参った参った | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

私が困っていること。
それは、だーさんとだーさんのお母さんとの関係です。

二人は似ています。

せっかちであるところ。
自分がこうだと思ったら、思い込んだら周りが見えなくなるところ。

自分の思う通りにならないと自暴自棄になるところ。
衝動的に行動するところ。

人は人、自分は自分という境界線を作れないから干渉し過ぎるところ。

良い人に見られたい、嫌われたくないと思うから無理をするところ。
無理をするから次第に不平不満が増殖するところ。



10時頃、遅い朝食を作っていると、寝起きに近いだーさんが誰かと携帯で話しをしていました。

だーさんのお母さんでした。

梨が届いたから渡したい、最寄り駅で買い物をするから駅にきて欲しいというものでした。

だーさんは、予定にない事が起こると精神的に不安定になるのですが、案の定不安定に。

私が取りに行くのでメールをくれるよう、だーさんのお母さんに頼みました。

でも、だーさんのお母さんはアポなしでうちに来てしまいました。

だーさんは、気を遣ってゆっくりしていってと言ったけど、明らかに体調が悪くなり口数も少なくうつむいてしまうように。
目付きが変わってきた。

だけど、だーさんのお母さんは何故そうなっているのか分からないんです。

自分の感情の思うまま、愚痴と不平不満の毒を吐き続けました。
お母さんは、人に干渉し過ぎるんです。

兄貴への不平不満を話しているうちに、とうとうだーさんはポロポロと涙を溢し始めてしまったのです。

兄貴は何でしっかりしてくれないんだ、お袋に苦労かけさせるんだ、と。

(やべーよ、完璧にスイッチ入っちゃったよ………)

今度はお母さんまで泣き始めちゃいました。
余計な事を言ってごめん、頼りない親でごめん、来ちゃいけなかったごめん、と。

(マジですか………)

だーさんをなだめ、お母さんをなだめ。

お母さんを家まで送り帰ってくると、だーさんは既にビールを呑んでいました。

目が虚ろで泳いでる。

(あー、落ちちゃったか………)

その後、疲れた、いつまで苦労すればいいんだ、死にたいと言い始め、コードを結んで首にかけたり、包丁を握って首に当てたり。

で、終いは私への八つ当たり。

泣きたいのはこっちの方だ。


二人は死ぬまでこの関係を続けていく気なんだろうか。