多くの人は自分が経験したこと以外のことについては、臆病になるものだと思います。
健常の多くの人は、義務教育で普通学級で過ごし、高校、そして就職したり大学に入ったりする。
今の日本では、まだまだ高学歴は高収入に繋がると信じられている。
自分の子どもについても、普通の子なら学習塾に入れて勉強させて、受験させて…という道が整っている。
でも、高学歴とは無縁であろうダウン子の育て方なんてわからない。
将来、高収入どころか収入があるのかさえ不安がある今の日本での障害児育児をためらうのは親としてはしかたがないのかもしれません。
ダウン子は、難しい勉強や研究をして、ノーベル賞を取ったりはできないでしょう。
平和賞とかなら、ありかな??
今、いろんな生き方があり、学歴=成功とは限らないという時代になってきているとはいえ、アウトロー的な存在のダウン子に生き方の道筋をつけてほしいのは確かです。
少数派ゆえ、こうしたらこう育つとか、この時期にはこんな支援があるとか、決まりもないし地域によって違ったりするから。
健常者目線で作られているこの世の中では、障害児の生き方育て方について親に情報が不足している、そんな親の不安を解消もできないのに、出生前診断を認めたことは、余計に不安を煽っただけではないかと思います。
結局は検査会社の財政力と政治的圧力の結果じゃないのかしら。
一般国民にはそんなこと関係なく、自分の家族が平穏無事であることが大事。
なのに、まるでダウン子のような染色体異常の子がいたら、異常な家族になるかのような不安感を与えます。
効率重視の世の中で、確かにダウン子は効率的な存在ではないでしょう。
ですが、効率的で便利な生活=豊かで素晴らしいもの、だとは必ずしも言えないのではないでしょうか。
効率を追い求めて、失ったものもあるはず。
そんなこと言い出したら、育児自体、効率とはかけ離れたものですし。
効率的を求める社会は、非効率的な育児を必要とせず、少子化に繋がる一因になったとも言えませんか。
結局は多数派で既得権を持っている強い人のための社会制度。それは健常な男性中心の社会です。
そんなに簡単に制度は変わらないし、ましてそういう制度のもとで生きてきた人の心はもっと変えられません。
まだまだ女性の立場は低く扱われ、子ども、まして障がい者なんてまだまだ社会的には非効率的な存在扱い。
まず、障がいがあろうとなかろうと一人の人間であるという考え方を定着させてほしいもんだ。
障がい児なんて言わずもがな。心配なら産まなきゃいいでしょと言わんとばかりに出生前診断という選択肢。
出生前診断って、生まれる子のことを知って、生まれてからのことを準備するためのものであってほしい。
青臭いくてキレイ事だとは思いつつ。
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