経営学と心理学 9 | いろは

前稿においては成功企業ないし成功者は実のところ「真ん中」ではないだろうかなる仮説を導き出すに至りました。このような議論はどこでどのような基準を設けて生のデータを収集するかによって事情が異なってくるものと考えられます。例えば、成功企業(何をもって成功企業とするかについて定義しないといけないが、ここでは一般的に成功していると思われる企業の全てを対象とする)という基準でデータを集めると、失敗事例が出てこないために成功企業内での話となります。このため、統計的な分類は不可能となり現実離れした夢物語のように捉えられても仕方ありません。

 

例えば、学生の定期試験において100点をとった人ばかりを集めて平均をとると、平均値は100となり、100点が普通の状態となってしまいます。こうなると平均的な100点をとる平均的な学生集団と判断せざるをえず、仕方なく100点をとる人を類型化しだすような事態になってしまうのが残念なところであります。アンソフによる経営戦略の類型化はまさにこのような方法で行われたものであり、「優秀な人しばり」においての話であるのでこれから成功しようと頑張る人にとってはどのようにこの理論を活用してよいのかがわからなくなってしまうのではなかろうかと思うのであります。

 

私が経営学における事例研究においてこれまで残念だと感じていたことはこの点でありまして、成功企業が競合他社との戦いに挑んでゆくプロセスを深く追及することがない点があげられます。クリステンセンによるイノベーションのジレンマ論はこの点に一石を投じたとはいえ、データの収集方法は限定的であり、やはり経済学的なアプローチを色濃く残すものであることは否めないのであります。これは決してクリステンセンや彼より前や後の偉大な学者たちを批判するものではなく、経営理論として学会を席巻する理論は経済学的なアプローチによるものであることは否めず、心理学も専門とする私にとっては経営学会のいうこともよく理解できるのでありますが、そのような一方的な見方でよいのでしょうか?と感じるのも事実であります。

 

ここまで書くと私を知る人はまたひねくれた意見をいっていると思われるでしょうけど、やはり、一方的なのはあまりよくないのではないでしょうか?と心理学者の立場としては思ってしまうのが人情というものです。世の中には白か黒かのどちらかしかないのでは面白くないでしょう。白と黒があるから白黒がはっきりするわけで、白しかなければ万物が「合格」となり、ましてや世の中にホワイトの企業しか存在しなくなるとホワイトな企業はどのようにして成功してゆけばよいのかわからなくなるのではないでしょうか?と私は思っております。

 

私が心理学の専門とするユング心理学において、個性化という理論があります。もう少し一般的になじみのある言葉でいい換えると自己実現となるでしょうか。この自己実現にかんして、ユング心理学においては独特な解釈がありまして、マズローの意味するところの自己実現とはまた違った意味となります。ここが心理学の面白いところなのですが、心理学ではユングの意味する自己実現もあればマズローの意味するところの自己実現があります。両方が違った意見のまま「正しい理論」としてそれぞれの道を歩んでいることであります。一方で経営学ではあらかじめ、例えば成功企業であるメーカーのA社とB社を一つの「成功企業群」としてまとめ、成功のパターンを見つけ出そうとするものであります。

 

これのどちらが正しいのかと問われると非常に答えにくく、どちらも正しいとしか言いようがないのであります。経営学会を軸に立つと心理学的な自己実現論が非常に足りないことになり、心理学会的な見解からすると統計学的な見解が弱いのではなかろうか?となります。しかしながら、本稿においては経営学を軸に心理学を差し込んでいくことが目的であるので経営学でいうところの成功企業を例にし、心理学的アプローチを試みていく予定であります。次回は実際の企業の事例と学説を交えながら経営学における成功企業とは何かを吟味してゆこうと思います。

 

ご高覧、ありがとうございました。