日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動) -3ページ目

日々是ねこパト (sakki が繋ぐ地域猫活動)

野良猫1匹を巡って、いろんな人が関わっている。
それを繋げていくと、町がそのまま「形のないシェルター」になるよ。
小さな町で、sakkiが紡いだ“猫を巡るコミュニティ”のお話

昔から、変な夢を見るのです。


明日はいよいよ入試本番だと言うのに、どういうわけか1科目だけ、まったく手を付けていない。

大学祭で芝居をするのに、自分のセリフはおろか台本さえ開いていない…。さあ、一体どうしようショック!あせる


焦りまくり、追い立てられるように目覚めて、

「あれ?これってもう、とっくの昔に済んだことだよね」と気づいて「ああ、助かった…ガーンと胸を撫で下ろすという、

全く人騒がせな夢なのです。


今回も、同じような夢を何度も見ました。

今日は引越しだビックリマーク 荷造りしなくちゃビックリマーク早く母の所へ行かなくちゃ!!

飛び起きてよく考えて、「あれ?そうだ、引越しはもう終わったんだっけ…」と、ホッとするのでした。


母の世紀の引越は、実にスムーズに終わりました合格


私は一心不乱だったらしく、ところどころ記憶が薄いのです。あの引越しを成し遂げたこと自体が、夢のように感じます。


連日母の友人たちが来て下さり、150箱の段ボールは見る間に片付いて行きました。

すがすがしく居心地の良いリビングに入るたびに、

「終わったね。本当に夢のような引越しだったね。皆さんのおかげだねニコニコアップと、母と何度も笑い合ったのでした。


            建替えのため取り壊しが始まった頃の画像(2013年7月13日)。

            中央付近、木の間に見える3階が我が家。ベランダに取り外したキッチンセットが見える。

            思い出とともに、懐かしい我が家は消滅し、新たな一歩を踏み出した

思えば、今回の引越しのネックは、巨大な作り付けの家具でした。


作り付けにしたのは30年も前です。

忘れもしません。遠い異国から姉にプロポーズをするために、ヘルマンという青年が単身日本にやって来る。

この慶びの日のために、両親は古い団地の60平米強の家を大改造して彼を迎えようと考え、

10畳のリビングの3方の壁に、ヤマハの巨大な収納家具を3セットも作り着けたのでした。

すっきりした壁面収納家具は、当時走りでした。



団地の建替えが決まった時、母は、この家具だけは分解してもらい、仮住まいに持ち込んでいました。

ピアノの塗装技術で塗ったとかいう扉は、30年の間に日焼けしてすっかりみすぼらしくなってしまい、

「いつか、塗り直す」と言いながら、結局仮住まいの4年間、母にはその手配ができませんでした。


「お母さん。ヤマハの家具は、これで終わりにするの? それとも新居に持って行くの?」と尋ねると、

「もちろん持って行く」と母は主張しました。


「そう。でもこれを活かすとなると、それなりの制約があるからね。いいね」と言い含めておいて、

その場でヤマハのお客様係へ電話をさせて、塗り直しの見積りに来てもらう日取りを決めさせました。



ヤマハの家具を新居に納めるために、私は100分の1の設計図面とにらめっこをしました。

結果、図面に載っているリビングと寝室の収納全てを、キャンセルすることにしました。そうしなければ入らないからです。


「お母さん。そういうワケで、今度の家には収納がほとんど無いと思ってね。

持って行く物は、ヤマハの家具に入る分だけにしよう。独り暮らしなら、それで十分だと思うよ。

よく考えて、今のうちに荷物を減らそうね。なるべく棄てないで、活かせる先を一緒に探すから」と言い続けました。


50年も団地に住み続けている間に、マンションの仕様は昔とはすっかり変わっていました。

80センチも奥行のある押入れなんて、今はどこを探してもありません。

押入れと天袋に並べて使っていた、奥行78センチのスチール製の衣装箱が入るスペースなど、新居のどこにもありませんでした。


引越しは、器に合わせて持ち物を減らす良い機会なんだよ、と言ってみても、母は簡単には納得しませんでした。

「誰か、これが納まる家に住んで居る人を探し出して、譲れば良い」と言って折れません。

結局、中身のほとんどをリサイクルに回して空になった衣装箱は、

欲しい人を見つけられないまま新居に持ち込まれ、北側の「納戸部屋」に、むき出しで6つ、積み上げることになってしまいました。


でも、母を説得できたこともありました。


「お母さんの寝室には、ベッドと、ヤマハのクローゼットを入れようね。だけどお父さんの本棚は、大きすぎて入る場所がないんだよ。

拾って来たこっちの家具を本棚として寝室に入れることにして、お父さんの本棚を、うちで引き取ろうか?

大事にするから」と持ちかけました。

その提案のどこに心が動いたのでしょう?

もしかしたら、娘のダンナが夫の本棚を引き継ぐという巡りあわせが、嬉しかったのかもしれません。


大きな本棚に詰まっていた懐かしい大量の本を1冊ずつ、2人で相談しながら箱詰めにして、リサイクルショップに引き渡しました。

自分が読みたくて買った、自然科学や宗教や哲学の本だけを、母は手元に残し、

「残った本は和子(長女)が来日したら、一緒に片付ける」と約束しました。



              引越しの間入院させて、連れ帰って来た時のサバ。後ろは新生・オリンピックガーデンズ。

              思えば、生まれ育った団地が取り壊され、たった1匹取り残されたサバを母が引き取って、

              こうして一緒に、故郷に戻って来ることができた。

              凄いヒストリーだと思う(→テーマ「取り残されたサバ」)

