年の瀬が迫って、皆さんお忙しいことでしょう。
私もいろいろあった1年でしたが、昔交流があった餌やりさんの1人が亡くなっていたと知った時は、堪えました。
亡くなったのは、去年の11月だったそうです。その死を、私は1年も知らずにいたのでした。…痛恨でした。
タバコ屋のおじさん…。
「俺は昭和8年生まれだ」と言っていましたから、享年は80でいらしたと思います。
今思えば、私はその最晩年に、猫に導かれるように彼の前に現れたことになります。
そして多分、私は彼にとって数少ない友人のひとりだったのではないかと感じています。
おじさんと私とのあれこれを思い出し、文字にすることで、改めてご冥福をお祈りしたいと思います。
変形五差路に立つタバコ屋さん。
奥のシャッターを開けるとカウンターがあり、おじさんはコタツに座ってタバコを売っていた。
茶トラ猫がしゃがみ込む手前の自販機の裏に、こっそり猫窓が開けられている
「だから東京が好き!街のねこたち
」より転載 (2007年の写真)
猫崎町の駅向こうに、変な形をした五差路があります。4方向から車が行き交う、とても危ない場所です。
その交差点に面して、小さなタバコ屋さんがありました。店舗兼自宅の木造建築で、おじさんと奥さん、息子さんが暮らしていました。
奥さんはお勤めに出ていたので、おじさんは日中、たった1人でタバコ屋の店番をしていました。
店頭に並ぶ自販機の裏側のサッシに、道路側から見えないように、15センチ四方の穴がこっそり空けてありました。
そう、それは猫窓でした。
何十年も店番をしながら、無聊をかこって野良猫に餌をやるようになり、
その猫がいつでも入って来られるように、思い切ってサッシにカッターを入れたのは、おじさんでした。
猫窓をくぐった先には、山盛りのカリカリと、干からびかけたウェットを入れたお皿が並んでいて、
大量の猫缶の買い置きが、タバコより先に目に飛び込んでくるのでした。
おじさんは、鳥にも餌をやっていました。
車が通らないのを見計らって、車道にパンやお米をばら撒くと、鳩やスズメやカラスが集まってきました。
そこへ車が通り掛かり一斉に飛び立つ様子は、見ていてハラハラしました。
猫窓から車道を横切ろうとして、車に轢かれて何匹も猫が死んだそうです。
するとおじさんはすぐに、店の電話で清掃局を呼びます。そして当たり前のようにお財布を出して、遺体処置代を払うのです。
店の引出しには、何十年分かの領収書の束が、大切にしまってありました。
保健所にはたびたび苦情が入り、保健所は明らかにここを、ブラックスポットと認定していました。
職員さんが時間を作って指導に行くと、おじさんは、
「鳩だって野良猫だって、必死に生きてるんだ多少食べさせて何が悪い この、薄情者」と逆切れして、
一向に改めようとしませんでした。
周りの壁には遠慮がちに、「鳩に餌をやらないでください」とか「ここで猫に餌付けしないでください」と紙が貼られていましたが、
おじさんは意に介しませんでした。
おじさんは、矛盾に満ちていました。
小さな命を愛しく思う優しさと、自己満足とが、ごっちゃになっていました。
わざわざこんな危険な場所に、餌で猫や鳩を集めておいて、事故が起きると罪滅ぼしのように自分の懐を痛めるのです。
まるで、墓守(はかもり)のようだ と、私は思いました。
自分の矛盾に付けこまれないように、おじさんは頑なに地域に背を向けました。一度も地域のお役を引き受けたことがないそうです。
無謀な餌やりを何度もとがめられるうちに、地域から浮いてしまったのでしょう。
もはや、やり直しや後戻りをする柔軟性もない。俺はこれで良いんだとどこかで開き直って、
その心の穴を、猫や鳩への餌やりで埋めていたのでしょう。
なんとも、寂しい心象風景でした。
