今朝保育園で、お母さんが行ったあと寂しくて泣いてしまった二歳の子の背中を優しくしすりながら、さみしくなっちゃったねぇ~っとなだめる先生と女の子の姿に、気持ちが温かくなって、泣きそうになりました
次男は1度もないのだけど、長男にはあって、でもそんな記憶も薄れてきているのに気づきました。もう遠い記憶の日なんですね。
最近、保育園や療育で育んだもので、とても良かったなぁと思うことがありました。
長男は自信のない男の子で、ネガティブでした。特性もあって、悪いことが記憶に残りやすく、自信がないからやろうとしない。
私はこういう一面をすごく心配していました。挑戦することや自信があることって、何かにつけて大事だと思っていたからです。
自己肯定感の高めかたとか、接し方についてアドバイスを求めたり、色々試したと思います。だけどイライラや不安や焦りがあるせいで、つい叱ってしまったりしたこともありました。
またやってしまった。
私なんかがいくらやっても長男の自己肯定感は育たないって思っていました。
今思えば変化があったのは年長さんのとき。
絵が苦手で、友だちにバカにされる。うまくかけてないから描かない。という気持ちが本人にもありました。
一方、絵は子どもの育ちに大切だとも言われていてどうにかしてあげたい気持ちと板挟みになりました。
ある日保育園で、うまく描けてなくていい、とピカソなど芸術家の作品を見せて、どんな絵も素敵なんだという話を聞いたそうです。
そこから、家で前より絵を描くようになりました。びっくりしたのを覚えています。それから、楽しそうに何度か描いているのを見ました。そして、自分に言い聞かせるようにか、上手くなくてもいいんだよ。ボクはこれを書いたというようになりました。
小学校にあがり、図工の作品に、やはり下手だと友だちに笑われたそうです。私はそんなことない、このポイントはよく観察して表現してあって大ちゃんらしくて素敵だよ。など、声をかけていました。
すると、僕はここを工夫した、ここはうまくかけたと思っているなど話してくれて、僕は気にしないと言いました。
こんなことが至るところで見られるようになりました。
自分の好きなものをバカにされた。でも僕はこれが好きだからこれからも好きでいる。
これを聞いたとき、成長ぶりに驚きました。
長男はピアノも習わせなかったし保育園でもやらなかったので、ピアニカはできないし、スイミングもやめたので水泳の授業もできない組です。心配していたのだけど、なんと長男はできないことを気にせず、できるようになることを楽しんでいました。そして、スイミングもう一回やってみようかなぁとも言うようになりました。
自信をなくしたりどんどん苦手になっていってもおかしくない性格なんです。
保育園はできるようになることにこだわらない園でした。遊びは自分で選び、学習系の取組も自由参加。
周りが小学校に行っても困らないように習い事や先取りで準備しているのが、もはや一般的になったけど、あまりそこばかりに目を向けないで、とアドバイスをしていましたので、不満に感じる保護者もいるようでした。
私も当時不満をもったこともありました。できるようにならなくて大丈夫なのか。できないことにコンプレックスを持たないか。
たくさん自分を認めてもらえたんだと思います。
長男の水泳のように、できるようになるのはいつだってできるんですよね。そんなことより、自分はこれでいい。という自信を育んでくれたことに感謝しています。それが今の小学校生活の核になっている気がしました。
いくらできるようになったところで、うまくできる人はいくらでもいます。その時にどうあれるか。
療育でスモールステップで、小さな成功体験をたくさん積ませていただいたことも良かったです。
運動がまるで怖くてできない長男に、怖くないよ、できるよ、楽しいよと思わせてくれたのは療育だったと思います。このあたりは、保育園ではできるようになることは目的としないのでサポートが不足していると判断してのことでした。
長男はできないことが多いと思います。 今でもネガティブ思考は変わらないと思っています。
でも今の姿を見て、この子はきっと大丈夫と思えました。
保育園では見えないところの成長を大切にしてくれました。当時の私は先が見えなくて、それが何になるのか不安だったんでが
、今その大切さに気づきました。
私がつい叱ってしまったと思っていたことも、繰り返し続けることで届いていたんだと思います。
このエピソードで、子どもができないことで悩んでいるお母さん方の不安が、少しでも和らぐといいなと思います。