできた診断書でした。

過去に何度か細胞診をしていましたが、これほど明解なものは初めてでした。

診断書の最後には診断医の個人名が記載されていました。私はこの方に感謝しました。



針を刺した部分に、ガンの細胞は見られないという結論です。まあ、場所が違えばわかりませんけれどね。

この診断書通り肉芽腫で、その原因が細菌感染であれば、

膀胱炎のために出した抗生剤が、こっちにも効いてんじゃないかはてなマークと思ったんです。

まあ、最初からその可能性もあると思って処方したんですけどね得意げと院長は言いました。


電話口で院長が興奮気味に言った「治っちゃってませんか?」の意味が、やっと分かりました。

最初からその可能性もあると思ってた」 ってかはてなマーク  あの興奮した声色からは、そうは思えませんでしたけど。

それに、「それらしきもの(ガン細胞)が見えた」って、言ってたよね?

…つっこみたいのを、グッとこらえましたにひひ汗


「うん、うん。小さくなってますよ。

抗生剤に感受性があったということです。多分ガンではないでしょう。でももうしばらく、抗生剤を続けましょう」と院長は言いました。



あの時たまたま膀胱炎を併発したおかげで、

診断書に示された3つの事柄が、1週間めのこの時点で、既に明らかになっていたのです。

つまり、①抗生剤に対する感受性があり、②おそらく細菌感染によるもので、③ガンではなく、化膿性肉芽腫である。


ガンに対する無策を恨みがましく思いながら、膀胱炎対策の抗生剤を半ばやけになって飲ませた1週間。

この1週間には、ちゃんと、意味があったのです。

その間、自分で勝手に浮き沈みして大騒ぎしたことを思うと、滑稽でした。

まさに、「膀胱炎、さまさま」でしたクラッカー   (G院長もありがとう!)



        「まったく、何を騒いでいるのやら」と言いたげなトミ黒。 …って、一体どこにどんな菌を飼っているの?


診断が出たのは11月6日です。ガン疑惑が幻だったことを、すぐお知らせしなかったことをお詫びします。

けれど、それ以降もトミ黒の不調は続き、晴れ晴れとした気分にはなれなかったのです。


今も、毎週金曜日にトミ黒を通院させています。

口腔底の肉芽腫はほぼ消滅し、今回の騒動での体重減少も100グラムで済みました。


しかし4回目の受診の前に、トミ黒は激しく嘔吐し、薬もろとも食べたばかりのフードをすべて吐き戻し、胃液を吐き、

挙句泡立てたシャンプーのようなものを吐き続けました。実に40回も、尋常でないえづき方を繰り返したのでした。

私は自己判断できっぱりと投薬を中止。

3週目の半ばから感じていた食欲不振が、バイトリルによる副作用ではないか?と疑っていたからです。


院長にそれを報告すると、バイトリルはまれに食欲不振と嘔吐を引き起こすと言って、代わりにコンべニア(長期抗生剤)を注射しました。

細菌炎症を甘く見てはいけない。耐性菌ができないよう徹底して叩く必要があるということは、私には体験的に理解できました。



考えてみれば、トミ黒が異常を示したのはこの3年で3回目です。

一度目は保護のきっかけとなった左目周辺の炎症。二度目は犬歯奥の炎症。そして今回です。

彼の頭蓋骨の中に、何かの拍子に暴れ出す常駐菌が住んで居るのでは?という感覚は、疑いようがなくなりました。

それがあるので、ガン疑惑が晴れても、手離しで喜べなかったのです。


でも、だとすれば、トミ黒をあの時、公園から我が家に迎えたことは、大正解だったのだとつくづく感じました。


袋に入れられた子猫が何度もゴミ箱に棄てられていた2003年当時から比べると、今の猫崎公園は天国のようです。

猫をいたぶる人など誰もいません。

けれどもしあのままトミ黒を猫崎公園に戻して、肉芽腫に冒されていたらどうなっていたでしょう?

