経営学と心理学 8 | いろは

経営学なるものは企業経営にかんする過去の歴史から成功への方法を学んでいこうとする学問でありますが、しかし、経営学の教科書に書いてある通りにことを進めてもなかなか物事が動かないことが多々あります。これ以外にもそもそも書いてあることの意味がよくわからないなどがあります。これらの理由をツイッターの反応のように箇条書きをしてみるのも面白いかな?と思う反面、一応、本稿は論文であるためそのような書き方はやめようと思うのですが、いずれにせよこれが経営学における諸問題の一つであります。やはり一番の問題は成功へのプロセスに投資家等の、第三者の介入にかんすることが全く無視されていることがその根本ではないでしょうか。

 

経営学の教科書には果敢にマーケットに攻め込む企業家(起業家)の成功物語を書くものであります。しかしながら、そこにはドロドロの人間模様とカネの話は一切出てくることがありません。実際の企業経営にはこのドロドロの人間模様とカネの話が企業を大きくさせるのでありますが、この点についての話が一切出てこないところに一代で財を築いた企業経営者は疑問を覚え、経営学を批判するようになります。ここが難しいところで、かといって経営学的な視点が全くモノをいわないかというと、そうでもなく、ここに経験と机の上での知識の両方を混ぜ合わせた考えが必要となるのではなかろうかと思うのであります。

 

これは私の知るある地方の企業経営者ですが、この経営者はある大きな自社ビルを建設し、そこに自身の企業の本社を置きながらテナント収入も得るように工夫されています。その企業の経営者に会うときはいつも三名の男性がついています。大きな自社ビルを持っているとはいえ、三名もの秘書を常に同行させるほどの規模の企業ではないので不思議に思い尋ねてみると、その三名の男性は融資を受けている銀行員から派遣されていることがわかりました。ここまで書くとお分かりだと思いますが、つまり、そこそこ無理な融資を銀行が行っているので、その融資が焦げ付かないように常に銀行員がその経営者について回り、企業経営に対するアドバイスを行ったり、会う人への警戒を直接指導しているのです。

 

さて、融資を受けることができずに倒産する企業もあれば、大きなリスクがあるにもかかわらず融資を実行してもらい、さらに銀行から人員を三名も派遣してもらい常に企業経営に対する助言を得ることができる企業経営者が実際に存在します。大きく伸びる可能性の企業は後者であるでしょうが、ではなぜこの企業が伸びるのかについては経営学では知ることができないのが現実であります。ここでは二人の経営者のタイプを紹介しておりますが、では、後者の経営者はなぜ融資を受けることができたのかについてを研究しなければならず、ここに経営学の限界を感じる実業界の人々は多いのではいでしょうか。

 

成功する企業経営者は非常に少ないのが現状であります。例えば、事業を企てることにより全ての人がビルゲイツになってしまえば逆にとんでもない世の中となるのではないでしょうか。経済的にはインフレが起き、物価の急上昇が起き、紙幣は紙きれとなり日本は沈没・・・難しいですね、世の中をよくすることは。

 

結局のところ「真ん中」が最適であり成功している状態であるのではなかろうか?と思われるのでありますが、それは決して中間のことではないような気がします。統計学でいうところの「中央値」に相当する考え方が重要であり、トータルバランスでものごとを動かしていくことが重要ではなかろうかと私は思っております。この中央値の考え方によく似た概念に中国哲学において「中庸」なるものがあります。この中庸を「中間」と理解する人がいますが、それは誤りであり、軸がずれていても均衡されていること意味します。つまり、正規分布の右端にいる、数値の上では世間から飛びぬけているように表現されている人や企業は実のところ真ん中の人であり、ここに中庸の概念を導入する意味が出てくるのではなかろうかと私は思っております。

 

経営学に中庸の概念を導入するまでに、まずは成功企業の事例を経営学に判断し、そこへ心理学的な考察を加えたうえで、中庸の概念をもって本シリーズを締めようと考えております。

 

ご高覧、ありがとうございました。