              故郷の形はすっかり変わったけれど、物音や匂いに、サバは帰ってきたことを感じ取っただろう。

              サバちゃん、長生きして良かったね。これからも母をよろしくね


さて、ヤマハでは、分解や修理や組立てはしますが配送はできないとのことでした。

一度分解しに来てもらい、それを引越し業者さんに運んでもらい、新居でヤマハに組み立ててもらうしかありません。


いろいろ調整して、8月中に、塗り直す扉20枚を取り外し、作業を始めてもらう。

9月19日に再び来てもらって本体を分解。他の荷物と一緒に運び出すのは、23日と24日(引越しの本番)。

そして26日、新居で定位置に組み立ててもらい、同時に塗り直した扉を付けてもらう、とスケジュールを詰めました。


ところが、母はこのスケジュールをどうしても覚えられないのです。挙句、「あんたの説明の仕方が悪いプンプン」と怒り出す始末。


23日、1回めの引越しを終えた夜には、「次はいつだっけ?10月だっけ?」と言った、さすがに心配だと、

母の古い友人でありヘルパーさんでもあるM岡さんが、私に知らせてくれました。


「最近は何でもすぐに忘れてしまう。疲れが溜まって来ると特に物忘れが酷くなるし、気持ちにムラが出る。

ちっとも疲れていないと言ってるけど、相当、疲れが溜まっていると思うよ。

周りでバックアップして、お母さんが倒れないようにしてあげないとね」と言ってくれました。


実は数日前にも、リサイクル業者さんとの約束を忘れて外出してしまい、泡を喰っていたのでした。

誰の目から見ても、母は非常事態でした。でも本人だけ、その自覚がありませんでした。


私は不要品を手離させるに当たり、皐月(私)に言いくるめられただの、出し抜かれただのと思わせないように、

いちいち母に確認していましたが、追いつめないよう配慮する必要を感じ始めました。

時にM岡さんが、「いいじゃない、持って行こう。あっちでゆっくり片付ければいいよ。せわあない」と、助け船を出してくれました。


母の精神状態を見ながら、私とM岡さんとで、押したり、引いたり。硬・軟の両刀を使い分けるのは辛抱が要りました。

それでも母は、私が不用品を活かす道を提案すると大いに喜んでそれに乗り、

かなりの物品を、気持ち良く「必要とする場所」へ送り出しました。



                   母は、脱出口が無いことを確認して、サバをベランダに出した。

                   日当たりの良いベランダを自由自在に行き来して、サバは一時、野良返りしたかに見えたが、

                   自分でちゃんと母の寝室に戻り、爆睡して母を安堵させた。

                   写真は、ベランダからリビングを伺うサバ。

                   こんな毎日が、彼女にとっても母にとっても、ノンストレスであることが嬉しい

引越しは、5月に私たちがお世話になった業者さんに引き受けて頂きました。

800所帯が引越しをする中で、たった1件だけの受注です。それも特別手が掛かる案件ですし、

これと言ったメリットもなく申し訳ない気持ちでした。


しかし、見積りにやって来た佐川さん(仮名)は、

「お元気ですねえ。でもどうか無理をしないでくださいね。手が回らなくても、こっちで何とかしますから。

大丈夫、きっとうまく行きますよチョキと言ってくれました。


そう言いながら、佐川さんが右手に握ったカウンターは、凄い勢いでカチカチ鳴っていました。

家財を段ボール箱に換算してカウントしていたのでしょう。本当は、「これはやばい量だショック!あせる」と思ったに違いありません。


限られた時間内で能率的に搬出入するために、またトラックの容積に効率良く積み上げるために、

引越し業者さんは専用の段ボールを置いて行きます。

しかし母は、

「段ボールを使い捨てにするなんて、もったいない。それにね、年を取るとこれ位の箱じゃないと扱い切れないのよ。ごめんね」と言って、

自分で集めた小さな箱や、変形の箱を使って荷造りをし、規定の段ボールを使うのに難色を示しました。

実は、先に見積りに来た業者さんとは、この段ボールを巡る母の主張が原因で、決裂していたのです爆弾


ところが佐川さんは、「ああなるほど。確かにそうですよね。箱が大きければ重過ぎますものね。

大丈夫ですよ。やりやすい箱で荷造りして下さい」と言ってくれました。

しかもその後、ガムテープを使わず組立てられる、それも中古の箱をいくつかと、部屋別に色分けされたシールを届けてくれました。

「このシールは簡単にはがせるんですよ。

荷解きが終わったら、箱は当社で回収しますけれど、シールさえ剥がして下さればその箱もどこかで使いますから。

ですから、遠慮なく新しい段ボールを使って下さい」と言いました。


ニコニコなかなか巧みな誘導作戦でした。

母は喜んで見せて、それ以降、佐川さんの顔を立てて既定の段ボールを使うようになりました。

そして、佐川さんを密かに「優しい親分さん」と呼んで、慕いました。



                        まだ片付けが済んで居ない頃のベランダの、ちょっと恥ずかしい画像。

                        サバが、どこにいるかわかりますか?

                        べんりで酢の箱の左奥にそっと潜んで、片付けの様子を伺っている。

                        左側には、隣家に行けないように脱出口を塞いだ木箱が写っている


「このシールを使って、①何が入っていて、②どの部屋に行くのか。誰にでもわかるようにしておくんだよ。

引越しでは、それが一番大切。そうしないと、エレベータを降りたところで渋滞になっちゃうからね」と何度も説明しましたが、

このシールがまた、笑いのタネになりました。


母は、箱詰めにして蓋を閉めた瞬間に、中に何を入れたか忘れてしまうようなのです。そこで、シールに適当な物の名前を書く。

中を開けてみると全然違う物が入っていて、おまけに、隙間を埋めるように、ティッシュや布巾がきっちり押し込めてあって、

母の仕事のムダな細かさに、何度も苦笑しました。


なんでも箱に入れ替える。母はその作業がとても性に合っているようで、タンスの上に気に入った空き箱をたくさん溜めてありました。

丁寧に詰め込んで、でも蓋をした途端に中身を忘れ、箱ごとご丁寧にどこかに仕舞い込んで、

仕舞った場所ごと綺麗に忘れてしまう…ガーン

今回もあちこちから、二重買いの未使用の家電や、賞味期限を過ぎても発掘されない食品セットが、次々に発見されました。

母の大量の持ち物の山は、こうして出来上がったのです。


こうした母のマイ・ルールに呆れもしましたが、責める気もしませんでした。


若い頃、母から小包が届くと、こんな箱によくこんなに入れたものだ目と感心するほど、

大量の瓶詰のジャムや、お菓子や、チーズが出て来て、嬉しくなったものですニコニコアップ

母の箱詰めには、貰った相手が喜ぶ顔を見たいという以上に、詰め込むひとつひとつの物への愛情が感じられました。


荷造り作業も同じでした。

私にはゴミと思われるものでも、箱の中に丁寧に納められ、まるで、「ゴミじゃないよ」と母の代弁をしているようでした。

そんな風に感じてしまったら、チクチク責める気など、どこかに吹っ飛んでしまったのです。


「中身=雑多な物、行き先=洋室2か3」 と、いい加減に書かれたシールの箱が増えるたびに、

私は笑いを噛み殺しましたにひひあせる



                 まだ雑然とした母の寝室に、忍び込むように戻って来たサバ。

                 「ここが私の居場所」と認識しているように見える。

                 住まいが変わっても、「あのおばさん(母)が居る場所が私の居場所」と

                 言ってくれているようで、嬉しい


晴れ9月23日、24日。ついに引越しの日を迎えました。


10人近い佐川男子が爽やかにやってきて、それはもう、テキパキと働いてくれました。

親分さん(佐川さん)も汗だくになって号令を掛けています。


母はその手際の良さと、互いに声を掛けあう様子に惚れ惚れして、

「まるで運動会のようだねビックリマーク 楽しそうだし、いやいや、よく働くね~。気持ちがいいね!!

え?脚立も無しに照明が外せるの?育ててくれたお母さんに感謝しないとねニコニコ」と、興奮気味です。


親分さんを捕まえて味噌の作り方など講釈し始めたので、思わず、「お母さん、イイ加減になさいパンチ!」と叱りましたにひひあせる


2日間、佐川男子軍団は徹底して紳士的で、年配の母へ配慮と敬意を忘れずに、業務を完遂してくれました。

「ちゃんと、引越しできるのだろうか…はてなマーク

数か月前から感じ続けていた不安は見事に払拭され、感謝の言葉もありませんでした。


               M岡さんがこしらえてくれた豪勢な昼食。

               こうしたご馳走を毎日頂いたおかげで、私も母も、疲れずに済んだ。

               母の本当の財産は、溜め込んだ物品ではなく、こうした友人なのだと思う

引越し当日から、母の友人が代わる代わる片付けに付き合ってくださり、新居はわずか数日で片付きました。


その間毎日、M岡さんが豪勢なお昼ご飯を作って食べさせてくれたおかげで、私も母も、疲れ果てずに済みました。

塗り直したヤマハの家具は新品同様に生まれ変わり、建具の色とマッチして、なかなかに立派でした。

棄てるのが間に合わなかった収納棚は、

M岡さんの機転で上下に分解され、ふたつ並べて板を渡して、ちょうど良い高さのレンジ台に生まれ変わりました。


たったひとつの家具も、買い足しませんでした。

母が蓄え続けた一切の物の命を、適材適所に割り振って、「棄てない引越し」は、ここに無事完了したのでしたクラッカー



                   みんなでお茶を飲んで居る後ろに、そっと出没するサバ。

                   完全家庭内野良猫(いまだに絶対に触らせない)を貫きながら、

                   「おばさん。お腹が空いたんですけど。そろそろお願いしますにゃ」と言っている。

                   手前は、片づけを手伝いに来た弟


晴れ先週、姉夫婦が無事に来日して、新居は賑やかになりました。


私は、母を姉にバトンタッチしたら疲れがどっと出てしまって、自宅に籠ってウダウダしています。

でもあちこちの現場から事件の知らせが入り、ねこパトで走り回っているうちに、元気が戻って来ました。


引越しの数日後、母は姉に、こんなメールを送っていたそうです。

手紙思いがけないほどの引越しが成功して、M岡さん、皐月に大感謝です。

皆さんの尽力と能力でほとんど片付きましたが、反省しきりです。

今後はシンプルライフを心がけ、有り余る物の有効利用に取り組みたいと思いました。


すっかりきれいになってあなたたちを迎えられます。

なかなか良い住まいです。乞うご期待アップアップ


私は噴き出しました。

シンプルライフですと? ぷぷっにひひビックリマーク 最初はそんなこと、これっぽっちも考えていなかったくせに…!!


あの最初の見積りの時、私がいちゃもんを付けて破談にしなければ、

母は当たり前のように全ての物を運び出し、運び入れ、再び物に埋もれた生活を続けたことでしょう。


でも今は、少なくとも私は、母がどんな物を持っていて、どこに仕舞ってあるか、知っています。


それと同じように、母が今までどれほど懸命に、また楽しんで、人生を過ごして来たか?

老齢になって、どんな変化が始まっているか? だとしても、これからどのように生きて行きたいと思っているか?

母が大切に蓄えて来た「物」をつぶさに見て、わかるようになりました。


加えて、多分最期の瞬間まで、私はこの人に、ちゃんと向き合える。

この年になって、ようやく自信を得ることができた。 …そんな気がするのです。


娘として、世紀の引越しにとことん付き合ったご褒美は、これで十分でした合格



お母さん。

貴女の言うシンプルライフがどんなものか、ちょっと楽しみです。

お金の使い方が少し心配だけれど、おかしいと思ったら、私はちゃんと言いますから、

聞く耳を持って下さいね。


生まれ変わった団地で、皆さんと、元気に溌剌と過ごせますように。


これからも、よろしく。


                                                             「棄てない引越し」   完







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地域猫村のランキングに飛ぶので、

日々是~の記事タイトルから戻ってくると、カウントされます。

本日も、よろしくお願いしますm(_ _ )m

晴れ棄てない引越し」の続きに着手できないまま10月になってしまいました。


待っていて下さった皆様、ごめんなさい。世紀の引越し(笑)、終わりましたよ。

爽やかな好天に恵まれたシルバーウィーク明けに、仮住まいを退去し、

母は晴れて、オンボロ団地の生まれ変わりである、新生・オリンピックガーデンズの居住者となりましたクラッカー



引越しは23日と24日でした。つまり、膨大な荷物を移すために、引越しを2セットやったのです。

その後も毎日通って荷解きをしましたが、片付けるほどに素敵な家になり…。母は大喜びですニコニコ音譜


たくさんの皆さんに手伝って頂きました。どんなに感謝の言葉を重ねても足りません。


大変なひと月でしたけれど、収穫もたくさんありました。

何年か後、あの時は皆で良く頑張ったね~お母さんも偉かったよ、と、一緒に笑って思い出せる気がします。


完全プライベートな私の母の引越しの記録で、今回も猫は出て来ませんけれど、ご容赦ください~ニコニコ



                   本日の画像は、「母のお宝シリーズ」。

                       これは書類を留めたホッチキスの芯を伸ばして集めて箱に貯めていたもの。

                       お母さん、仕事が丁寧だね~ショック!


