西新宿歯科クリニック 院長の武末です
昨日の土曜日から高校の同窓会の旅行で、熊本の父親が横浜に来ています。今から横浜まで父を車で迎えに
行き、夕方の帰りの便までの間、うちの家族と一緒に過ごすことにしてます。
家内の気遣いで、娘の七五三の姿も見てもらうことにしてます。(本番は来週ですがf)
父がこちらに来るのは記憶の限りでは私たちの結婚式の時以来ですからもう10年も前。
北九州にある九州歯科大学を卒業してる父ですが、実はその前に東京で一年だけ医学部生として生活を
していた時期があったと聞いてます。おそらく19,20歳くらいのときでしょう。
私が幼いときに東京での一年間の下宿生活の話などをよく聞かされたものです。しかしその時はそんな話を
聞いてもちっともピンとこなかったのですが、まさか私が東京に住むようになるとは、その時は父も私も
想像さえしてなかったはず。
なぜ父は、東京の医学部に入学したのに、退学してまで歯学の道をめざしたのか?
父の父、つまり私にとっての祖父も歯科医師だったのですが、父にとっての祖父の存在がどうしても
そうさせたというのは容易に想像できます。しかし、父の面白いところは、その一番の理由です。
「なんか医者とかになってしまったら、家族で毎晩夕ごはんが食べられんかも知らん。でも歯医者なら
ほとんど毎日、家族みんなで夕ごはんば食べられる。そう思ったけん、やっぱ歯医者になろうと思った」
これを聞いていたときは、なんてつまらないちっぽけな理由だろうとおもってました。しかし今の私が
意外とその父の気持ちと同じようなことを優先順位の高い所にもってきてるというのも面白いなあと
最近思うようになりました。
父は、子供やその家族の誕生日を毎年お正月になるとカレンダーに書き込みます。そしてそれを見て
忘れないようにしてるのでしょう。必ず毎年、誕生日には朝6:00ごろ「おめでとう」の歌とともに
電話がかかってくるんです。
なかなかいい親父です
そんな父も、私が小さい時はほんとに怖かったという記憶しか残ってません。
今の私の人格の基礎を形成したのは父の育て方だと言い切れます。
3歳から柔道を始めさせられた私は、大人に交じって週に3回、道場に父と行ってました。そのあたりから
スパルタな毎日をすごしてました。中学で寮に入るまでの10年間ほど。
とにかく、何事でも人に負けることをよしとしない父でしたから、柔道もスポーツもすべてにおいて勝ち続ける
ことが私の唯一の生きる道だとおもってました。勝つための努力はきっと人一倍したんだと思います。
正直、努力をしたという記憶はないのですが、父を怒らせないためには何をすべきかだけを毎日考えて
生きていたということだけはしっかり覚えてます。
その気持ちは大学卒業まで続きましたね。
スポーツでは柔道は当たり前ですが、走ることに関しても短距離、長距離問わず、常に1番。他のスポーツ
も絶対に人には負けなかったですね。もちろん父は勉強においても厳しい要求をしてきてましたから
小学時代には鹿児島のラ・サールに入ることを目指していたほど。結果は不合格でしたけどね。
私の兄弟は6人います。ちなみに私は長男です。ですから父は母を含めた8人のトップであるという
強い組織図は今も変わってません。
父とのエピソードは伝説になるほどのものがいくつかありますが、ほんとうにすべて強烈です。
いろんな友人と話をしてもうちの父以上に子供に厳しい親の話は聞いたことがありません。それくらい
存在感があった父も来年で70歳。
今の70歳は若いようにも思いますが、やはりおじいさんの仲間ですよね。現在父にはうちの娘も含め
5人の元気な孫がいます。
写真は6年前2004年のお正月。実家の武末歯科医院の玄関にて撮影。
娘が生まれて初めての実家への帰省の記念の写真でもあります。
こちらは2000年。私(29歳)と父です。私の結婚式の前の日のものです。二人とも若いなあ
是非、これからも増えるであろう孫のパワーをもらいながら、いつまでも元気でいて欲しいと願いながら
久々の父との再会を楽しみに、横浜にお迎え、出発です。
折角だから写真もいっぱい撮るぞ!!