それを思うと、私の元へ来てくれて本当に良かったとしみじみ思うのです。



猫は過去のことを話しませんが、その背後にそれぞれの歴史を持っています。

保護猫であれば、飢えて彷徨う経験や、命の危機があったかもしれません。

ショップから迎えた猫にだって、飼い主が知らない歴史があるはずです。


そういうパラレルな猫生を思うにつけ、

1匹の「自分の猫」と暮らすことは、何かの采配による、奇跡の巡りあわせなのだという思いを強くします。

私がトミ黒と出会ったのも、まさにそれだったのでしょう。


そして、猫には人より短い生が運命づけられています。明日、別れが来ることだってあり得るのです。

腑抜けのようにトミ黒の命の限界に怯え、バカになってうろたえたからこそ、

トミ黒と暮らす平凡な一日がどれほど幸せなものであるか、実感できたのだと思います。

「幻のガン疑惑」に、感謝しなければいけません。




トミ黒は今年12歳、立派なシニアです。すでに下降線に入っていると考えるべきでしょう。

でも、どんなことが起こっても、私が目になりセンサーになり、寄り添う。


最後の瞬間まで、彼を大事にしたいと思います。



できれば格好悪い大騒ぎをしないようにしたいのですが。

こればかりは、多分ムリですねにひひあせる


みなさん、毎度お騒がせしますが、どうか、お許しを。                         「トミ黒の口の中」  完





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雷先週1週間、私はバカになって過ごしました。「生きた心地がしない」というのは、あのようなことを言うのでしょう。


我が家の猫、トミ黒(トミクロ)に異変が生じていたのです。

検査をして、その結果を待つ間の苦しみと言ったら、尋常ではありませんでした。



1週間、ひとりでいろいろなことを考え続けました。

とどのつまり、生きるものすべてはいつか死と向き合う。それから逃れられるものではない。

そうであるなら、ともに居られる短い時間をいかに大切に過ごすか? それが大事なのだと、切実に思いました。

そう思うことで、かろうじて平静を保てた気がします。


結局、たった1枚の診断書が私を正気に戻してくれました。


人間というのは、喉元過ぎれば忘れるようにできています。よくできたものです。そうでなければ、前には進めない仕組みなのでしょう。

でも、別れは、いつか必ずやってくる。いつまた始まるかもしれないそのカウントダウンに備えて、

私は、今回のことを忘れてはいけないと自戒しました。


そう考えて、この7日間の出来事と、私の格好悪いうろたえぶりを記録しようと思います。


同じような思いをされた方もいらっしゃるでしょう。辛いことを、思い出させてしまうかもしれません。

でもその時、どんなことを考えて、現実に立ち向かわれたか?

