近鉄 大石大二郎さん | プロ野球カードとサイン

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アメンバー限定記事は主に球場でサインを貰う(インパーソン)際に更新しています。

80年代〜90年代のOB選手を中心です。

全身で立ち向かい、縦横無尽に突撃!

近鉄 大石大二郎 さんです。

 

身長166cm 体重71kgとプロ野球選手としては小柄な体格なものの、扱うバットの重さは1160g!

 

プロ野球選手のバットの重さの平均は800~900グラム。

 

ちなみに1000グラム越えをしている選手は、ロッテ フリオ・フランコさんや南海→オリックス→ダイエー 門田博光さん

 

全然タイプが違いますねw

 

そんな大石さんは、静岡商業高校へ進学し、1975年には春の選抜高校野球に出場。1番打者としてベスト8進出に貢献します。

 

東都大学野球リーグに所属している亜細亜大学へ進学。3年次の春季リーグ戦では17盗塁をマークし、当時のリーグ新記録を樹立します。

 

そして、1980年 ドラフト2位で近鉄バファローズへ指名され、入団しました。

 

入団1年目から1軍出場を果たし、入団2年目に転機が

 

2塁を守っていた、助っ人外国人 ビクター・ハリス選手の怪我により、オープン戦へ出場。打率3割を残し、レギュラーを奪取。

 

レギュラーシーズンでも、打率.274 12本塁打 47盗塁を記録。新人王とダイヤモンドグラブ賞を受賞します。

 

その後、長きに渡り、近鉄バファローズを引っ張るリードオフマンとして活躍をしていきます。

 

1992年 年棒1億円に到達。これは、ケチで有名だった近鉄球団では初めての1億円プレーヤーの誕生でしたw

 

このカードの背景は、中日ドラゴンズが本拠地としていた、ナゴヤ球場。大阪から名古屋まで近鉄電車が繋がっていることからの開催だったようです。この時期は、よく近鉄vsオリックス(愛工大名電出身のイチローが集客)を開催していました。

 

大石選手は、「自分は走れなくなったら終わり」と、自負をされていて、プロ13年目の1993年には、31盗塁で4度目の盗塁王に。35歳での盗塁王は、阪急 福本豊選手に並ぶ、最年長での盗塁王受賞でした。

 

翌年から、後身のことも考え、準レギュラーの立ち位置でチームに貢献。

 

「40歳までの現役と2000本安打の達成」を目標として、出場していました。

 

近鉄の本拠地は、藤井寺球場から大阪ドームへと変わった、1997年。このころは眼鏡をかけてプレーしていらっしゃいました。

 

この年、試合出場数は73試合に留まり、球団からは引退を勧められ、同年限りで現役を引退。

 

39歳 1824安打 あと数年頑張れば、いけるであろう2000本安打。惜しかったです!

 

その後、解説者・野球評論家として活動した後、2003年に近鉄へコーチとして復帰。

 

2005年からはオリックスのコーチへ。2007年からは、前任のテリー・コリンズ監督の辞任から、一軍監督代行へ就任。就任時は5位だったチームを復調させ、クライマックスシリーズへ導きました。

 

2009年には、ソフトバンクホークスのコーチへ。日本一にも貢献。

 

2016年からは愛知県に本社を置く、ジェイプロジェクトの監督へ就任し、社会人野球に貢献しています。

 

 

ちなみに、大石さんは、高校卒業後、大学卒業後と、競輪選手になりたい意思があったそうです。体格的にもその分野でも成功を収めそう!

 

息子さんは、2013年まで四国アイランドリーグ 高知ファイティングドッグスで野球を続け、2016年から競輪選手として活躍しているそうです。