2017年12月1日 日本テレビ「スッキリ」
最近、相次いで小学生に中学受験の「社会」の勉強法を指導した。
いずれも大手の中学受験塾には通っているが、受けてきた「社会」の指導は悲しいほど素人さんみたいだ。
教材の参考書の「太字」の
部分が「大切だから」とマーカーで線を引かせ、あとはテストすらから「とにかく覚えてこい」
これだけだ。
また、
「歴史は漫画を読め」
とか、
「参考書を繰り返し読め」
とか、
「まず一通り基礎を固めろ」
とか、
「反復が大事だそ」
なんて、保護者の方でも言えることばかりで、なんら具体性もない。
まさにマニュアルだ。
これでは、たんなる地頭勝負になり、塾に行かなくても変わりはない。
大切なことは、「社会」の勉強に関して
「とにかく覚えるしかない」
に陥らないようにし、
「線の引き方に意味がある」
ことを理解させ、
「反復トレーニングは暗記ではない」
ことをわからせ、
「社会の勉強法」
を小学生が納得して
「いいね」
をさせることであろう。
問題を解いたあとの「直し方」にも、あの赤で直すやり方に疑問がなく、「暗記科目」に決まってると思い込み、時期と手法を明確にしたトレーニングメニューを提案できなければ、指導ではない。
指導の素人である保護者が驚くような「反復トレーニングメニュー」を提供できてこそ、指導者であろう。
もちろん、「暗記が得意」な小学生はそんなやり方でもいいし、保護者の方が「社会は覚えるしかない」と思うのも自由だ。
ただ指導する側は、それと同じレベルではなんとも情けない。
プロフェッショナルであれ!
学校の先生であれ、塾の先生であれ求められている「勉強法」を忘れずに、常にクリエイティブな思考で、生徒や保護者が驚くような「社会の勉強法」を提案すべきであり、それができないのに教えてはならないと思う。
去年は最大30連勤だったが、一昨年は、51連勤なんてあった。
若い頃から、特別に働くことが好きなわけでもなく、そもそも努力や根性や頑張るとか、辛抱とか我慢とか、そういったものが大嫌いだった
私の学生時代の友人に聞いてもらえばわかる。
誰よりも怠け者だった
そんな怠け者が、多少疲れていようが体調が悪かろうが、自分の使命を果たそうとしている。
学生時代の友人が聞けば皆驚く。
ナッジという言葉がある。
ナッジ(Nudge, 本来の意味は「(合図のために)肘で小突く」、「そっと突く」)は、行動経済学、政治理論、そして行動科学の一概念であり、これは集団あるいは個人の行動と意思決定に影響を与える途として用いられる。
私は大学の合格を目指す受験生の応援をする。
でも、きっとそれはナッジの1つだ。
その過程において、どのような新しい良い影響を及ぼすことができるか、つまり、未来社会で生きていくための思考を身に付けることができるか、そんなことを考える。
私は「希望が有る」という言葉が好きだ。
これは、私にとってのナッジだ。
逆に言えば、昔のように怠けてしまえば「希望が無くなる」し、それは私にとって全てを失うことになる。
ここにいろいろなことを長い期間を書いてきた。
なかなか伝わらないことや、妙な文章も少なくない。
でもきっと、空を見上げる人には伝わるし、「希望が有る」人に届く。
私は、そんな小さなナッジでも良いのでそっと、誰かの背中を押して、その押している姿を少しだけ見てもらえればそれで良い。
この10年間、いろんなことがあったけど、これからも死ぬまで、そんなふうに生きて行けたらいいなと思う。
そしたら、もしかしたら
「もう充分足りてるよ」
そんなふうに褒めてもらえるかもしれない。
デザイナーの桂由美さんがお亡くなりになった
94歳
1970年代に、社会人の1ヵ月分の給料で買えるウェディングドレスを桂さんが発表した時、日本の結婚式でのウェディングドレスの着用率は3%に過ぎなかったそうだ
それが常識で当たり前だった
その当たり前に、桂さんは挑み続け、2023年3月にもこう話された
「日本を一番ウェディングが美しい国、ウェディングでハッピーになる国にしたい。今もそれは変わっていないです」
1930年に生まれ、戦争が終わった時は15歳、常識や当たり前を鵜呑みにせず、世界に羽ばたき、日本の結婚をウェディングに変えた桂さんのご冥福を心からお祈り申し上げます
桂さんのような、クリティカルな若者を育てる、それが私なりの桂さんの意思を継いでいくことだと勝手に思っています。