経営学と心理学 4 | いろは

前稿において経営学は実践的な経済学的視座から生まれた学問と述べたものの、しかしながら企業という現場においてそれほどの威力を発揮できていないという現状を述べ、それ故に心理学の力を借りてはどうかという仮説を導き出しました。組織の問題にしても経営戦略の問題にしても現場は常に動いており、一定の状況ではありません。理論が出来上がるまでに状況が変化するために学問は現場の意見から必ず遅れて答えを出すことになります。さらに、部長の机の上に----たとえ非常によくできた論文であったとしても----二万字の論文が置かれていたとすると、その部長は激怒するのではないでしょうか?時間がないところに二万字の論文が置いてあったとしても、誰が読むのでしょうか?このような点を考えていかねばなりません。

 

私の専門である経営戦略論を例にして話を展開しますと、例えばチャンドラーはこのように言いました。「組織は戦略にしたがう」・・・

 

現場では「だから何??」となります。経営学者であるならばこの言葉は重要な意味として捉えますが、しかしながらこれを重要だと思っているのは経営学者だけでありまして、現場でこのようなことを言い放ったところでどうにもなりません。アンソフは部分的無知の発見や戦略を合計8つに区分(その内、多角化戦略を4つに区分している)して論及しましたが、それを現場で発表したところで何の役に立つのでしょうか?ポーターがバリューチェーンについて競争戦略論で論じておりますが、バリューチェーンについては日本は昔から得意としていることであり、クラスター戦略については古の時代からの日本での商慣行であります。それが機能しなくなってきたからどうするのか?という時代にハーバードのポーター教授曰く・・・・といったところで何も始まらないのであります。

 

組織論についていえば、ウェーバーの官僚制組織、時代が下ってテイラーやメイヨーから近代にいたってはミンツバーグのコンフィギュレーション、日本では野中郁次郎博士のナレッジマネジメント、最近ではティール組織などが論じられておりますが、組織が組織としてうまく機能することなどまずなく、現場では常に問題だらけなのであります。よくできる社員やコンサルタントはそこに目をつけてティール組織ならうまくいきます!!と断言し新しい組織図を描くのですが根本的な問題の解決には至らないのがほとんどであります。組織の常はなんといっても上の人がいれば下の人がいることです。上の人がいなければ命令系統がないので組織は動かず、下の人がいなければ上の人は汚い仕事をも行わなければならず、この上下関係がついて回る限りどのような組織も円滑に回ることはないものと思います。どれほど素晴らしい自立型の組織であったとしても上下関係が存在する限り自立というわけにはいかず、ここにねじれが生じることにより組織は崩壊へと向かいます。これが現実であります。ではこの上下関係を生むものは何かを考えるとき、やはり人間そのものへ接近する以外に方法がありません。

 

このように見ていくと経営学という学問はかなり内容が薄いものといわざるをえません。それゆえに現場での応用がなされていないのが現状であり、せっかく大学にて経営学を学んだとしても実社会では全く通用せず、むしろ経営学の知識を使おうとした社員が煙たがられるなどのこともあり非常に残念な学問分野となっているのが残念であります。ところがこの経営学は前述のように、ほとんどがアメリカで生まれた理論であるため、元々は現場中心の学問であることに間違いはありません。チャンドラーにしてもアンソフにしても成功企業を事例研究して導かれた結論を世に放っているのでありまして、その意味で実践に向いていないというのは非常に矛盾しているのであります。

 

この点をよく考えてみますと、まず、日本の経営学がアメリカの経営学をそのまま輸入して使っているだけというのも原因の一つといえるでしょう。しかし理論的な展開について優れているアメリカの経営学を日本でうまく活用されていない原因として、これだけではないと思われます。アメリカから理論を輸入したものを日本流に応用されていないことが大きな問題であると思われます。つまり、アメリカから輸入された理論がそのまま使用されていることに問題があるのであって、アメリカの優れた理論展開の方法(事例ではなく方法論)を取り出して日本企業の事例研究に活用し、そこから理論を導き出すという方法をなぜできないのかについての問題が非常に大きいかと思われます。

 

日本の経営学がアメリカの経営学を直輸入して形成されていることについて私は否定はしません。それが日本の経営学であり、その流れの中で現在の日本の経営学が存在します。しかしながら、その使い方に大きな問題があるように考えられるというのが私の仮説であります。アメリカの経営学が優れている故にそのまま使用するというのは一つの方法であるでしょう。しかし、ローマは一日にして成らず、日本には日本の企業の在り方なるものがありまして、それゆえにアメリカの事例そのものを日本の企業の事例に当てはめて考えるには無理があります。そして根本的な問題として、「なぜ日本の経営学はアメリカの経営学の事例をそのまま活用するようになったのか?(もちろん、日本人なりに考えられた日本独自とされる経営理論もありますが、理論的展開についての基礎理論の裏付けが不十分であったり、そもそも基礎理論についての理解が不十分であったりする場合が多い。かといって私がそれらの条件を満たしているかというと、浅学非才でありますからそうともいい切れないのが現状。)」であります。窮極的には理論を操作する学者の問題であり、「なぜそのような方向へ行動するのか?」を追求していかなければ問題は解決できません。

 

経営学がなぜ心理学と比べこれほどまでに混沌としたした世界観であるのかについて考えてみるとき、上述のようにそもそも学者の基本的な性格の問題であることがよくわかります。ここまで書くとお分かりだと思いますが、ユングのタイプ論における性格の基本態度から吟味していくと納得いく結果が得られるのではないかと思われます。ここまでくると書き手である私も面白くなってきましたが、ここでこれ以上論じるとまとまりがなくなりますから、ここで筆を置きます。

 

ご高覧、ありがとうございました。