店の前で。2匹の黒猫が寛ぐすぐそばを、自転車や車がよけるように過ぎて行く
2011年のことです。
一人の女性が通りがかりに猫窓に入って行く猫を目撃し、勇気を出しておじさんに話しかけました。
猫に餌をやるだけだと増えてしまいますよ、手術はしてるんですか?と聞くと、
「手術なんて不自然なことをする必要はない。野良猫は野生なんだから、生まれようが死のうが俺には関係ない」 と、
追い返されたそうです。
ところが、その時猫窓に入った若い黒猫が、初産で子猫を6匹も産んで、
件の猫窓から子猫を1匹ずつ店内に咥え込んで、ファミリーで玄関に住み付いてしまったのです。
そうなってみて初めて、おじさんは慌てました。
あろうことか彼女に電話してSOSを求めました。頼れる人が他に思い当たらなかったのでしょう。
でも、彼女は遠くに住んで居て細やかに対応できません。そこで彼女が私に、協力を打診してきたのです。
こうして、私とタバコ屋のおじさんは巡り合ったのでした。
訪ねていくと、おじさんは待っていたとばかり私にすがってきました。
私はおじさんの噂を知ってはいましたが、一切意見したり批判したりはせず、辛抱強くおじさんの言い分を聞きました。
「困っちゃったんだよ。子猫が迷い込んで来たから餌をやっていたら、子供を産んで、店に連れて来ちゃったんだよ。
何十年も猫に餌をやって来たが、こんなことは初めてだ。
子供は夜になると店の中を走り回っている。ノミでもいるのか痒くてたまらない。
この子らがまた子供を産んだら、大変なことになる。俺もこの年だから全部は面倒見切れない。
奥さん、すみませんが何とかしてやってください」と、あの時女性に言われた意味を、やっと理解したようでした。
ノミがいると聞いて少しひるみましたが、靴を脱いで室内に上がると6畳ほどのスペースにコタツが置かれていて、
おじさんは一日そこに座って、カウンター越しにタバコを売るのです。
ふと見ると、コタツの布団の際にウンチが落ちています。オシッコの臭いも強烈です。
コタツの先に使われていない玄関があって、母猫はそこから縁の下へ潜り込み、子猫を育てていました。
いつものように、私は知力と体力を総動員して作業に取り掛かりました。
毎日タバコ屋さんへ通って、玄関の後ろの薄暗い階段に何時間も身を潜ませて、捕獲作業をしました。
助成枠の申請、複数の病院への搬送、引き取り、伝手を辿って預かり先を見つけトライアルに同行し…。
その一部始終を間近で見ていたおじさんは、「奥さんは、エライね。家庭だってあるだろうに。頭が下がるよ」と言いました。
そして、「この7匹は、全部俺が責任を取る」とカッコ良く私に宣言して、
母猫の不妊手術代、里親募集する子猫の医療費や早期不妊手術代から、残った子猫の去勢手術代まで、
その都度、きっぱり出してくれました。
厄介な人だと散々聞かされていたおじさんなのに、私は、一度も困ることはありませんでした。
きっと、自分を批判せず、ぴったり寄り添って働いてくれる人がいたことが、嬉しかったのだと思います。
タバコ屋さんから保護した子猫3匹。全部メスだった。
3匹はなな猫ホーム さんに預かられ里親募集して頂き、
それぞれに優しい里親さんに迎えられた(→テーマ「タバコ屋さんの猫」)。
今も、幸せに暮らしている
保護した子猫が願っても無い良縁に恵まれてそれぞれ里子に出るたびに、私はタバコ屋さんへ知らせに行きました。
するとおじさんは、
「ああ、良かった。本当に良かった。こんなところで野良猫になるよりどんなに幸せか。奥さんのおかげだ」と繰り返しました。
「そうですね。どんなに食べる物があっても、ここに居たら車に轢かれて死んでいたかもしれないですしね。
可愛がっていた子を清掃局に引き渡すなんて、おじさんだって本当はしたくないでしょう?
