リレーにかけたアツい思い出 | 西池袋TKデンタルクリニックブログ

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西新宿歯科クリニック 院長の武末です


久々の早起き 3:20 は早すぎですが叫び


というのも本日土曜は娘の幼稚園の運動会走る人が行われるのです。


それも年長さんの両親はリレーに参加しなくてはならないのです。


おそらく、そのリレーになんらかの興奮をいだいているのでしょうね。ゴルフでもないのにゆっくり眠って

いられないなんて・・・・


というのも対抗リレーには格別の思いがあるのです。


私は小学生のとき、地元の小学校に通っていたのですが、その小学校では毎年運動会において

町内対抗リレーというのがありました。


記憶では学区内に20程度の町があり、予選で数チームにしぼられ決勝という流れでした。


一年生から六年生まで、それぞれの学年ではその町内で選ばれた一番早い生徒一名がエントリー

されて、バトンをつなぎます。


一年生がスタートして六年生がゴール。男女に別れたそれぞれ6人のリレーです。


私は6年間、常にそのリレーの選手でしたが、4年生までの4年間一度も優勝できませんでした。


それまで柔道はじめ、すべてのスポーツ&学業(そして喧嘩も)ではだれにも負けたことがなかった

ということもあり極端な負けず嫌いだった私はそれがとても許せませんでした。


リレーはどんなに自分が速く走っても、他の人が抜かれたら勝てません。ある意味初めてそこで

チームで取り組むことの大切さを教わった気がします。


5年生になったときには、低学年の選手の選別と特訓を任される立場になったこともあり、また

6年生の先輩(アンカー)に


「おれが絶対一番であんたにつなぐから、抜かれるなよ」と脅しをかけた甲斐もあり見事初優勝。


その時の喜びはあたかも甲子園で優勝した高校球児のような気持ちでした。


そして自分が最高学年になったとき、


私は片道約2キロ以上ある通学路において当時、一緒に集団登校していた町内の下級生たちを

毎朝、学年ごとにスタート地点にハンデをつけて公道を走らせてました。当然私は一番後ろからの

スタートになるのですが、私に抜かれた下級生は全員げんこつというスパルタを毎朝繰り返して

町内の短距離走のスピードのレベルアップを謀っていました。


そんな私の6年生のときの運動会。


命をかけてのぞんだ最後の町内対抗リレー。


予選は楽々一位での通過。


その年のうちの町内のスタートの一年生は私の弟でした。


彼は私から「絶対1位でバトンをつなげ」とさんざん脅されていたので、予選の途中2位になったときに

前の友人を追い抜くために、後ろから首をつかんで追い抜いたという、後世に語り継がれる珍事件を

起こし、当時、話題になったほど。


そして決勝。


弟から始まったバトンは4年生まで順調に行っていたのですが、5年生で2位に陥落ダウン

6年生の私は2位のままバトンをわたされました。


1位を走っていたのは、当時学年でトップ3に入るM君。


必死で追いかけました。本当に死ぬ気で。


そして、その気合いのおかげで、彼の首をつかんで抜くことなく、正々堂々と抜き去ってゴール。


初めて自らテープを切ったのでした。


リレーにはそんなアツい小学校時代の想いが込められてます。


普通幼稚園の運動会といえば、小さなコーナーの湾曲のきついトラックを想像しがちですが

娘の運動会は毎年、大学のキャンパスのトラックで行われるために、立派な広いトラックです。


長目の直線とゆるやかなRのコーナーもあり、見事に足の速さが表現されます。


とはいえ、今日は幼稚園の和気藹々とした雰囲気の中でのリレーのはずですから、怪我しない程度に

楽しみたいと思います。


去年は一人のお父さんがリレーで転んで骨折してましたガーン 帰宅の際に三角巾につられてた右手の

あの痛々しい映像が今でも脳裏をかすめます。


間違っても12時間後に私のどちらかの両腕がそうなっていないことを祈ります。

そして娘にとって幼稚園最後の運動会を仲良し友人家族たちとともに思いっきり楽しみたいと思います。


また、その模様は後日、報告出来たらと思っております。


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