阪神→近鉄 湯舟敏郎さん | プロ野球カードとサイン

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80年代〜90年代のOB選手を中心です。

 

なかなか勝てなかった阪神暗黙時代のエースといえば・・・



阪神近鉄 湯舟 敏郎 さんです!


登録名は、「ゆふね」さんですが、本名は、「ゆぶね」


大阪にある興國高校時代は、クリーンアップでレフトを守り、


今年、最優秀救援投手を受賞:桑原 謙太郎投手(阪神)も後に在籍する、奈良産業大学の硬式野球部1期生として、入学。


2年春には1部リーグへ昇格し、秋にはリーグ優勝、そして5連覇へ貢献するピッチングを披露します。


大学卒業後は、社会人チーム 本田技研鈴鹿へ入社。


2年目には、エースとして、都市対抗野球ベスト8まで導きます。


そして、1990年。小池 秀郎(ロッテを拒否)の外れ1位で、阪神タイガースへ入団します。



入団直後の1年目のオープン戦のピッチングをみた、中村 勝広 監督から


「大大大戦力」


と、大きいが3つも付くほどべた褒めされw 1年目は、5勝11敗。


2年目の1992年には、6月14日vs広島カープ戦にて、ノーヒットノーランを達成します。


そして、3年目の1993年には、タイガースのエースとして、12勝6敗。1994年には開幕投手を務めました。



しかし!とにかくこの頃の阪神は貧打。


自身は規定投球回をクリアし、防御率3..05の好成績を残しながらも5勝7敗に・・・。


その後も、自身の不調とチームの不調も重なり、結果が残せない日々に・・・。


1995年は33試合に登板し13敗、1996年は29試合登板14敗と、


2年連続で、最多敗戦投手 」 


不名誉な記録を打ちたててしまいます。(ちなみに、96年は右のエース 藪投手とWで・・・ )




そして、1998年4月


本塁へのカバーへ入った際に、軸足の左足を骨折。この怪我がきっかけで、中々結果を残すことができなくなってしまいます。


2000年オフに、



山崎 一玄投手、北川 博敏選手と共に酒井 弘樹投手、面出 哲志投手・平下 晃司選手との3対3の交換トレードで、大阪近鉄バファローズに移籍をしました。


一時は、開幕投手として予想をされるものの、またしても故障。


チームはリーグ優勝を果たすものの、日本シリーズの登板はなく、この年限りで現役を引退しました。



引退後は、阪神タイガースのコーチに


そして、現在は、解説や評論で活躍されています。


「 あの時のタイガースじゃなければ・・・。」と、思う投手ではありましたが、


引退後のお仕事(関西地区での解説・評論)をみると、経験を活かされている方であると思います。


これからもご活躍に期待!!