新しい経営学の息吹 2 | いろは

前稿において、学問のあり方に変化が生じていることを問題意識として述べました。これは在来型の研究者からすれば大変な事態になっておりまして、なぜなら、例えば、経営学の中に心理学を取り入れ、新しい意思決定論を目指そうと論文を書いたところで、そんなことは心理学の講座で発表しろ!となり、そういわれて心理学の講座で発表すると、そんなことは経営学の講座で発表しろ!となり、たらい回しとなるのが常であります。

 

しかしながら、日本の学問の方法にも学際研究なるものが存在しておりまして、これは異分野の学問分野を融合させて新しい理論展開や発見を行ってゆく研究の方法ですが、ここから出てくる学位的な結論は「博士(学術)」でありまして、これでは何が専門であるかわからず、経営学が専門でありながら、それを心理学を使って問題を解く場合、これは「博士(経営学)」でもよいのではないか?と思うのですが、現在の学会の見解はそうではないのが、現状でありまます。

 

ところが、現在の我が国の経営の現場においてはこのようなことをいっている場合ではなくなってきており、企業経営における心の問題が非常に関心を高めており、もはや経営学は心理学の力を借りなければ問題の解決へは至らないのではなかろうかと考えております。

 

例えばリモート会議やリモート営業などの実例を見てみますと、確実に相手は画面の目の前にいるにもかかわらず、緊張感なるものがどこか感じられなかったり、緊張感はあったとしても自分の部屋が他人にどのように思われているかについての緊張感であったり、自分の思いが思うように伝わらない、相手の意図をうまくくみ取るのが困難であるなどの問題があるでしょう。さらに、リモートでのハラスメントの問題が発生したり、リモートでなくてもハラスメントが発生してた現代社会において、このハラスメントの問題はどのような状況においても発生するのはなぜか?と考えるには、やはり心理学の力が必要なのではないでしょうか?というのが私の素直な疑問であります。

 

職場でのソーシャルディスタンスを保ちながら、これまでと同じように相手の意図をくみ取ったり、主体の意思を伝えようとするとき、物理的な距離がどれほどあろうが心理的には自己は「あいだ」として存在するわけでありまして、あいだの自己は物理的距離における転移に時間がかかるという時間の問題が発生し、そこに精神的な負担が発生すると考えたとき、つまり、未来に対しての時間を追いかけだすと仮定すると、それは統合失調症の症状と似たものとなるわけですが、では、統合失調症とは?となると経営学にて問題を解決できないわけではないのですが、白紙の状態からその定義を作り上げるとなるとどれほどの時間がかかるかということです。それなら心理学の力を借りた方が早いと思うのですが、さて、皆様方はどのように考えますか。

 

確かに、心理学の概念を一から覚えてゆくのは大変な作業でありますが、すでに統合失調症の定義は心理学の教科書に書かれておりますので、それを読んで覚えた方が早いと私は思います。統合失調症という概念は一夜にして出てきたものではなく、世界中の心理学会が長い年月をかけて作り上げた概念であります。それを経営学において白紙の状態から作り上げるとなるとあまりにも時間の浪費にすぎると考えるのが私の立場であります。

 

こう考えますと、新しい経営学の息吹という経営の実務の世界において、そしてその大きな転換点を目の前にして、学会においては今後も私が出てゆくことは許されないかと思われますが、経営の実務の世界では私がこれまでやってきたことは、どこかでお役に立つのではなかろうかと思えるようになってきております。私の理論がどれほどの支持を集めることができるかは不明ですが、今後は皆様方のお役に立てるような、実践的な理論展開を目指す所存です。

 

ご高覧、ありがとうございました。次回の更新は2020年8月17日です。