経営学と心理学 12 | いろは

前稿では稲盛和夫氏(以下、稲盛氏)が松風工業を退職するとき、多くの仲間が一緒についてきたこと、次に、京セラを設立するにあたり多額の出資金を得ることができたことを見ていきました。そこで問題点も二つでてきました。それらについてここでは触れませんが、史実に基づいてもう少し深く見てゆこうと思います。

 

まずは前稿と同じように『ニッポンの社長』というサイトから京セラの社史を見てみましょう。

 

https://www.nippon-shacho.com/interview/in_kyocera/

 

ここの1ページ目の最後の方に京セラへの出資者の奥様が「男が男に惚れる」といったと記述されております。言葉としては出資者の奥様の言葉でありますが、この表現を強調するように記述されているところをみると、実際に出資者は稲盛氏に相当な思いを寄せたのでありましょう。ここが経営者としての第一番目の運命の分かれ道であったのですが、これも以前から私はよく主張していることですが、この段階で出資を断られる経営者と出資を承諾してもらえる経営者がいるわけでありまして、ここが企業経営においては非常に重要となる部分であります。

 

企業経営はきれいごとだけでは成り立ちません。経営資源はヒト・モノ・カネ・情報といわれておりますが、その中でもとりわけ「カネ」にかんして経営者は非常に苦労するのであります。素晴らしい製品を開発したからといって量産できる施設を手にすることができなければ意味がなく、また、量産できたからといってマーケットにて認知されるまでのあいだ、どのようにして従業員に給与を支払うのかなど、企業には常にカネに対する悩みが付きまといます。京セラも例外ではなく、稲盛氏が松風工業を退職し、同時に人員も確保できたところまではよかったのですが、カネの面で非常に大きな苦労があったことを知ることができます。この苦労が実るか実らないのか、これは神のみぞ知ることでしょうか?

 

その後、京セラは稲盛氏の技術をマーケットに送り込むために最大限の努力がなされました。しかしながら、目標があまりにも一点集中的であったため、従業員の全てに受け入れてもらうことはできず、組織的な問題が発生しました。ここで稲盛氏は相当に難易度の高い団体交渉に挑むことになり、それは見事に成功へと導かれました。、その詳細については下記リンクより参照してください。

 

https://www.kyocera.co.jp/inamori/profile/episode/episode02.html

 

この時点で企業理念が生れたわけでありまして、それを引用しますと、

 

「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」

 

ここで鋭い方はこれと似た経営理念を思いつく人がいらっしゃるかと思います。パナソニックの経営理念であります。下記リンクより参照してください。

 

https://www.panasonic.com/jp/corporate/management/code-of-conduct/chapter-1.html

 

ここで私が主張したいのは、両者ともに世のため人のための経営理念であることであり、その結果として創業者の思いが叶うという、個と集団という対立する概念を見事に結び付けていることであります。よって、松下幸之助が経営の神様であれば、稲盛氏も経営の神様と呼ばれることが相当であると私は思っております。

 

ここから話を事業の内容に変えまして、京セラはやはりセラミック製品のメーカーでありますので、土を扱うことも特徴の一つであります。よって、創業間もないころから土を採取するところから事業を行っておりました。また、セラミックの研究も同時に行いつつのことでありましたから土の採取から製品として完成するまでの工程をアウトソーシングするわけにもいかず、川上から川下まで全て社内で行っているのが戦略的な特徴であります。これをアンソフの戦略論から論じれば、垂直統合戦略となり、アンソフの議論からすると、非常に成熟化した企業が行う戦略を創業間もない零細企業が既に行っていたという事実が経営学者の興味を引き付けます。

 

さて、人の心を重要視することによる経営は、やはり非常に大きなものであるのでしょうか、零細企業でありながらアンソフの研究をいきなり大きく超えた状態にて世に出たわけであります。そして京セラはこの後も大きな成長と発展を遂げ、1兆円企業へと階段をあがることになります。

 

次回をお楽しみ。ご高覧、ありがとうございました。