その思いを共有できたら、ありがたいと思います。



           新居のトミ黒。

           新居にはベランダがあり、私は脱走防止策を念入りに講じて、トミ黒を外に出せるようにした。

           猫の額ほどの囲まれた空間でも、太陽と風を全身で感じるようで、トミ黒の喜び方は想像を超えていた。

           しかし、私が一緒に出ないとわかるとそそくさと室内に戻ってくる。その様子が可愛くてたまらない。

           かつて猫崎公園に居た頃と同じ様に、日だまりで延々と毛繕いをするトミ黒の姿を見ていると、

           なんとも幸せな気持ちで胸が満たされる


2012年12月。私は猫崎公園から1匹のオス猫を我が家に迎え、トミ黒と名付けました。


左目の周りに大量の膿が溜まってお岩さんのようになってしまった彼を通院治療させているうちに、

公園に返すことができなくなってしまったのです。

ずっと外猫に関わる活動をしていながら、私はそれまで、猫を飼ったことがありませんでした。

トミ黒は、この世で初めての「私の猫」になってくれたのでした(→「猫ハウスの効能 」)。



保護した後になって、トミ黒が猫崎公園に現れたのは2003年だとわかりました(→テーマ「10年前の猫崎公園」)。

実に10年という長い年月を、トミ黒は野良猫として、猫崎公園で生きてきたのです。

その間、イタズラもされず、大きな病気もせず、可愛がってもらえたのは幸運なことでした(→「10年間公園で暮らした猫」)。

ぶーちゃん(2013年5月没)と並んで、「猫崎公園の膝乗り猫」として名を馳せて、

今でも、「昔、ここにこんな猫がいたんだよ。可愛かった」と、携帯の画像を披露してくれる人がいてくれるのは、嬉しいことです。



公園猫を全頭TNRして、公園仲間を作って、一緒に給餌と管理を始めたのは、2010年です。

当時から、トミ黒は食べるのが下手くそでした。ポロポロとこぼしたり、食べたものをそっくりリバースしたりしていました。

口の中に、正体不明の慢性的な弱点を抱えているような気がしていました。


保護のきっかけとなった左目の炎症も、原因は歯根に潜んでいた病巣でした。

再発を防ぐために、保護後、犬歯を含めて全抜歯し(→「牙をなくした公園キング 」)、

食べやすい大きな粒のフードを与えて(メタボリックスとエイジングケアライト)体重管理をしました。


以来、トミ黒は大きな病気もせず、いつも温和な性格で私を満たしてくれながら、12歳になりました。



        年に一度、猫崎クリニックへ健康診断に行く。通院が苦手なトミ黒は不安な声を上げ続ける。

        猫崎クリニックは、保護のきっかけとなった左目の炎症の時、入院設備を仮ごしらえして対応してくれた。

        トミ黒は「トミ黒部屋」(バックヤードの保護ケージの2段目中央)をちゃんと覚えていて、

        治療が終わると診察台を飛び下り自分でドアを空けて、そこへ飛び込んでいたそうだ。

        今年は、さすがにトミ黒部屋に戻ろうとはしなかった。忘れてしまったのかな?

