経営学と心理学 7 | いろは

最近では経営学の中でも私の専門である経営戦略論について論じております。アンソフの理論からは成功企業の類型化された分だけ企業経営者としての意思決定があり、成功企業の経営者にはそれだけの数に類型化されると考えてみるのはいかがでしょうか?という問題提起であります。

 

経営戦略の近年での権威は何といってもポーターでありましょうが、ポーターの戦略論からすると戦略は3つに類型化されています(詳しくは『競争の戦略』などを参照してください)。ポーターの理論からすると企業経営者のタイプはアンソフに比べ減っております。ここがまた面白いところで、同じ経営学者の中でもこれほどに違いが出るところが興味深いのです。これは心理学の派閥の中では起こらない現象でありまして、ユング派の人が昔話を読んでその感想を聞いたところで、派閥の中で違う意見がでることはありません。もっとも、ユング派では自分がどのように感じたかが一番重要ですから枝葉の部分での違いはでますが、経営戦略の学者のように根底から覆すような意見はでてこないのが最大の特徴であります。

 

話はずれましたが、要するに経営学者の話は理論といっても十人十色でありまして、そこがまた面白いといえばそうなのですが、学者としての統一見解がなく、それゆえ学会でも様々な意見ではなく「理論」が飛び交い、どうすればよいのか?と思うことが常であります。経営戦略とかイノベーションなどを研究する経営学者はその学問の性質上、競合する経営学者とは別のことをやらなくてはならないと思ってしまうのでしょう。これは心理学的には自我肥大に近い状態でありますが、学問の理論と現在進行している自身の研究とが混ざり合うことによりこのような現象が起きるのでありましょうが、これがひどくなると逆にブレイクスルーできない状況となってしまい、ここに理論の破綻がおきるわけであります。

 

ここまでは経営学者の事例を非常に浅い次元で述べてみたのですが、では実際に成功企業にはどれほどの経営者がいてどれほどの分類になるのか?を気にする人がでてくるかと思います。ことSNS時代に入り、「本当」という言葉が飛び交うようになり、いかに多くの情報を収集するかが成功へのカギであるかのような時の流れであります。では、情報を多く仕入れることができれば成功するのかというと、そうでもないと私は思っております。なぜなら、まず、数の原理からすると多くの情報を仕入れることにより、結局は普通の人になるからです。これは正規分布という考え方を見れば一目瞭然です。ここに私はビッグデータの限界を感じるのですが、心理学的には多くの情報を仕入れることによりコンプレックスが刺激され、生きにくい空間を自分自身で生成してしまう可能性を指摘しておきましょう。つまり、生きやすくするために大量の情報を仕入れ解析していくのですが、大量の生のデータを目にするうちにコンプレックスを刺激し、精神的にダウンしてしまうことが考えられます。

 

このように考えると孔子の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とは素晴らしい言葉ですね!となるわけでありまして、こうなるとまた問題が難しくなるのです。結局のところ、やはり普通の人が成功するとなりまして、正規分布の考え方からすると普通の人は図表の左右両端に位置する人となり、それが成功者である。このような定義となります。つまり、正規分布の両端とまではいかなくとも、右端に位置する人は非常に普通の人であり、それ故に「成功者」となる、ないし「成功者である」と定義することが可能となります。

 

有名企業の創業者は普通の人?となりますが、この点については次回以降に論じてまいります。ご高覧、ありがとうございました。