広島 今井譲二さん | プロ野球カードとサイン

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80年代〜90年代のOB選手を中心です。

 

最強の「脚のスペシャリスト」

 

広島 今井譲二 さんです!

 

近年の脚のスペシャリストといえば、読売ジャイアンツの鈴木尚広さんや、ソフトバンクホークスの周東佑京選手が有名ですね。

 

鈴木尚広さんは、50mのベストタイムが5秒8~6 周東選手は、5秒7。これでも相当速いのすが、

 

今井さんが、広島の入団テストで出した50mのタイムは、「5秒6」 非公式ながら、日本記録(朝原宣治)の5.75秒を越えてますw

 

中学校時代から野球を始め、陸上大会も兼任で参加をしていた今井さんは、鎮西高校から中央大学へ進学。

 

東都大学リーグに所属する中央大学では1年生からベンチ入りし、1番打者として活躍します。ちなみに、「5秒6」のタイムを出した、広島カープの入団テストは、入団テストだと知らずに受験をしたそうでw 今でもプロテストを受験する場合は大学野球部に退部届を出した上で受験する必要があるのですが、それをしていず・・・。大学側にそれが知られて、リーグ戦メンバーから外されてしまったそうです。

 

そして、1978年にドラフト外で晴れて広島東洋カープへ入団。

 

入団4年目の1982年に9試合に出場し、安打1を記録。盗塁よりも先に初ヒットを記録しました。

 

1983年 31試合出場、10打席で2安打。盗塁成功5。

1984年 52試合出場、8打席で1安打。盗塁成功15。

1985年 42試合出場、6打席で、1安打。盗塁成功8。

1986年 46試合出場、2打席で、0安打。盗塁成功17。

 

って、まったく数値が合わない試合出場が続きまくっている成績なのですが、プロ11年間で263試合に出場した、その大半が「代走出場」だったのです。

 

今井さんは、プロ野球で生き残るために、とにかく盗塁成功数を増やせるように、投手のクセや傾向を研究。

 

当時のバリバリのレギュラーで、盗塁王経験者の高橋慶彦選手や、後に盗塁王を獲得する正田耕三選手などを下げてまで、今井さんが代走で起用される場面もありました。それほど、首脳陣も信頼していた今井さんの走力。

 

1987年には、0打席で36試合に出場。9盗塁を成功させるという、「打つことがなく1軍出場を終えるシーズン」が訪れましたw

 

そして、今井さんが一塁ベースに立つと、応援団から、

 

いまい♪ いまい♪ いまい♪ いまい♪ いまい盗塁♪♪

 

と、原曲「マイムマイム」の応援歌がw プロ野球史上初の代走での応援歌が演奏されるほどの活躍ぶりでした。

 

1989年 出場試合数が4試合に留まり、現役を引退。

 

その年の広島市民球場最終戦終了後、引退セレモニーで誰もいない無人のダイヤモンドを一周し、最後はヘッドスライディングでホームイン!今井さんらしい、セレモニーでプロ野球から去ることとなりました。

 

現在は、野球教室の講師もやられているみたいです。

 

一軍ではホームランとは無縁の今井さんでしたが、実は二軍では9ホームランを記録しています。

 

チームの役割を全する、特徴を活かした今井さんの紹介でした。