        早くお家に帰ろうね


ところが、今年9月のことです。たまたま大あくびをしたトミ黒の口の中を見て、あれっ!?と思いました。

ベロが、向かって左側に極端に寄っていたのです爆弾


前からこんなだったっけえっはてなマーク と仰天しました。

おまけにちょうどその頃から、直径1センチ位の痰のようなものが、部屋のあちこちに吐き出されるようになりました。

痰の中には、毛がたくさん入っていました。


今思うと、毛繕いで口に入った毛が、何かの理由で飲みこめずいつまでも口の中に残るので、

不快になってツバとともに吐き出していたのかもしれません。

それでも、トミ黒は少しも変わらず元気で、食欲も旺盛でした。便通も規則的でしたし、精神的にも安定していて、

健康そのものに見えました。


でも本当はその時以来、「トミ黒の口の中に、また異常が始まったのかもしれない」という不安が消せなくなっていたのです。

「何でもない。きっと何でもない」と自分に言い聞かせながら、ワクチン接種と健康診断を、例年通り10月末に予約しました。



          診察台の上のトミ黒。体重は4.5キロ。

          公園に居た頃は4キロあるかないかだったのに、家に入れて1年で4.7キロまで増え、ダイエット中。

          フードの内容を話すと、「これ以上ないほどの粗食ですねにひひ良いと思いますよ」と笑われた。

          オスの家猫としては小さいが、この骨格なら理想体重の上限だと思う。

          シニアの肥満は万病の元だ。関節痛でも苦しめたくない。できるだけ長く一緒に居てほしい



晴れ10月28日水曜日。猫崎クリニックでシニア健診を受けるついでに、口の中を診て貰いました。

先生はトミ黒の口を開け、「あれ?変ですね。何かある」と言い、何度も指を入れて触りました。


ベロの下、人間だと口腔底と呼ばれる部分です。

口腔底の向かって右側の範囲に何かがあり、固くなっている。そのため、ベロが真ん中に納まらず左へ寄っている。

あるいは、触ると痛いので避けている…むっはてなマーク

先生はそう感じたようでした。


一緒に指を突っ込んで患部を触りましたが、私には何が固くて何がおかしいのか、わかりません。

盛り上がっているようにも見えませんでしたし、色も、健康的なピンク色でした。


「これはちゃんと調べた方が良いです。麻酔して組織を取って培養して、検査した方がよいでしょう。

その検査もですが、その後の治療のことも考えると、設備の整った大きな医療機関でやるのが良いでしょう。

紹介しましょう」と、すぐに予約を入れてくれました。



               神妙な顔をして大人しく爪を切らせるトミ黒。家ではこんな風には切らせてくれない。

               病院で受ける処置、爪切り、投薬、点滴などの手技ひとつひとつをよく見ておくと、

               いずれやってくる介護生活にきっと役に立つ


星空ところが。予約した検査を待たずしてトミ黒に異変が生じたのです。2日後の金曜の夜でした。


トミ黒はその夜、23時から23時半までの30分間に、10回以上もトイレに駆け込んでは飛び出ることを繰り返したのですドンッ

でも、オシッコは出ません。

トミ黒はワケがわからず、その度に猫砂を蹴るようにトイレを飛び出るので、辺りは猫砂だらけになりました。


むっそういえば、昨日の夜も猫砂が散っていて、あれ?今度の砂は飛び散りやすいのかな?と感じたのを思い出しました。

猫砂のせいではなかったのです。トミ黒の異変は24時間前から始まっていたのだと気づきました。


0時を過ぎるとトミ黒は疲れて私の膝で寝てしまい、その後1時と朝6時に、普通の量のオシッコが出ました。


膀胱にオシッコが溜まっているのに出ないのであれば問題です。一刻も早く出してやらないといけません。

でも、適量が出ているのなら、夜間救急に行く必要もないだろうと思いました。

多分、何かの理由で膀胱に圧迫感があり、それを尿意と勘違いして、トイレに駆け込んでいたのでしょう。

膀胱炎だろうと思いました。



               トミ黒の口の中を覗き込む先生。

               うまく撮れなかったが、ベロが向かって左側に逸れている。

               本来ベロが載るはずの右側口腔底が固くなり、奥に壁のような盛り上がりがある、と指摘された。

               私の目と指では、異常には感じられなかった

晴れ翌土曜日。猫崎クリニックは休診日のため、朝一番で、近くのG動物病院へ駆け込みました。


院長は、私の目の前で膀胱と腎臓をエコーで丁寧に探って、やはり膀胱炎であることがほぼ確定しました。

念のため尿を検査しようとしましたがオシッコが溜まっていないため、

輸液をしてオシッコを溜めてから、膀胱に穿刺して採尿することになりました。


「実はもうひとつ、心配ごとがあるのです」と私は切り出しました。

一昨日、口内の異常を指摘され、来週大きな医療機関を予約している、と話しました。


院長はトミ黒の口の中を念入りに調べました。そして目の前で、「直径15ミリ×20ミリ(の病変)」とカルテに書き込みました。

また、丁寧に全身をチェックして、「鎖骨のあたりも腫れているような気がする」とも言いました。


院長は私に向き直って、

細胞診をすべきでしょう。

もしかしたら、扁平上皮癌か、メラノーマ(あとひとつ可能性を示唆されたが失念)の可能性があります。

患部に針を刺して組織を取り、培養して細胞の組成を分析をします。

私には培養分析を依頼する伝手があります。その後の対応も、当院でできると思います。

どうしますか?その予約日を待ちますか?それとも今ここでやってしまいますか?」と聞いてくれました。



私がずっと密かに感じていた不安が、とうとう、言葉になってしまいました。


扁平上皮癌…。 しかも、よりによってベロの下叫びビックリマーク


この場所にできたものが本当にガンだったとしたら、一体、どんな対応が考えられるでしょう?


