その後 | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

だーさんはずっと落ちっぱなしで、やっぱりお酒と薬に依存していました。

ODしてやっと眠りに落ちました。

薬を減らしたいと言っていたけれど、こういった状況になると逆戻り。

何を言っても真っ直ぐには届かないからと黙っていれば、孤独だ、誰も助けてくれないと言い、話せば話したでやっぱり歪曲して捉えて同じ事になる。
いつもその繰返し。

進んでいるようで進んでいないのかなぁと、ちょっと落胆してしまいます。

聞きたくない事には、言ってる意味がわからないと耳を塞いでしまうからいつもそこで止まっちゃう。

核心部分を受け入れるのが苦しいから無意識に拒否するのだと思います。

だーさんは体は大人だけど心は愛に満たされず止まったままの子供。

貧しくとも苦労をしても、そこが愛に溢れていれば止まることはなかったのだろうと思う。

貧しかろうがお金持ちだろうが、そこに愛があるかないかだと思う。

だーさんのお父さんは子供に興味がなくて自分が一番だった。
お父さん自身が我儘な子供だった。

だーさんのお母さんは、お父さんの顔色ばかり伺っていつも振り回されて言いなりだった。

お母さんもお父さんも、子供を守れなかった。

だーさんは今も愛情溢れる母親と父親がいる家族の子供になりたいのだと思います。

自分を見てくれる暖かい母親に、聡明で頼れる父親がいる家庭の子供になりたいのだと思います。

大人だから言ってる言葉は大人だけど、中身は子供が地団駄踏んでごねているのと同じ。

でも、認めたくないんです。
認められないんです。

認めたら今まで積み重ねてきた我慢が間違ってたことになっちゃうから。
我慢という積み木が崩れてしまうから。

だから、核心部分になると耳を塞いでしまうのだと思います。

私に理想の母親と父親を求めてるってことは何となくわかったけど…。

私はだーさんの理想のお母さんになれないしお父さんにもなれない。

私は私だし、私は母親でも父親でもない。

だーさんは私を見てなかったのかなぁ。
理想化した嫁像を求めてたのかなぁ。

何だか淋しくなってしまいました。