経営学と心理学 14 | いろは

前稿において、京セラのアメーバ経営の簡単な解説を行いました。私は京セラでの勤務経験がありませんから何ともいえないのですが、そこをパナソニックでの経験を通じ解説してみました。

 

京セラはこの後、海外へ進出し大きなメーカーから大量受注するなどして企業の規模を拡大してゆきます。下記リンク参照。

 

https://www.kyocera.co.jp/inamori/profile/episode/episode05.html

 

その他にも企業を吸収するなどして事業の拡大を図ってゆきます。下記リンク参照。

 

https://www.kyocera.co.jp/inamori/profile/episode/episode09.html

 

これらすべてのことにおいてアメーバ経営を導入し、成功へと導かれます。これは素晴らしい業績であると思っております。アメーバ経営は私のパナソニックでの経験から推測すると、各従業員のやる気が起これば組織は非常に弾力的に動きますが、やる気が起こらない場合、これはとんでもなくタイトな組織となってしまい、企業としての活動は厳しくなろうかと思われます。アメーバ経営の多くの特徴は全ての各従業員に経営者としての責任を持たせることにあります。換言すると個人事業主の集団であるといえます。実際には京セラの正社員であるのですが、どのようにして仕事をするかについては各人各様で、全て各従業員の責任となります。

 

事業者が寄り集まって一つの目標に向かって進んでゆく法律で認められた法人として事業協同組合があります。農協はこの例として理解しやすいかと思います。農協の組合員になると農協の事業のために各農家は動きます。お茶農家であれば、農協に加入することにより農協の事業を進めていくためにお茶の生産を行います。その生産の方法は様々で、お茶畑を持っていれば原木を育て、葉を刈り取り、熱にさらして「お茶の葉」として製品化し、その後は農協へ製品を手渡し競りにかけてもらうなどであります。

 

ここで重要なのは農協の組合員になっただけでは生活は不可能である点です。お茶を売って貨幣に交換するには、各農家が自分たちの判断で行動しない限り、現金収入を得ることができない仕組みとなっております。これと非常によく似たやり方がアメーバ経営であり、その基礎となっているであろうパナソニックの組織の在り方であります。

 

京セラはパナソニックよりも、より弾力的であるようで、その意味で、別の事業の工程と非常に仲が良いともいえます。ここがまた素晴らしい点でありまして、要は、仕事を教えてもらえる体制までも現場にて整っていることであります。私のパナソニックでの経験では、少なくとも社内での仕事探しは自分ができることで進めることが暗黙の了解でありました。他の部署で迷惑をかけていはいけないとの思いからですが、これも企業文化ですね、個々の努力を集めて「衆知」とするか、全社的な協力を基にして「衆知」とするか、結果は同じようでありますがプロセスに大きな違いがあり、ここが経営者としての腕の見せ所となります。

 

ここでアメーバ経営に話を戻しまして、各従業員が個別に企業経営者であることの感覚を農協を事例にて吟味しましたが、こうなりますとこのような意見も出てきます。「企業は何もしてくれず、助けてくれない。」

 

これもごもっともな意見であります。今から20年ほど前に京セラの暴露本が出版されたのを記憶しております。しかしながら、その本を読んでいて思ったのは、やはり京セラはパナソニックとよく似た経営の方法であることでした。そこを批判する本でありましたから、つまり、経営の神様である松下幸之助をもこの暴露本は批判するのか?と考えてみたりしたものですが、同時に、このような働き方に対し抵抗感がある人にとってアメーバ経営は苦痛を伴う危険性があることを示すものであります。

 

ところがここがまた不思議なことでありますが、このような暴露本が出たとしても京セラに対し大きなダメージとはならなかったことです。むしろその後の京セラは成長を続け、稲盛氏の社会的名声はより大きくなっていきました。これはやはり稲盛氏のもつ人柄が敵をも呑み込んでしまうパワーがあるとしかいいようがなく、京セラの成長を大きく支えるものであるのではなかろうかと推測しております。

 

次回より企業経営における心の問題の重要性について吟味してゆこうと思います。

 

ご高覧、ありがとうございました。