猫や犬の扁平上皮癌に対する知識は多少ありました。ガン治療についても関心がありました。

だからこそ、「口腔底にガン」という可能性は、あまりにも重過ぎました。


けれど、まだ間に合うかもしれない。トミ黒は実年齢より若いし、体力もある。

どんな治療ができるか? その選択肢は、検査をしなければ広がらない。

遠方の大きな医療施設に行かなくても、自宅から5分のこの病院で対応してもらえるのなら、トミ黒のストレスも小さくて済む。

こんなにありがたいことはありません。


大事なことは、目の前の院長と私ががっぷりタッグを組んで、トミ黒のために最善の今後を考えることだ。

それがどんな方法であっても…。と思いました。


私が、「先生。では、お願いします」ときっぱり言うと、「ではこれからやります。待合室でお待ちください」と言われ、

トミ黒はバックヤードに消えました。

点滴と、膀胱穿刺と、口内の組織採取が終わるまで、1時間ほど待ちました。



                    検査を終えたトミ黒。

                    ベロが向かって左側に逸れ、奥に赤く変色した患部が見える


再度診察室に呼ばれると、診察台の上に、キャリーに入ったトミ黒がいました。

口元に、粘度の高いヨダレがぶら下がっていて、切れません。

私を見て盛んに鳴くので、口の中が良く見えました。つい先ほどまで綺麗なピンク色だった口腔底が、

真っ赤に変色していて痛々しく感じました。

15ミリ×20ミリと記入された患部の範囲が、初めて認識できました。


院長が入って来て、トミ黒のヨダレを優しく拭った後、一連の検査を説明してくれました。


点滴をして、膀胱に穿刺して採尿して検査したこと。

口腔底の患部の組織採取は、最初口を開けてベロの下に針を刺したが、うまく取れなかったそうです。

そこで、顎の外側の下部から、口の中の患部を見極めて再度針を刺し、組織はちゃんと取れたと言われました。

すべて無麻酔での処置でした。トミ黒はかなり辛かったと思います。


「顕微鏡を覗きましたが、それらしき細胞が見えました。やはり、扁平上皮癌の可能性が高いです。


細胞診の結果が出たらこちらから電話をします。だいたい1週間位かかります。

それまで、膀胱炎の抗生剤を出しますから飲ませて下さい。1日2回です」と指示されました。



診察室を出て会計を待つ間、叫び出しそうでしたダウンダウン



でも、たまたま待合室に知り合いが来ていました。胸に、アズという老犬を抱いています。

そのアズが、先日院長に膀胱がんの手術をしてもらったことを、打ち明けられたのです。

アズは、身体がきついのか彼の胸にしっかり抱かれて、大人しく何時間も待っていました。


もし、彼とアズにそこで出会わなければ、

私は、「うちの猫、ガンかもしれないんです!!」 と、

そこにいる誰彼にぶちまけて、半狂乱になっていたかもしれません。


でもまさに今、ガンと闘っているアズと飼い主さんの前で、そんなことはできませんでした。

私はただ、「どうやら膀胱炎で…あせるとだけ話して、掌に願いを一杯込めてアズの頭を撫でて、病院を出ました。



まだ、ガンと決まったワケではない。でも、「それらしき細胞が見えた」と言われたのだから、ほぼ確定なのかもしれない…。

細胞診の検査結果が出るまでの、長くて辛い一週間は、こうして始まったのでした。                     (続く)






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台風10月24日、夜11時を過ぎてから急に強い北風が吹き始めました。木枯らし1号です。