9月初めに引越しの枠を割り振られながら(→「棄てない引越し 」)、これで良いのか?という気持ちがありました。


私には海外在住の和子という姉がいるのですが、この10月半ばに、夫ヘルマンと来日することになっています。

もちろん、建替えられた新居で母の新生活を見るのが目的です。この娘夫婦の来日が、母が引越しを急ぐ理由でもありました。


その姉に、私は相談を持ちかけました。


手紙見積りに来た人が、あまりの荷物の多さに仰天してました。でも本人はちっとも自覚がないようだし…むっ

暑い盛りにあの量の引越しを強行して、お母さんがどうにかならないかと心配です。

今さらなんですが、私は引越しを11月に延期してはどうだろうか?と思っているのです。

つまり、和子さんたちがそちらへ帰った後です。とんでもない計画ですけど、意見を聞きたいのです。


お母さんは、”棄てればタダのゴミだけど、持っていれば、いつか活かせるチャンスがある”と言い張って、

何も棄てずに、全部新居に持って行くつもりでいます。

北側の2部屋を納戸にしちゃえば良いし、ベランダだってたくさん置ける、とか言っています。


でも私から見ると、活かす当てを見つけられないまま個人で抱え込んでいる限り、ゴミと同じだと思うのです。


私は新しい家を、大きなゴミ箱にはしたくない。それだけはごめんです。

もし何年か後にお母さんに何かあったとしたら、私一人であの膨大な品物を整理する自信は、とてもありません。

だから私は、今回の引越しを機に、お母さんに自分で持ち物を整理をして貰いたい。

そういうの、こちらでは生前整理というんだそうです。


で、和子さん。今回の来日ですが、それに付き合うつもりで来てもらえないでしょうか?


引越しを11月にすることにして、10月に来日した和子さんと私とで、お母さんの荷物整理に丁寧に付き合って、荷造りをする。

今、それをしておいたら、この先何があっても、その時どこに居ても、私たちは不安にならずに済むでしょうし、

きっと、あの時お母さんと一緒に作業ができて良かったと思う日が、遠からず来るでしょう。


どうでしょう?せっかくの来日を台無しにしてしまうかもしれないから、ヘルマンの意見も聞いてお返事下さい」


姉からは、思ったより早く返事が来ました。

手紙最初は反対していたヘルマンも、私がお母さんに付き合いたいと話したら、折れてくれました。

わかりました。今度の来日は観光ではなく、新居見学でもなく、お母さんのために使いましょう」と言ってくれたのでした合格



ところが…ドンッ

この計画を話して聞かせると、母は意外にも素直に「そうせい」と言ったため、私は9月の引越しを破談にしました。

そうしてしまってから、携帯やっぱり、9月に引っ越したい」と言い出したのです。


「みんなが私を待っているから」とか何とか、はっきりしない理由を並べるので押し問答しているうちに、

高ぶった母の口から、こんな言葉が飛び出したのです。


「…あんたは、一番大事なことがひとつもわかってないプンプンビックリマーク

私もいつ死んでもおかしくない年。和子と会うのは、これが最後になるかもしれないと覚悟している。

せっかくやって来るのだから、新しい家で、できるだけのことをしてやりたい。あんたには、それがわかってない!!と言うのです。


「だからこそ、和子さんはその引越しの準備をお母さんと一緒にしたいって言ってくれてるんだよ」と反論すると、

「荷造りを!?あの子にそんなこと、絶対にさせられない!!と叫んだのでした。



私は返す言葉を無くしました。

私には、一番大事なことがわかっていない…えっはてなマーク

痛恨の言われようでした。私は、母の最後の引越しを家族みんなで支えて、実りあるものにしようとしたのに…。

私の演出は、きっぱり拒否されてしまったのです。


加えて、もうひとつ。

私と姉では、昔から扱いが違いました。出来が悪い分逞しく育った私としては、そんなことはとっくに乗り越えていて、

どうでも良いことでした。


でも、遠慮のカケラもなく「あの子にはそんなことをさせられない」と言われたら、

じゃあお母さんは、私なら何をさせてもいいと思っているワケむっはてなマーク と深読みせずにはいられませんでしたダウン



親の心、子知らず。子の心、親知らず。 …その言葉の通りでした。


母と私はよく似ていました。

互いに熟考するタイプなので、それぞれが出した結論には一切の異論を挟まむことなく、スルーしてきた母子関係でした。

それが相手を信じている証でもありましたが、面倒くさいというのもありました。


でも、どんなに立派な親でも子でも、生身の人間です。

相手を尊重しているつもりで、根っこには自分中心の考えがあって、いつの間にか相手を置き去りにして、突っ走ってしまう…。


今回の私のプランに対してそう感じて、母は珍しく、本音むき出しで抗議したというワケです。私はハッとしました。

似た者同士が衝突すると、火花も派手なのだと身に沁みましたドンッ

あの言い方にはいたく傷付きましたが、母がそうしたいのなら、寄り添って実現させる以外に選択肢はありません。


この一件以来、私は母の意志を尊重しながらも、娘として通すべき道筋をどう納得させるか?それをいつも考えるようになりました。



結局、私はあちこち算段して、5月にお世話になった業者さんに引越しを依頼しました。

日時は9月のシルバーウィーク開けを選びました。気候も良いでしょうし、これなら姉夫婦の来日にもギリギリ間に合います。


姉の援軍は期待できなくなったので、私が頑張るしかありません。最大の課題は、どうやって持ち物を減らすか…?です。


母の目を盗んで棄ててしまえば良いというワケではありません。

ひとつひとつ、必要とする人を私が探し出して、「活かして貰える場所を見つけたから手放しましょう」と持ちかければ、

あの母なら、きっと納得するはずだと考えました。


私は、娘にも協力してもらって、受け入れ先を探し始めました。



                相模原のシェルターまで運んだ物資。暑い日で大変だった。

                    この後、これらは役に立っているだろうか?

                    可愛い猫たちが良いご縁に結ばれることを願ってやまない

晴れ7月、多頭崩壊現場から猫を保護した団体が、シェルターとして新しく部屋を借りる予定だと分かりました。

必要な物品を探して居るというので、母に寄付を持ちかけました。

母は喜んで、そういうことなら、ここにある何でも持って行ってあげて」と言いました。


扇風機、空気清浄機、冷風扇と掃除機を1台ずつ。それにホットカーペットを3組。すべて動作確認して準備しました。

加えて、綺麗に洗濯して保存してあった中古のタオルやタオルケット、ラテックスの手袋やゴミ袋などを母が選び出して、

私は汗だくになって、それらを団体に運び、寄贈しました。


毎月支援物資を届けているという知り合いには、布団や座布団を託しました。車一杯分の荷物を福島へ運んでもらいました。


一方、不要の大型家具には手を焼きました。

母は、亡くなった友人の家具をいくつか引き取っていました。生前愛用していたことが分かる家具ばかりで、

これを粗大ゴミにすることは、さすがに躊躇われました。

私は写真を撮って、あちこちのアンティーク家具屋さんを訪ね歩き、修理すれば売れるかもというお店を探し当て、

引き取ってもらいました。

友人の遺品が壊されずに積み込まれて行ったことを、母はとても喜びました。

それが契機になったのか、母は自ら粗大ゴミの手続きをして、家具をいくつか処分したようです。


アンティーク小物を扱う業者さんにも、来てもらいました。

驚くほどの買い取り価格です(安すぎる)。それでも母は、古いお宝を次々出して来て、惜しげもなく手渡しました。


父の大きな本棚は我が家で引き取ることにして、その分、本を減らすことにしました。

もう、活字を読む気がしないと自ら言ったのです。でも、百科事典や美術全集などは手元に残すことにしました。

「この家具を本棚として寝室に置いて、そこに入れようね」と言うと、母は自分で荷造りに励みました。

不要な本は箱詰めにしてブックオフに連絡し、送料無料で取りに来てもらいました。



             集合ポスト脇のゴミ箱に棄てられていたマグネット版を、母は全部回収して箱に納めていた。

             いつか返してあげたら喜ぶだろう~と言っていたが本気でそう思っていたのだろうか?

