中日 堂上照さん | プロ野球カードとサイン

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80年代〜90年代のOB選手を中心です。

 

剛裕、直倫のお父さん

 

中日 堂上照 さん です。

 

現在、中日ドラゴンズで活躍している堂上直倫(次男)選手、中日→巨人で活躍した堂上剛裕(長男)選手の父親。父親、息子と一家そろってドラゴンズだったのです。

 

堂上さんは、石川県の金沢高校卒業後、電電北陸(NTT北陸)で野球を続け、1970年ドラフト6位で、中日ドラゴンズへ入団します。

 

入団4年目の1974年に1軍初出場を果たします。そして、6年目の1976年に初勝利!

 

身長184cm 体重84kg と大柄の体格から、愛称は「ジャンボ」

 

徐々に登板回数を増やしていき、1978年には54試合に登板。シーズン途中からは先発ローテーションに入り、25回先発で、9勝18敗。めちゃくちゃ投げてますw この年は、オールスターゲームへも出場しました。

 

1980年も7勝7敗、1982年は中継ぎとして、防御率1点台を記録。リーグ優勝へ貢献しました。

 

1984年も40試合に登板し、8勝を挙げる活躍!コンスタントに活躍するものの、

 

翌1985年出場試合数が9試合に留まり、現役を引退しました。

 

現役引退後は、中日ドラゴンズの球団職員となります。

 

そして、2003年それまで、中日ドラゴンズの寮「昇龍館」の館長だった、村田広光さんの逝去に伴い、館長(寮長)に就任しました。その年のドラフト6位で、長男 剛裕がドラゴンズへ入団。 父:寮長 息子:寮入居者となりましたw

 

やはり、父親も気を遣うそうで、自分の子供を甘やかすわけにはいかないので、厳しく接していたそうです。

 

2006年には、次男 直倫が入団。一家の大半がプロ野球球団の寮で生活をしているという相当珍しい例となりましたw

 

2008年をもって、寮長職から退き、退団。その後は、野球教室などで指導者として活躍されています。

 

堂上さんの好きなプロ野球球団は、阪神タイガースだったそうで

 

次男直倫さんは、長男とも被らないように、阪神に入団してほしかったそうですw