翌朝はすっかり冷え込んで、水飲みボウルの水より、蛇口から出る水の方が温かい位。

今年も、きっぱりと冬がやって来たようでした雪


慌ててハウスの準備に着手あせる

まずは、「今年もお庭をお借りします。冬の間、ハウスをよろしくお願いします」という連絡からです。


2011年冬のオープン以来、猫崎公園の猫ハウスは、公園には置いていないのです。

ご近所にお願いして、冬季限定でお庭の一角をお借りします。

猫の安全と、公共の場所を私物化することを自重して、苦肉の策で編み出したのがこの「ご近所作戦」でしたが、

ありがたいことに、3軒の方が協力して下さって、5回目の冬を迎えました。


2011年当時、20匹も居た公園猫も数匹になり、今はそれぞれに1軒ずつ、「持ち家」を持てるようになりました。

もちろん、どのハウスがどの猫のものと決まっているワケではありませんから、中敷きにはいろんな抜け毛が残ります。

「しまった先に取られた!今日のお宿は日当たり今イチにゃ…ねこへびあせるなんてやり取りも、きっとあるのでしょうにひひ


ハウスがあるおかげで、どんなに冷え込む夜であっても、私たちは安心できるのです。

10歳をとっくに過ぎた公園猫たちの健康は、こうして、公園近くの皆様に支えられてきたのだと思っています。




       例年3つも置かせて頂いているSさん宅。

         取り急ぎ2つ作って仮置きした所、「今年は2つなんですか?公園猫ちゃん、減ってしまったのかしら?」と

         速攻問合せを頂いた。翌日3つ目を設置させて頂いた。

         Sさんのお宅は公園内餌場の最も近い位置で、公園猫の動線上にあるため、

         利用率も宿泊する面子もバラエティに富み、最も観察のし甲斐のあるロケーションだ。

         事前にお話してあるとはいえ、他人がメンテナンス(掃除)ために勝手にお庭に出入りすれば、

         不快に感じることだってあるだろう。

         でもSさんは、一度もそんなことをおっしゃらず、「公園猫ちゃんのために」とお庭の出入りを容認して下さる。

         感謝しても、し切れないとはこのことだ。

         Sさん。本当にありがとうございます。心から御礼申し上げます。


  