             ゴミ箱直行のこういった販促ツールに、どんな意味があるのか? 考えてしまう


でも、今回一番助けて頂いたのは、ブログを通じて知り合った私の友人でした。


彼女が保護猫の医療費やTNRの費用を捻出するためにフリーマーケットをしているのは知っていました。

けれど今回、長年の実績で老人ホームや犬の保護団体、発展途上国支援などの伝手も持っていることがわかりました。

これはまさに、母たちのグループがずっとやって来たことと同じでした。

年を取って、機動力もネット環境もないため送り出せずに溜め込んで居た物資が、彼女のおかげで、

やっと日の当たる場所へ引き出されて活かしてもらえるのです。

母と友人の志が重なって、世代をまたいでバトンが繋がったような、不思議な感動を覚えました。


引越し用の大きな箱でのべ10箱以上、

フリマで売れそうな物、保護団体で役に立ちそうな物、老人ホームで使って貰えそうな物と、いちいち母と相談しながら詰め込みました。


波 9月10日、居座った雨雲の下で豪雨が続き鬼怒川の堤防が決壊。後に東日本豪雨と呼ばれる大災害が起きました。


その翌日、あの泥だらけの被災地へ、バスをチャーターして支援物資を届けようと出発した人たちがいたそうです。

「あなたのところなら、必ず何かあるだろうと思って」と、ブロ友の家に寄ってくれて、

母が送った大量のシーツや布団カバーなどを、そのまま被災地へ運んだそうです。


手紙まるで、運命のようなタイミングでした。

お母さんの大切な物資は、この日のために、長いこと眠っていたかのように感じます」とブロ友は言ってくれて、

私はその巡りあわせにしみじみと胸を打たれ、皆さんに感謝しました。




ひとつひとつ母と話し合って行先を決めているうちに、私はだんだん、不思議な感覚になっていきました。


80代独り暮らしでは二度と使わないであろう、大きな立派なお鍋のセット。何組もの布団。

梅干し用の大きなホーローの樽。直径80センチもある盆ザル。味噌豆を煮るいくつもの圧力鍋。

団地の果実を収穫するための年代物の高枝切バサミ…。


これらはかつて、上京した親戚や父の教え子をもてなすために、

ボランティア仲間と作業するために、私たち兄弟を育てるために、大活躍したものでした。


これらの全てを、若い頃の母がイキイキと使いこなしていた光景を思い出したのです。

母は、いつもそうやって精力的に暮らし、人を集める魅力に満ち、生きることを楽しんでいました。


建替えられた団地に戻ったら、以前のようにご近所の友人が毎日集まるでしょう。

そうしたらまた、この鍋を使うかもしれない。

また、梅干しを漬けるかもしれない。味噌を仕込むかもしれない。梅が実ったらみんなで収穫に行くかもしれない…。


母の生前整理に付き合っていたつもりだったのが、

これから始まる母の新しい暮らしのイメージが膨らんで、何もかもが値打ちある生活の仕掛けのように思われ始めたのです。

そういう日が復活することを、私自身が望むようになって来たのだと思います。


「無理して手放さなくてもいいよ。持って行こう。また、使うかもしれないよ」と自然に口にする、私自身の変化に驚いていました。



                蓋付きの瓶の中には、プルタブが集められていた。

                そういえば、プルタブを集めて車椅子を寄付しよう!という運動があったけれど、

                今もやっているのかな?

                これはしかるべきところへ納めるつもりで持ち帰った


けれども、家中の荷物の整理が進むうちに、そんな感傷も吹き飛ぶ事実が明らかになりました。

我が母親は、やっぱり、ハチャメチャな御仁でしたガーンあせる


引越しの前日、母はゴミ捨て場からこっそり敷布団を2枚拾ってきたのがバレて、私に怒鳴り飛ばされましたプンプン爆弾

空にしたはずの食器棚には、ミキサーやらジューサーやらが7個も並べられ、

そのうち誰かにあげるからチョキと、しれっとうそぶいています。


あちこちの部屋から、買ったことを忘れていたらしいオイルヒーターが2つ。未開封の真空パック機が1台。最新式の扇風機が2台。

ノンオイルフライヤーが1台。スチーム式洗浄機の新品とその備品が箱に一杯。

おまけにスウェーデン製の高級掃除機のスチーム部品が一式、さらにルンバまで出て来たのですショック!あせる


お母さん、これ、いつ買ったのはてなマーク誰が使うの!?   勘弁してくれ~爆弾

仮住まいの4年間に、どうやら母は代引き通販という悪癖に冒されていたようでしたガーンダウン



母を相手に、怒鳴ったり罵り合ったり、呆れたり、凹んだり、笑ったりしながら荷造りは続き、

世紀の引越し当日が、少しずつ迫っていました。                                        (続く)






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晴れ数日前、お世話になっているブロ友さんからメールがありました。

「久しぶりにsakki さんのブログを覗いたら、コメ欄が談話室になっとるわべーっだ!


談話室? 確かにねニコニコアップ


「遊歩道の現場」の最終回「家族の約束」 には、たくさんのコメントを頂きました。

私の活動記録に、ご自身の体験や考えを重ねて、コメントを寄せて下さる方が居る。

ブログを書いていて、これほど嬉しいことはありません。だから丁寧にお返事すると、またお返事が来て…。


こんな場所が持てて私は幸せです。皆様、心の籠ったコメントをありがとうございました。


実は、このシルバーウィーク明けに、満81歳の母が引越しを控えています。目下のお題というのはこのことなのでした。


母は、このブログにも何度か登場しています。

取り壊しを待つばかりの無人の団地にたった1匹取り残された、サバ(猫)を引き取った顛末(→「取り残されたサバ 」)や、

そのサバがまさかの脱走ビックリマーク 4週間も野良猫ライフを満喫して戻って来た話(→「完全家庭内野良猫・サバの脱走」) など、

登場するたびにたくさんのコメントを頂きます。母は、なかなかの人気者のようです。


今日は、この母の引越し準備の中間報告をしようと思います。


ごった返しの室内の写真は撮る気もしないので、

代わりに、猫崎公園の猫たちにご登場願い、行間を埋めてもらいます。


どうかひと時、お付き合い下さいませ~



        ダリオ♂。2003年生まれ(推定)

        4月頃、首の下や脇が大きな毛玉となって脱落。一時別猫のようなみすぼらしい姿になった。

        去年まで触れなかったのに、毛玉のケアをしているうちにブラッシングの快感にに目覚めニコニコ溺れにひひ

        素晴らしい毛並みが復活した

        日本の夏はきついだろう。長毛種は外に居てはいけないのだとつくづく思う



51年前、昭和39(1964)年の東京オリンピックの年に、都内にある団地が造成されました。総戸数は400余戸でした。

400組の若い夫婦がここで子供を育て、それぞれに充実した人生を送り、いまや、平均年齢は80歳近くにもなりました。


今から40年ほど前のことです。

「いずれこの団地を、エレベータ付の高齢者にも住みやすい形に建替えましょうよビックリマークと言い出した人がいました。


最初は夢物語でした。

でも、高齢化と設備の老朽化が深刻になるにつれ賛同者が増え、住民とデベロッパーの熱意とが艱難辛苦を乗り越えて、

あのオンボロな団地が、「新生・オリンピックガーデンズ」(仮称)という、近代的なマンション群に生まれ変わったのです。

そしてついにこの9月から、800所帯の入居が始まったのでしたクラッカー


この、「40年前の建替え言い出しっぺ」が、私の母だったのだそうです。


鍵の受け渡しに現地へ行った時、団地の大木をそのまま移植したためどこか懐かしい感じのする敷地を歩きながら、

「整理していたら、その時に書いたチラシが出て来たよ。

40年かかったよ。でもまあよくやったもんだね。間に合わず亡くなった人も何人も居た。お父さんにも見せてあげたかった」と、

感無量の様子でつぶやいていました。



         サリ(宮ちゃん)♀ 2003年生まれ(推定)