今いる数匹の猫は、きっとおじさんの最後の猫ですよ。
最後まで世話できるように、車に轢かれないように。おじさんが方法を改めて、ちゃんと守ってやらないとね」と言うと、
素直に、うん、うんと頷くのでした。
時に、おじさんが電話してくることがありました。飛んで行くと、
「今日保健所がやって来て、猫が車のタイヤで爪を研ぐと苦情があったとか。
そんなこと言われても野良猫のすることだ、俺にどうしろって言うんだ」と怒っています。
「おじさん。野良猫と言ったって野生動物ではないんですよ。誰か人間が助けてやらなければいけない、愛護動物なんです。
おじさんは、あの子たちにちゃんと手術をしてやった。ならもうひと頑張り、してやって。
迷惑掛けてすみません、もう増えませんからどうか私に免じてご容赦を、って、
おじさんがご近所に頭を下げて回るだけで、猫は、ずっと生きやすくなるはずです。
おじさん。ご近所とは仲良く。おじさんならきっとできますよ」と励ましました。
やがて、私のアドバイスに従って、おじさんは店内に新品の猫トイレを置きました。
猫窓のそばに並べていた不潔な給餌皿はきれいに洗って部屋の奥へ並べ直し、叩きは元のタバコ置き場になりました。
おじさんが膝の手術で入院している間に、家の改造が行われました。両膝が痛むのに、コタツでの店番は辛かろうと心配していたのです。
家族が、ちゃんと考えてくれたのだと思いました。
オシッコ臭かったコタツは、新品のテーブルセットに取り換えられました。
少しずつ、少しずつ、おじさんから攻撃性が消え、柔らかくなって行った気がします。
家族に愛され、地域に居場所があるという余裕が、晩年のおじさんを変えて行ったのではと思います。
おじさんの家のトタン屋根で爆睡する黒猫。
カウンターから見えたのはこの猫だと思う。思えばおじさんと一番長い付き合いをして、
ついに店の看板猫に昇格したわけだ。息子さんから「もうほとんど外には出ない」と聞いて安心した
「だから東京が好き!街のねこたち」より転載
最後におじさんに会ったのは、去年の年明けでした。
美味しい土佐文旦を頂いたので、すぐに食べられるよう皮を剥いてタッパーに入れて差し入れると、おじさんは喜びました。
「タッパーはあげるから、使ってね」と言うと、「また取りに来てよ」と言われました。
そのタッパーを取りに行かないまま、おじさんは11月に亡くなったそうです。すでに手遅れの胃癌だったそうです。
「タバコ屋のおじさんはもういない、って言う人がいたんですが、もしかして亡くなった?」と教えてくれたのは、
保健所の職員さんでした。
慌てふためいて飛んで行くと、懐かしい店内で店番をしていたのは、おじさんではなく、息子さんでした。
「こんなに遅くなってすみません。お線香を上げさせて下さい」と言うと、喜んで迎え入れてくれました。
お仏壇に、映画スターのブロマイドみたいなおじさんの遺影が笑っていました。
おじさんは、なかなかハンサムな人でした。
気になっていた、自販機の後ろの猫窓をそっと確認すると、以前のままでした。
遺族は、おじさんのやっていたことを否定しなかったのです。塞がれなかった猫窓はその証だと、私は思いました。
見覚えのある給餌皿が、見覚えのある並び方で室内に置かれていて、おじさんがしていたと同じように、鰹節が掛けてありました。
そして、おじさんが可愛がっていた年老いた黒猫が、テーブルの上にちょこんと乗っていました。
息子さんが教えてくれました。
「あの母猫は、たまーにやって来ますよ。他にも餌場を見つけたらしく太っています。もう、この辺の猫も少なくなりました」
「そうでしたか。あの猫窓は、塞がないんですか?」
「ホントは寒いんですけどね。
まあ、ボクは猫が居ても別にイイんです。おやじも猫を可愛がっていたし」と言いました。
「もし増えそうになったら、すぐ知らせて下さい。私で良ければ、すっ飛んで来てお手伝いしますから」と言うと、
「ぜひお願いします」と名刺を交換しました。名刺にはタバコをくゆらす猫が印刷されていて、笑いました。
帰り際、どうしてもひと言言いたくなって、振り返りました。
「お父さまは、この7匹は俺が責任を持つと言って、きっぱりお金を出して、やれることは全部なさいました。
お父さまは、立派でした。
私たちは、結構仲が良かったんですよ。私もお父さまのことが好きでしたけど、
お父さまの方は、その何倍も私のことが好きだったんじゃないかな?」と、イタズラっぽく言うと、
息子さんは、困ったように笑いました。
おじさんのタバコ屋は、出入りする猫と一緒に、まるまる息子さんに引き継がれていたのです。
若い彼なら、この後、猫との関わりをどう終結するか?地域とどう付き合うか、困った時に誰を頼れば良いか?
自分で考えて行くでしょう。
私は五差路に止めてあった自転車を動かし、ここに初めて来た時のことを思い出しながら、
「おじさん、さよなら」 と、心の中で言いました。
カウンター越しに、黒猫が見えました。
まるで店番をしているようだなと思いながら、私は勢いよく自転車を漕ぎ出しました。