                         Aさん宅に設置した途端に、やって来たジュリちゃん。

                         中に撒いたマタタビを嗅ぎつけたのだろう。

                         これはサリちゃんのハウスだよ。あなたのはTさんのところにあるよニコニコ

                         この場所は屋根があり、雨の心配はない。風で飛ばされることもない。

                         猫が上に乗っても蓋が割れないよう、板で補強&重石をした設計


今年も、「了解チョキ」のお返事をすぐに頂きました。


「白猫は痩せて来たから、早目に置いてやって」と言って下さったのは、Aさん。

初年度、ちょっとコワモテのこの方に、「プンプンそんな物、必要かしら!?」 と怒鳴られたことを思い出します。


5年も同じことを続け、同じ猫を見ている間に、人間同士の付き合いも深まります。

ハウス設置を巡る懐かしい思い出は、そのまま、ご近所と私たちとの猫繋がりの歴史でもあるのでした。


猫崎町のハウス事情については、過去何度か記事にしています。

参考になるようでしたらお読み下さい(→テーマ「猫ハウス」)。


              左が例年のドライアイスの箱。幅40×奥行33×高さ30センチ。

              ドライアイスの箱だけあって密閉性が高く、体重3キロ台の公園猫には最適だ。

              右は今季初使用の箱。幅が46センチとゆったりだが、全体的に薄く、蓋も外れ易い。

              隙間から雨漏りするのは致命的な欠陥なので、本体と蓋をガムテープで張り付けることにした



さて今年のハウスですが、困ったことがありました。

私たちが使うのは、発泡スチロールの箱です。

毎年、スーパーのバックヤードからドライアイスの箱を貰っていたのですが、今年は全く手に入りませんでした。

8月以降の冷夏のせいでドライアイスの需要が減ったのか、スーパーが納品箱の規格を下げてしまったことが原因でしたガーン


慌てて町中自転車で走り回り、ある仕出し屋さんで廃棄された発泡スチロールを数個、貰うことができました。

しかし、ドライアイス用と違って蓋のかみ合わせが浅いため、隙間から雨漏りしてしまいます。

やむなく、蓋と本体をガムテープで張り合わせて水漏れを防ぎ、中敷きの交換は出入り口からすることに設計を変更。

発泡スチロールを使うのであれば、真夏のうちから集めておくことをおススメします。



さて、発泡スチロールの最大の利点は ①断熱性が良い、②防水性が高い、③加工が容易 の3点です。


加えて、ご近所のお庭をお借りする上で配慮しなくてはいけないこともあります。

 ①通路を塞がないコンパクトな大きさであること

 ②吹きさらしの場所であっても突風で飛ばされないこと

 ③中のメンテ(掃除)が容易であり、清潔を保てること

 ④雨ざらしの場所でも浸水を防げること


これらの条件をクリアするために、猫崎公園式猫ハウスにはいろいろな工夫がされています。

今回はその作成過程を、画像でご紹介しますね。



①重石を入れる

突風で吹き飛ばされないように、またイタズラ防止のために、ハウスに重石を入れます。

薄手のレンガやタイル、写真集などの重みのある古本をビニール袋に入れて、底面積一杯を埋めます。

猫の体重でへたりを生じて来るので、隙間はジョイントマットの切れ端などで丁寧に埋めると良いでしょう。



②ジョイントマットで中敷きを作る

重石の上に中敷きを入れます。

ジョイントマットを組んで裏からガムテープで貼りあわせ、余分な部分を切り落とします。

底面積一杯にきっちり作ると、抜け毛などが落ちず、掃除も楽です。

ジョイントマットは、加工しやすく、底からの冷気を遮断するため、猫ハウスには好適な素材です。




                                             箱のデコボコもきっちり埋めました


③出入り口を開ける

出入り口は真ん中より端に寄せて開けます。また、重石と中敷きの厚みの分、底面より上の方に開けます。

穴の大きさは縦・横17~20センチ位。四角でもアーチ型でも構いません。

線を引いておいてカッターで切り抜きます。





                           トイプー・ノア(2.6キロ)は作業中ずっと邪魔して手伝ってくれました




④中に布(手入れが楽で温かいのはフリース)を入れ、蓋をすれば完成

しっかりしているドライアイスの箱なら、蓋は固定せず、掃除の度に蓋を開け閉めします。

蓋の閉まりが甘い箱なら、本体と蓋を張り合わせ、掃除は出入り口から行います。

蓋が薄い場合は、上に猫が乗ることで破損することがあるので、外側をジョイントマットで補強します。

爪とぎもできて好評です。

狭い発泡スチロールの箱は断熱性が高く、猫自身の体温で中は充分温かくなります。

ですから、フリース以外に何も入れません。



さて入るかな?実験ですニコニコ 体重4.5キロのトミ黒くんの場合 入り口の大きさは横17×高さ15センチ


                                     ひらめき電球あれ?あんなところにご馳走が

                       首を伸ばしてご馳走get。お腹が引っかかるのか入らずガーン

                       でも外猫なら穴の大きさはこれで充分

           ニコニコお次は、体重2.8キロの小春ちゃん。入り口は横13×高さ15センチのミニマムサイズ


                                           楽勝音譜このままお休み~ぐぅぐぅ



⑤設置。下にスノコを噛ませて設置し、雨除けをガムテープで後付けします。

         3つ並べた猫崎ハウス。上から覆うように張り付けてあるのは雨除け

           蛇腹式の保温マット(キャンプや、お風呂の保温に使うようなもの)を適当に切り分けて、

           入り口を塞ぐように張り付けると、屋根の無い場所でも雨の降り込みがかなり防げる。

     雨除けは、中に居る猫にとっては目隠しにも風除けにもなり、有効な仕掛けになっている。

      ハウスの下にスノコを敷けば入り口の位置はさらに高くなり、雨の跳ね返しを防ぐ。


               中は数日でこんなに汚れます。その都度フリースを全交換します。

               吐き戻しがあったり、ヨダレの臭いが強くなったりすることがあり、

               ハウスの中の状態の観察は、猫の健康状態の把握にも一役買っています

               ハウスの究極の目的は、瀕死の猫に、穏やかに最晩年を過ごせる場所を用意してやること…。

               最初に「猫崎公園式猫ハウス」を作った時、私はそんなことを考えていたのです。

   


24時間外気に晒されている屋外しか、生きる場所を持たない猫たち。

彼らは、身を切るような冷え込みに身体を丸めて堪え、日が昇る瞬間をひたすら待ちながら、夜を明かすのです。


もしあなたが、「今年は、あの猫にも暖を取らせてあげたい」「安心して眠らせてやりたい」と思われるようでしたら、

お庭や、ベランダに、ぜひ、猫ハウスを作って置いてやって下さい。


プラスティック製の収納ケースや、段ボール箱などで、それはそれは温かいハウスを作る方もいます。

検索すれば、いろいろなアイディアがヒットするはずです。置く環境に応じて工夫してみて下さい。


そしてもうひとつお願いしたいのは、

ぜひその猫に、不妊・去勢手術をプレゼントしてやって下さい。 心からお願いします。




雨昨日、11月2日は朝から土砂降りで気温も下がりました。


午後になって雨が上がったので、早速ハウスの掃除に出向いた所、3匹が慌てて飛び出して来て、

昼寝の邪魔をしないでにゃプンプンDASH! と睨まれましたにひひあせる



猫崎公園式猫ハウス、おかげさまで今年も全室満員。  大盛況のようですニコニコクラッカー






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