         夏バテが心配された彼女。食にムラがあるため少しでも多く食べさせようと毎回腐心する。

         コセクインを混ぜると「何か入れたわね~むっ」と拒否するため、見えない所でこそこそ混ぜる。

         明らかな効果が見られるようになり、嬉しい。

         デリの前には、猫同士身体をすり合って「喜びの舞」が繰り広げられるが、その中心が彼女なのも面白い。

         クールなようで、実は感情豊かな下町のおばちゃんタイプなのかもしれない


さて、800戸が一斉に入居するのですから、交通整理も大変です。

エレベータを占有できる1所帯の搬入時間を2時間半に限定した上で、各所帯に引越し日が割り振られました。

6月、母のところにも、引越しの幹事会社さんが見積りにやってきました。


「こ、これは…ショック!家に入るなり担当者は絶句。母の家財道具の多さに言葉を失ったのでした。


母の荷物がこれほど多いのには理由がありました。


団地に住んでいた50年の間、母は気の合った友人達とボランティア活動をしていました。

本格的なものです。ケーキを焼いて売ったり、夏ミカンや柚子を収穫して来てジャムにしたり、梅干しを作ったり。

味噌は百キロ単位で作っていました。収益は年間3桁もあったそうです。


その他に、不要な衣料品や家電や小物などがあちこちから持ち込まれました。

母たちは、この収益や整理した不用品を、発展途上国や自然災害の被災地へと送り続けました。

団地の野良猫のTNR費用もここから出たのです。


作業のために、自宅の他にもう一軒、部屋を借りていました。

そこにまな板をずらっと並べて、一斉に柚子や夏ミカンを刻む光景は大したものでした。

立派な作業場です。こうした共同作業をする場所があるのはとても意味があります。みなさん楽しそうでした。



しかし、団地の建替えが決まって、このグループ活動も終結宣言をすることになりました。

皆さん総出で片づけて下さいましたが、

「ひとつも棄てない。ゴミなんかどこにも無い。全部持って行く」という母の強い意向があって、

道具や不要品の一部が母の仮住まいに運び込まれたのです。

荷物が多い理由のひとつはそれでした。


でも、それだけではありません。母は、ゴミ集積所に棄てられている大型家具を次々と拾って来てしまうのです。

「粗大ゴミの回収車が来ると、バキバキバキっとその場で壊してしまう。あの音が嫌だ。

まだ使えるものを、ただのゴミにするなんて…。ここに置いておけば、使いたいと言う人が必ず現れる」と言い張って、

一体どうやったのか、ひとりで6階まで運び上げてしまうのでした。


まだあります。集合ポストの脇に、不要なチラシを棄てるゴミ箱があります。

母は下に降りるたびにゴミ箱の中身をそっくり持ち帰り、1枚ずつ丁寧に伸ばして袋詰めして、古紙回収に出していました。

でも、チラシは紙だけではありません。

ずっしり重いお菓子の箱がいくつもあるので蓋を開けると、「水のトラブル110番~」などのマグネット判が、何百枚も入っていました。

「いつか、配った店に返したら役に立つだろう」と言いながら、集めたことを忘れてしまうのです。


他にも、文書を止めてあったクリップを丁寧に外して瓶詰にしていました。「知り合いの事務所に寄付したら喜ぶから」との御説。

クリップならともかく、ホッチキスの芯を外して、真っ直ぐに伸ばして、溜めている瓶もありました。

さすがにあれには驚きました。一体何の役に立つのだろう…むっはてなマーク


いろんな人が心配して、

家具を拾っちゃダメだよ。細々集めた物も、今のうちに全部棄てた方が良いよ。引っ越しでしょう?」と進言しても聞き入れません。

飄々と聞き流し、時には「この年だからねべーっだ!」とボケたフリまでしてはぐらかし、反応を楽しんでいるかのようです。

100人も友達が居るのに、誰一人、母を説得できませんでした。


母には母なりの、物への思いや、断捨離ブームという時代への疑問があるのでしょう。

その証拠に、決してゴミ屋敷などではないのです。大量の荷物は、綺麗に整理されて箱詰めされ、忘れ去られていました。

理解に苦しむ部分もたくさんありましたが、私はそういう母の生活を黙って見ていました。



見積りにやってきた引越し会社の担当者は頭を抱え、

「この量だと、とても1枠では搬入できません。搬出も、前夜に半分詰め置かないと終わらないかも…ガーンと言いました。

とりあえず9月の初めに引越し枠を2枠確保し、聞いたこともないような見積り額を提示して、汗を拭きながら帰って行きました。


80代の1人暮らしの引越しだというのに、その見積り額は、私たち(3人家族)の5月の引越しの3倍でした爆弾

 


            小春♀ 年齢不詳

            去年のちょうど今頃は体調不良と異常行動が見られ、心配して我が家に一時保護した。

            以来絶好調。子猫のように小さいが、食欲は旺盛、感情面も豊かで穏やかだ。

            あの保護劇がなかったら、果たして今日はあったのだろうか…?と相棒と回想する。

            毎年年を取る。仕方のないことだ。

            でもあなたたちが一日でも長く、穏やかに暮らせるよう、公園鬼ババーズは頑張るグー


結局、この日の見積りを私は破談にしてしまいました。


表向きは、9月の暑い盛りに高齢者に強行軍で引っ越しをさせるのが心配だと言うことにしました。

けれど、本当は考えがあり、時間が欲しかったのです。


以前、「親の遺品を片付ける」という言葉が注目された時期がありました。


私はテレビでダイジェスト版を見ただけですが、

親が逝ってしまった後、残された膨大な家財を前に途方に暮れる子供の状態は、他人事とは思えませんでした。


どうして? どうしてこんなに溜め込んだの…?という情けなさ。

でも、ひとつずつ整理する間に、親がどんな生き方をして来たかがひしひしと感じられ、

なぜ、生前に寄り添ってあげなかったのか?と自分を責める。

その後悔こそが、子供が親にする最後の親孝行だ、などと言っていました。


一方、廃品業者を呼んで、「全部、棄てて下さい。中身は見ませんシラー」ときっぱり言う子供もいるそうです。

そうやって、親が生きて来た証を見もせずに処分して、果たしてそれで良いものでしょうか?

やがて親の逝った年に近づくにつれて、親の気持ちがわかり、後悔に苛まれるだろうことは目に見えています。


親の遺品を片付ける。それが子供にとって、物理的にも精神的にもどれほど重たいものであるか…?

容易に想像できました。


そこで、私は考えました。


今回の引越しは、恐らく母の生涯最後の引越しになるでしょう。とすれば、自分の身の周りを片付けるまたとないチャンスです。

生きている間に、自分で整理してもらう。つまり、遺品整理ではなくて、生前整理を自分でしてもらおうと思ったのです。


しかし、その生前整理には私が付き合い、舵取りをしなくてはいけません。

あの母を説得できる人がいるとしたら、多分娘の私だけだ、やらなくちゃと、自分を追い込みました。

いやあ、大変だろうなあ…ガーン

でも今やっておけば、何年か後、あの時本気で付き合って良かった、幸せだったと、思う日が来るような気がしました。


こうして私は、長年の親不孝を一発逆転するという下心もあって、一大決心をしてしまったのでした爆弾



「年長者がこうしたいと言うのなら、多少我慢しても思った通りにさせてあげる。それが若い世代の役目ではないかしら?」

家族の約束 」で、私は富士子さんにそう言いました。この時私も、富士子さんと同じ状況を自らに課したのです。


し、しかし…爆弾

予想通り、その作業は難航を極めました。母の舵取りは、なかなかに大変でした。

母と比べたら、鶴亀さんの方がずうっと素直でしたあせる



そう簡単に言いなりにはならない、一筋縄ではない、

主義・主張を心に秘めた生きる達人のような81歳と向き合って、押したり、引いたり…。


以来、母の引越しを考えただけで頭が痛くなる毎日は、現在進行形となったのでしたガーンダウンダウン。              (続く)






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晴れ遊歩道の現場の地域猫化を諦め、きっぱり「撤退宣言」をしたことで、正直なところ私の気持ちは楽になりました。

しばらくは現場を忘れて、溜まりに溜まった懸案を片っ端から片付けようと思っていました。



なのにあの夜、どうして遊歩道へ行ったのでしょうか?自分でもよくわかりません。 

猫崎公園の夜デリへ向かう前に、ふと、立ち寄る気になったのでした自転車

見慣れた車道の端を、犬を引いた女性が歩いていました。その様子が何となくおかしいのです。

そっと追い越してから振り返ると、それは鶴亀家のお嫁さん・富士子さんでした。


「sakki さん…ビックリマーク

富士子さんの目がみるみる潤みました。私と分かるなり、富士子さんは泣き出してしまったのです。


「さっき仕事から帰ったら、お義母さんが猫に餌をやるところを見てしまったんです。

こうやって、地面に何か所かまとめて置いて…。お義母さん、隠れてまた…しょぼん汗と言うのがやっとでした。


こうして、撤退宣言からわずか2日目に、鶴亀家の嵐の予感は現実となりました爆弾


その第一報を、私はリアルタイムで聞いてしまったのです。

撤退するのは勝手だけど、この家族には最後まで寄り添いなさいと、何か不思議な力に呼ばれてしまったかのようでした。



サンボン。表情が柔らかくなった


90歳の鶴亀福子さんが、「餌やりやめます宣言 」をしたのは前年10月のことでした。

それから半年間、隣のマンションのリカコさんが手を差し伸べてくれて、猫たちは冬を越しました。

でも今度は、リカコさんが大家さんに見咎められて、餌やりをやめざるを得なくなりました。

猫たちに頼られた鶴亀さんは、どうしても、知らんぷりができなかったのです。


「夫は激怒してしまって…爆弾。私はもう、家に居られなくて、犬を連れて逃げ出して来たんです。

sakki さん、私はどうすれば良いんでしょう?しょぼんあせる


突然の事態にうろたえる富士子さんに、私は何を言うべきでしょう? 少し考えてから、


「餌やりは、なかなかやめられないものなんです。現場を見てしまって、ショックだったでしょう。富士子さん、大丈夫ですか?

