家族になろうよ | 一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

一緒に歩いていこう、またそう言える日まで ~自死遺族の日記~

反復性うつ病と診断されていただーさん。
闘病5年の末、2017年9月突然私を残し逝ってしまいました。

《一緒に歩いていこう》

これはだーさんと私の闘病ブログのタイトルでした。
今はだーさんの死と自分の生に向き合うブログです。

こんにちは。

昨日に引き続き今日も良いお天気です。
風は強いけど。

日曜日の記憶が途切れ途切れだっただーさんですが、昨日はなんとか仕事に行きました。
どれだけ薬を飲んだか殆ど覚えておらず、「昨日は本当に疲れた。お袋が来ると頭がおかしくなる」と言っていました。
親子問題というのは難しいですね。

昨晩も、福山雅治の結婚のニュースを観ていて、BGMに「家族になろうよ」がかかっていたのだけど、だーさんは

「家族がいない人は聴いたってピンとこないよな」

と言っていました。
確かにそうだ。

『家族がいない』というのは、実際に親がいないという意味と、親がいても家族ではない、という意味の両方の意味なのだと思います。

「いつかお父さんみたいに大きな背中で   いつかお母さんみたいに静かな優しさで」

どちらもだーさんが感じる事の出来なかったであろう両親の姿。
ピンとこないと思います。

だーさんはどこで歯車が狂ってしまったのだろう。
何歳の時から歪み始めたのだろう。

そんなことを考えます。