でも富士子さん。辛いでしょうが、ここはあなたが頑張らないと。

母と息子というのは、近過ぎるし、互いにプライドもあるから、心の内を明かしにくい関係なんだと思います。

だから息子さんに責められるたびに、お義母さんはただ涙を流して、その場をやり過ごすようになったんです。

どうせわかってもらえるはずがないと、どこかで諦めてしまったのだと思います。


そろそろ、本音で話さないといけないんじゃないでしょうか?

お義母さんの気持ちとご主人の気持ち、両方ちゃんと吐き出させて、間を繋いであげられるのは、あなたしかいないんです。


富士子さん。まず、お義母さんがどうして猫に餌をやるのか?今度こそきちんと、聞いてあげたらどうでしょう?

それをご主人に話して、どうしたらよいか、一緒に考えることはできないでしょうか?


あなたはお嫁さんとして、今までちゃんとやってきたんです。もうあなたは、あの家の柱なんですよ。

自信を持って。あなたが思った通りに、やってみて。富士子さん、しっかりチョキ と励ましました。


富士子さんは少し元気になって、犬に引っ張られて行きました。





それから3日後のことでした。私は引越しを前に、幽霊会員だったジムの退会手続きに行きました。

書類を書いていると、誰かが「sakki さん!」と肩を叩きました。振り向くと、富士子さんではありませんか!

こんなところでまた会うとはビックリマーク さすがにびっくりしました。


ジムを出たところで立ち話をしました。すると、富士子さんが思いがけないことを言い始めたのです。


sakki さん。私、お義母さんの餌やりを認めようかと思うんです。


お義母さんが言うには、隣のマンションの人が旅行だか引っ越したかで、猫はどうやら餌を貰えなくなってしまった。

今回は放ってはおけないと、はっきり言うんです。覚悟の上だとか言うんです。


主人は相変わらず怒っていて、お義母さんと口もききません。でも私は、今夜のおかずだなんだと、話さないわけにはいきません。

私がお義母さんと話すと、主人は、お前はそれでいいのかプンプンと、その都度私を責めるんです。

私、そういうの、もうイヤになってしまって…。


みんなが互いに認め合って、それぞれにやりたいことをやる。それが一番なんじゃないか?って思い始めたんです」


私は富士子さんの変化に驚きました。

鶴亀家の人々は、長い間餌やりを巡って何度も対立し、その度に誰かが報われない涙をこぼし、誰かが納まらぬ怒りを飲みこんで、

何ひとつ解決しないまま、家族の真ん中に横たわるわだかまりから目を逸らして、ひとつ屋根の下で暮らして来たのです。


それこそがおかしいのだと、富士子さんはついに辿り着いたのだと感じました。


「富士子さんは、猫が居ても、もう怖くないの?」


「全然平気なワケではないけど、前よりはマシになりました。

お義母さんたら、いつの間にか縁の下に貼ってあった金網を、全部取り払ってしまったんです。猫がここで雨宿りできるようにって。

おかげで、猫は縁の下に住み付いてしまい、前ほど目につかないんです。数も少し減ったように思います。

足が1本無い猫も元気です」と、何だか吹っ切れたように言いました。


富士子さんの気持ちは、決まっているようでした。


そこで私は、富士子さんの考えをご主人が支持してくれるように、知恵を付けました。餌やりの約束事を伝授したのです。


①餌やりは朝の1回だけ ②耳カットがあるか確認し、ある猫だけに給餌する ③1匹ずつお皿をあてがって目の前で食べさせる

④食べ終わったらお皿を回収する ⑤その時間に来ない猫には餌をやらない ⑥置き餌は絶対にしない


そして、「富士子さん。毎週1回でいいから、

”お義母さん、餌やりの約束、ちゃんと守ってますか?猫たちの様子に変わりはないですか?”と聞いてあげて下さいね。

そうすれば、”約束を守れないならやめてもらいますよ”と強く出ることもできます。

それよりも、お嫁さんが関心を持ってくれると感じて、お義母さんは嬉しいハズなんです。

今までこそこそと隠れてやってきたことが、堂々とできて、家族も応援してくれると思ったら、約束を守らないハズがありません。

こうやって、お義母さんの生き甲斐に、あなた方が色付けをしてあげるんです。


以前、お義母さんは私に、

”大病をして、生き残って、私は何のためにこの年まで生かされているのか?と考えました。

その時、残った時間は自分より弱いものに施しながら生きなさい、と言われた気がしたんです”と言いました。

私はそれを聞いて、お義母さんを応援する気持ちになったんです。

あの年齢の人はワガママです。でもあの年で志があるのは幸せなことです。だからこそ元気でいられるんです。

ならば、多少我慢しても思った通りにやらせてあげる。

それが、若い世代の役目ではないかしら?」


私は、鶴亀家を見ながらずっと思っていたことを、口にしました。


「実は私、もうすぐ引っ越すんです。

鶴亀さんが大好きでしたけど、いつまでもそばに居ることはできません。でも富士子さんが居てくれるから、心残りはありません。

富士子さん。大丈夫。あなたなら、あのお義母さんとちゃんとやって行けますよ。

もしかしてあと数年かもしれませんけど、その時間は鶴亀家にとってかけがえのない時間になるハズです。

ご主人と一緒にお義母さんを囲んで、仲良くやってください。それだけが、私の願いです」と言いました。


すると富士子さんは、「あの人は多分、100まで生きますよ。いえ、もっとかもべーっだ!」と、イタズラっ子のような目で囁きました。


一緒に、「憎まれっ子世に…」と声を揃えて言ってしまい、2人で顔を見合わせて噴き出したのでした。




晴れそれから2日後の土曜日の朝でした。


この長い長い連載の第一話「sakki の失敗 」に、私はアメーバ占いのことを書いています。

「今日のおうし座は98点。今までの長い努力が報われますアップ」という、意味不明のご託宣を見たのは、まさにこの朝でした。


私は久しぶりに遊歩道側から、鶴亀さんの庭を覗きました。


フェンスの向こうに、庭仕事をする鶴亀さんが見えました。杖はお役御免になったようで、足取りもしっかりしていました。

声を掛けると、鶴亀さんは以前のようにニコニコしながら、フェンス際へやって来ました。


「おとといの夜、富士子と息子がね、餌やりをしてもイイって、言ってくれたんです!!

私はもう、嬉しくて嬉しくて…。あなたに知らせなくちゃと思っていたんですよ」と、花のような笑顔で言いました。


そして富士子さんに言われたという餌やりの約束を正確に復唱してみせて、

「昨日、早速お皿を買いに行ったんですよ。10枚!足りるかしら?」とはしゃぎました。

それから、私の耳元にそっと口を寄せて、少し小さな声で、

「私ね。今回という今回は、この家を出ようと決めていたんです。そうでもしなければ、餌をやれませんから。

でも独りで暮らすんなら、まずこの足を治さなくちゃいけないと思って、こっそり鍛えていたの。

そしたら富士子が、餌やりをしてもイイですよって言ってくれて…。

そんなこと、考えてもいなかったんです。嬉しかった…」 と、再び言いました。



御年90歳の鶴亀さんが、家を出ようと足を鍛えていた…。

のひと言に、私は打たれました。覚悟の上というのは、このことだったのです。


この、驚くような気の強さとプライドの高さ…。


あっぱれでした。これでこそ鶴亀福子さんです。

かつて、私が惚れ込んだ鶴亀さんが、やっと、私の前に戻って来てくれたように思いました。



同時に、頭の中に、私が出くわしてしまったこの家族の修羅場が、次々と浮かんできました。


「私と猫と、どっちが大事なんですか!?と叫ぶ富士子さんや、「母さん!あんたも来なさい!!と仁王立ちして命令する息子さん。

あの鶴亀さんが、何ひとつ言い返さず、ただハラハラと涙を流したことや、

「もう少し安くなりませんか?」と連呼する姿を見て、ガッカリしたこと…。

「餌やりをやめてスッキリしました」の一言に、もう二度と来るものかと思ったこと。

たった一人で泣きながらやった子猫たちのTNR。

そして、封筒をそっと差し出す富士子さんの顔や、コンビニの前で私を見つけて、照れ臭そうに笑う息子さんの顔…。


いろんなことがぐちゃぐちゃに一気に蘇って、不覚にも涙があふれそうになりました。


そうです。

鶴亀一家に寄り添ったこの1年の長い長い努力は、アメーバ占いのご託宣の通り、今、充分に報われたのだと思いましたクラッカークラッカー



でも私は必死に自分を抑えて、クールを装いました。

「良かったですねぇ。でも鶴亀さん。堂々とし過ぎて、猫だけ見て、周りを忘れてしまってはダメですよ。

ご近所には、鶴亀さんが全頭手術に協力してくれて、お金も出してくれたと言ってあります。

けれど、猫があちこちにウンチをして、困っている方もたくさんいるんです。

もう猫は増えませんから、どうか生きている間は餌やりをご容赦下さいと、みなさんに挨拶してくださいね。

ご近所を大切にして下さい。


でも、鶴亀さんが一番大事にしなくちゃいけないのは、富士子さんですよ。

富士子さんは、お義母さんに餌やりを何とか続けさせてあげようと、自分を曲げ、息子さんにも意見してくれたんでしょう?

よくできた、優しいお嫁さんじゃあないですか。大事にしなくては、バチが当たりますよ。

いいですか、鶴亀さん。猫より、人なんです。それを忘れないでくださいね。お願いしますよ」と、念を押しました。


すると鶴亀さんは、「そうですね。私は、息子に謝ります。今まで何度もウソをついて悪かったと…」とぼそっと言いました。


もう、言うべきことも無くなりました。私は最後に、

「実は私、引っ越すことになりました。今までお世話になりました」と言いました。鶴亀さんは驚いた顔をしましたが、

「では、あなたにお会いするのもこれが最後なんですね。

猫のことは、長い間ずっとずっと、私の悩みのタネでした。家族が認めてくれる日が来るなんて、思ってもいませんでした。

本当に楽になりました。あなたのおかげです。どうもありがとう。

あなたも、どうぞお元気で。お母さまをお大事に」と言いました。


簡潔で感情の籠った、見事なお別れの挨拶でした。

90歳まで生きると、こんなことができるようになるのかと思いながら、私は遊歩道を離れました。


こうしてこの日、私は90歳の相棒・鶴亀福子さんと、お別れをしたのでした。




                          1年追いかけたチカちゃんの最後の子猫♂。

                          近くの若いシェフに迎えられ、「ラフ」という名前になった。

                          先住猫とも仲良くやっているそうだ。

                          この子が、この現場最後の子猫となりますように。

                          そして、幸せになりますように


引越しを済ませてからも、私は頻繁に現場へ通っていました。チカちゃんのTNRと、子猫の保護出しに駆け回っていたのです。

でもあれ以来、一度も鶴亀さんに会っていません。


何かあれば、富士子さんが連絡してくるはずです。それに、私たちは会いたい時に会える超能力を備えているようなので、

会えないということはそのまま、鶴亀家の平和を物語っていると信じています。

そういえば、「今日、とうとうお義母さんが、主人に謝ったんですよアップと富士子さんが言っていました。

すぐに謝るような口ぶりだったのに、ひと月も経っていました。さすがはプライド高い鶴亀さんですにひひ



現場の猫たちは元気です。

私を見るとすっ飛んで逃げて行きます。鬼婆がまた来たと思っているのでしょう。

チカちゃん絡みでもうひとり餌をやる人が見つかり、そちらにもお世話になっているようです。


私は、この猫たちを地域公認の猫にしてやれませんでした。私の活動も、地域にお知らせすることができませんでした。

しかし、結局私は、この遊歩道の端から端まで全部訪ね歩き、知り合いになりました。


撤退宣言するまで捜し歩いた「地域の意志」は、いまだに見つけられません。

けれど周辺に、若くて、気持ちの優しい有能な人材が何人も住んで居ることを知り、ここは将来有望な町と思うに至りました。


いつか、時が満ちてこの現場の野良猫事情が変わる日が来ますように。少し離れた所から見守って行きたいと思います。




「ここに、地域猫の現場を作ろう」と、私がまたどこかで、覚悟を決めることがあるのなら、

1年半ベタ付きで走り回ったこの現場で私が積み上げた、

貴重な失敗や、人間観察や、幸福観が、その時の私に針路を示してくれるように思います。


だから、どうしても記録を残しておきたくて、「遊歩道の現場」を書いたのでした。



長い長い連載でした。お付き合い頂きまして、ありがとうございました。

現在、また大きい案件を抱えていますので、しばらくはそれに集中しようと思っています。



またお会いできる日まで。皆様お元気で。   see you !           by sakki


                                                         「遊歩道の現場」   完






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雷パインハウスとKープランニング、隣り合う2つのマンションの間に、猫の糞が山となっているのが発見され、

リカコさんは大家さんに、敷地内での餌やりをやめるよう勧告されてしまいました。

私は単身、大家さんに会いに行きましたが、Kープランニングのオーナー夫妻まで登場して玉砕。

リカコさんは、これを機にきっぱり餌やりをやめることになりました。


考えてみれば、大家さんの作戦は見事でした。


この地域の野良猫と人との問題に、私がひとり奔走しているのを知って高く評価して見せながら、

それでも、「賃貸マンションのオーナーとしては敷地内での餌付けを認めることはできない」ことを、

自分ではなく隣のマンションのオーナー夫人に、きっぱり宣言させたのです。

さすがは年の功、人の心や仕組みがよくわかっています。一本取られましたガーン


このまま尻尾を撒いて逃げ帰り、引きこもってしまおうか?…とも思いましたがそれもシャクでした。

前年の7月以来、私は淡々と15匹のTNRをしてきましたが、出会う人出会う人曲者ばかり。

その中で、地域住民としての社会性を感じさせる相手は、大家さんが初めてでした。


私は疲れ切っていました。

でもよく考えると、大家さんは私をケムに巻きながら、ひとつだけヒントを残してくれたことに気づきました。


何とかそれを、ものにできないか…?

ダメ元で、やってみよう。それがダメなら、きっぱりこの現場から撤退しよう…。


諦めの悪い私のクセでした。最後のひと仕事のつもりで、その晩、一通のメールを仕込みました。


手紙K-プランニングさま

先日パインハウスの大家さんと猫のお話で伺ったsakki と申します。

あの節はお仕事中に申し訳ありませんでした。

実は折り入って、地域の猫事情のことで、教えて頂きたいことがございます。

近いうちに、少しお時間を頂けないでしょうか?

お返事をお待ちしております。


自分がやり込めた相手に呼び出されたのです。きっと警戒するでしょう。返事は来ないかもしれない…と思っていました。

何日も音沙汰がなく諦めかけていた頃、

手紙お返事遅くなってすみません。聞きたいことと言うのは、メールでお答えするのはダメですか?

では明日なら、仕事が終わった時間に並びのカフェでお会いできます」と返事が来ました。


内心、ガッツポーズをしましたグッド!


でも、微かな希望を見つける度に、何度も手痛い思いをさせられてきた現場です。

私は、「冷静に。冷静に」と自分を抑えながら翌日を待ちました。



            地下室生まれの4兄弟のオス猫。

            彼が一番最後まで母猫(チカちゃん)のそばを離れなかった。見れば見るほど、面白い顔だ


夜の街 K-プランニングの社長夫妻は40代の働き盛りでした。

設計士集団らしい、中層の素敵な賃貸マンションを建て、その1階をオフィスとして使っていました。

この若さでこのビルを建てたのです。きっと今までも、今も、死にもの狂いで働いているのだろうと思いました。


ご主人は、長い髪を後ろで束ねた額の広い方で、若い頃のトヨエツを彷彿とさせるので、トヨエツ氏(仮名)

ハッキリと意見を言う強さと聡明さを備えながら、人懐こい顔立ちの奥さまは、貴子さん(仮名)とでも呼びましょう。

(これがわかる人は同世代人ですねべーっだ!


約束のカフェで落会うと、仕事を終えたばかりのご夫婦は生ビールをオーダーし、私も相乗りしました。

このご夫婦相手に腹の探り合いなど不要です。私はすぐに本題を切り出しました。


「去年、裏の遊歩道でたくさんの猫を見つけてしまったのが運の尽きでした。

以来ご近所の皆さんの協力を得て、15匹のTNRと、3匹の保護をしました。

今年は9匹も子猫が産まれましたが、全部手術が終わっています。これ以上、野良猫が増えることはないと思います。


先日お会いした時、貴子さんは、

”可哀想だと餌だけやるのが一番無慈悲だ。だったら最初から餌なんかやらなければいいのにプンプンビックリマークと言いましたよね。

猫を飼っていらっしゃるのですね。だから尚更、野良猫に無責任に餌をやることが許せないんですね?


でも、野良猫のひもじい様子を見るに見かねて餌をやる。それは人間として、間違いとは言い切れないように思うのです。


ただし今の時代、餌をやるのなら覚悟をしなくてはいけません。

いつか家に迎えてやることを考える。迎えられない事情があるのなら、捕まえて手術をして、一代限りの命を最期まで見守ってやる。

それは、ウンチを拾い、周囲の人に頭を下げて、この猫で最後ですから、どうかご容赦を…と、猫の代わりに泥をかぶることです。

この大都会で、外の他に生き場所のない猫が生きていくために必要なのは、餌だけではないのです。

だから餌やりさんには、

”この猫に餌を下さって、ありがとうございます。でもやる以上、一生この猫を守ることを考えてやって下さい”話します。

餌やり行為に意味と社会性を見出すと、多くの場合、餌やりさんの姿勢が変わるんです。

同時に、糞尿被害などで憤慨している地域の方に、一代限りの一生です、どうぞ許容して下さいと、具体的な手助けをする。


…そういうことが地域ぐるみでできれば、無慈悲なやり方ではない、猫と人との共存のもうひとつの道が見つかります。

私がやってるのは、そのためのボランティアなんです」


「地域猫って奴ですね?そんなこと、本当にできるんですか?」


「できます。

実際に私は猫崎町で、いくつか地域猫の現場を作っています。

周辺に住む皆さんに話をして、カンパを集めて、手術代や治療費に充てました。公認の餌場もあります。

嫌われ者だった猫たちはすっかり落ち着いて、あの猫は大きくなったとか具合が悪いとか、ご近所同志が立ち話しています。

厄介者だった猫が、今は地域の皆さんを繋ぐかすがいになっています。なかなか、良いものですよ」


「どこからか野良猫が流れて来て増えたりしないんですか?」

「置き餌をせず、決まった猫に対面で給餌する。給餌管理と個体管理をきちんとすれば、新顔の野良猫が居つくことはありません。

たまに、親とはぐれた子猫や捨て猫が来た時は、里子に出します。


猫崎町のどの現場も、最初は猫だらけでした。

でも6年経って、死んだり、家に迎えられたりして、どの現場もあと数匹です。

マイナスはあってもプラスは無い。地域猫活動にも、ちゃんと終結宣言はあるんです」


                        鶴亀さんのお庭でこちらを伺う地下室育ちのメス猫

初めて聞く話に、トヨエツ氏も貴子さんも驚いたようでした。

2人は、この現場で出会った誰よりも理解が早いと感じました。

この世代の受けた教育もありますし、ご夫妻の動物に対する感覚は、私の見込んだ通りでした。


「私は、この遊歩道沿いの猫たちもそうしてやりたかったのです。

今年生まれた子猫たちを、この町の最後の子猫にする。そしてこの10匹の猫たちはね、この地域みんなで飼っていのよと、

この辺の皆さんに言われるようにしてやりたかったのです。

そうすれば、鶴亀さんのように、見るに見かねて餌を与えている人の立場も、守ってあげられます。

でも、今まで必死にこの町を駆け回って来ましたが、一番大事なパーツがどうしても見つけ出せませんでした。


かつて猫崎町には、

「野良猫が1匹もいない街なんて面白くもない。せっかく居てくれるのだから、大事にしてやってもバチは当たらないだろう」

そう言ってくれる男性がいました。彼がいつも、地域の人たちをひとつの方向へ引っ張ってくれました。

一番大事なパーツというのは、地域の意志 なんです。

たとえ問題が起きても揺るがない。間違ったことはしてないよと、住民の意志を引っ張る人が、地域に必要なんです。


実は、先日猫のウンチのことでお会いした時、ああ、このご夫婦ならきっとできると思ったんです。

ウンチのことで怒られながら、私は勝手に、お2人のことを値踏みして、見初めていたんです。すみませんべーっだ!


だから今日は、この辺りの地域猫活動のまとめ役を引き受けて下さいと、お願いするつもりでお呼び立てしたんです



思ってもいなかった展開に、トヨエツ氏はいきなり、ガタン!と音を立てて立ち上がってしまいました。

「私たちがですか!? そうか、そういう話だったんですか…。うーん。困ったな…あせる


貴子さんは苦笑いしてトヨエツ氏を座らせて、

「そういう話でしたか…。でもね、うちにはちょっと、問題があるんだよね。お話したら?」とトヨエツ氏を促しました。


トヨエツ氏は椅子に座り直しました。

「多分この町で、私の言うことを聞いてくれる人は、誰もいないと思うんですよ…むっダウン


今度は私が驚く番でした。それは、私が薄々気づいていたこの町の問題を、リアルに裏付ける内容でした。



           同じく地下室で育った白い兄弟の一方。

           母猫は白い綺麗な猫だったが、最近姿が見られなくなった。死んでしまったのだと思う

最初に驚いたのは、今マンションの建つ場所は、元々、あの鶴亀商会の倉庫があった場所だと聞いたことでした。


地元の有名な商店の土地を、若い夫婦が買い取るらしい…。

そう聞いて、ご近所は沸き立ちました。古い町に、若くて有能な人材が流入することを歓迎したのでしょう。


ところが、賃貸マンションの設計図が出来上がり、建築許可を取る段階になって、風向きが変わりました。

日照権を口実にした反対運動が起こったのです。

向かいの道の家々に、「建設反対爆弾」ののぼりまで立ちました。誰かが先導したのです。

そして、泥沼のような訴訟となりました。


中傷が飛び交い、ついに、トヨエツ氏が和解金を支払って、決着が付きました。

しかし何年もの間、計画はストップし、ご夫妻は虚しい時間を耐えたのです。


設計士が日照権のことを疎かにするなど、最初から考えられません。

やっと、ビルが出来上がると、地域はまたしても掌を返しました。

いいわねえ、立派ねえと言ってすり寄って来る人がいて、それがまた、ご夫婦を苦しめました。

パインハウスの大家さんだけが、最初から変わらぬ態度で接してくれたそうです。



この出来事が、若いご夫婦にどれほどの傷痕を残したことでしょう。

ワケの分からないまま、集団に袋叩きにされるような恐怖や、村八分にされた感覚はどうしても忘れられず、

今でもこの町の人を信じることができない。今はただ目立たず、賃貸人だけは守らなければと思いながら、

淡々とこの場所で仕事するだけですと、トヨエツ氏は苦しそうに打ち明けました。


「だから、地域猫をやろうとこの私が言い出したら、私というだけで、反対する人がいるでしょう。無理です。…申し訳ないですガーン


私は、暗澹たる思いでこの話を聞いていました。

そんなことがあったのか…。この町でずっと感じていた違和感の正体が、わかった気がしました。


もう、迷う気持ちも吹っ切れました。

「…分かりました。 この話は取り下げましょう。

実は私も、もし今夜お2人に断られたら、この町での地域猫活動はきっぱり諦めようと、心を決めてここへ来たんです。

これで、踏ん切りがつきました。

この5月の末に、我が家はこの町を引っ越して、猫崎町に戻ります。

この町に3年暮らしました。

前半の1年半をある現場に(→「老姉妹と猫たち」)、 次の1年半をこの地域に張り付いて、必死で走り回りました。

でも、この町は難しかった…ガーン。一体なぜなんでしょう?」


「そう。この町、おかしいですよねプンプン


「多分、ねたみなんでしょうね。

向かいのあの巨大マンションができる時に、地上げがあったんでしょう。

昔ながらの街道沿いに突然凄い計画が持ち上がって、等価交換に乗っかって労せずして地下室付きの豪邸を手に入れた人もいる。

でも、恩恵に預かれなかった人や、借地権で細々と暮らしている人や、昔ながらの商店さんの気持ちは、穏やかではなかったでしょう。

そこへ、こちらのマンションの計画が持ち上がり、みんなのやり場のない気持ちが沸騰したんじゃないでしょうか?

スケープゴートにされたように思います。本当にお気の毒でしたね…」


「なるほど。そうかもしれません。sakki さん、そんなことを考えながらやっているんですか?」

「猫を見てると、町が見えて来るんですよ。というか、私のは元々、猫のためというより人のための活動ですから。

きっと、この町の人の気持ちは、その時バラバラにされたまま、まだ、立ち直っていないんですよ。

みな自分の暮らしに必死で、猫どころではない…。そこに私が現れたというワケです。ああ、失敗しましたしょぼんダウン


すると、黙って聞いていた貴子さんが、

「いえ、sakki さんはよくやってくれたと思います。ただ、場所が悪かった…。

そうでなければ、私はこの話、ぜひともうちのダンナにやらせたかったです。お役に立てなくて、すみません」と言いました。



ご夫婦は、生ビールをおごってくれました。別れ際、

「でも、5年も経てば町も変わります。

苦い記憶も必ず薄れて行くでしょうし、若い人がどんどん入って来て、世代交代も進みます。

あなた方なら、いつかきっとこの町の屋台骨になりますよ。そうしたら、お祭りでもやって下さい。面白いですよ~。


それまで、お仕事を頑張って下さい。私はこの町を出ますけれど、後はお願いしますね。

そうそう、実はたった1匹、多産の母猫を取り逃しているんです。引っ越しても、最後までやることはやりますからパンチ!

そう言い残して、先にカフェを出ました。



こうして私は、この町の猫を地域猫に変えるという夢を、この日、きっぱりと諦めたのでした。


…「撤退宣言」でした。



             ヒマワリ                   ヒマワリ                     ヒマワリ



晴れ生ビールの会合から4か月経った7月29日、1年以上追い掛けていたチカちゃんを、私はついに捕まえました。


地域の人に囲まれて、今度こそ本当に全頭TNRが完了しましたと報告していた時、そこへトヨエツ氏が通り掛かったのです。

ビックリするような偶然の再会でした。


トヨエツ氏は、通り過ぎてから私と気づいて戻って来てくれました。

私は、「とうとう、最後の1匹を捕まえました。これでやっと、私の任務は完了です。

貴子さんは元気ですか?どうぞよろしくお伝えください」と言いました。




私たち3人が気づいてしまった、この町にポッカリ口を開けた、大きな穴…。


それが時間とともに、少しずつ埋め直されて、

穏やかで、他者の命に思いを馳せる余裕のある町に、再生して行きますように…。


この時私は、心の中でこっそり、トヨエツ氏とエール交歓をしたように感じていました。           (続く)






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