高齢になって

身体が不自由になり身動きも取れず

家族のことも忘れて…


そんな状況になると

薄情であることは十分承知だけど

わたしのことがわからなくなってしまった時点で

すーっと心が離れてしまうのが自分でもわかる。




そんな状況になってまで

生きながらえる意味ってなんだろう


わたしのことなんか覚えていない人に

会いに行く意味ってなんだろう


何度も会えば思い出すってことでもない


わたしのことなんかわからない

簡単な会話すら成立しない

言いたいことだけ言われて帰る繰り返し


これになんの意味があるんだろう…




正直なところ

そう思っていた。




* * *




母方の祖母が亡くなった時

コロナ禍真っ只中で

一度も帰省することができず

わたしはお見舞いに行くことができないまま

祖母はこの世を去った。




たしかあの時は二ヶ月以上

病院に入院していたが

わたしは床に伏せる祖母を見ていない。


最後に会ったのは

元気な祖母だった。




わたしはまだ

祖母の死を受け入れられていない。


まだ生きている気がするのだ。




今でも親戚の家の裏口から

祖母が現れる気がしてならない


祖母の別宅の階段を上がったら

祖母が迎えてくれるような気がしてならないのだ。




もういないなんて

実際のところ全く実感できていない。




それとは逆に

最期寝たきりで

わたしのことを忘れていた祖父の死は

受け入れられている。


祖父は最期何年か

その状態が続いていたので

急に亡くなったような気もしなかった。




* * *




あぁ


もしかして




わたしが薄情にも

寝たきりで家族のこともわからなくなって

まともな話ができない状態で会うのが

なんの意味があるのと思っていたあの時間は


お別れの準備期間だったのかもしれない




祖母も十分長く生きたし

本人も長生きする気もなかったから(笑)

特別不幸な最期でもなかったんだと思うけど


急にいなくなってしまうのは

家族はやっぱり寂しいよ




最期床に伏せ

家族のこともわからない

会話もできない状態で会うことは


さよならを受け入れる準備をしながら

悲しみを少しでも緩和するための

優しい時間なのかもしれない




どんな状況であってもお別れは辛い。




それが少しでも和らぐように…




* * *




最近珍しく連絡を取っていた

中学からの友人の祖母が亡くなった。




母親のいない友人の

母代わりをしていた友人の祖母。


友人の祖母ももう10年以上施設に入っており

もう何年も認知症だったらしい。




ほぼ母と言っていい祖母を亡くした友人も

きっと辛いだろうけど

きっとここ何年もの間に

優しいお別れの準備を重ねてきただろう。




自宅で介護するにしても

施設に入れるにしても

家族は大変だ。




大変だけど…


その時間は

さよならの替わりの時間だったのだろう。




どうか最期は

優しいお別れであるように…




ご冥福をお祈りいたします







ひっさびさに


こっちでブログを書こうと開いたら…



なんと2020年ぶりになってしまっていました


Σ( ˙◊˙ )!!!





コロナ禍がスタートした2020年。



自粛祭りで仕事にも行かず


引きこもりを満喫していた日々…


それで給料は満額GETできていた夢のような日々…





打って変わって2023年は


ようやくマスク生活も終わりを告げ


ほとんどコロナ禍前の生活と


同じような暮らしに戻りました。





わたしは3月で晴れて退職し(!)


特にお客様も来ないので(爆)


優雅なニート生活を送っています✧‧˚





ニートのくせに


今年になって


ベトナムとマレーシアに海外旅行に行き


式根島やグランピングに行ったりと


とっても充実した


楽しいニートライフを送っています


✧ \( °∀° )/ ✧





そして今年はなぜか


旅行の度に大病を患う羽目になっており


ベトナム後には胃腸炎(発熱有)


マレーシア後にはインフルエンザA型


グランピング後にはコロナと


笑えるくらいセットになっております(死)





2020年から


コロナ禍を大都会東京で暮らし


リモートなしの会社勤めで


適度には遊び歩いていたし


マスク嫌いであんまりマスクしていなかったのに


なんだかんだこの4年近く


コロナにならずにきたので


わたしはコロナにはかかりにくいんだな…


( ̄∀ ̄)♡


とたかを括っていましたが…



でもなりましたね


あっさりと。笑





発症する時からの経緯を


記念に残しておきたいと思います。





【発症-1日目】


一昨日37.5発熱していたが


抗原検査は陰性だったという友人と旅行へ出発。


楽しく過ごす。





【発症0日目】


朝起きるとなんとなく喉に違和感が…


しかし喋りすぎたのかくらいにしか捉えておらず


この日も一日楽しく過ごす。


後で振り返ると寝不足だったにせよ


なんとなくいつもより身体は重い感じだったかもしれない。


帰宅して疲れたので早く寝る。





【発症1日目】


日付が変わったくらいに身体の熱さで目が覚める。


体温を測ると37.1


じきに37.5くらいまで上昇。


午前3時台には38.5


朝方には39.5まで上がる。


これはまずいとついに鎮痛剤を飲む。


鎮痛剤が効いたのか


午前中には37.7くらいまで熱が下がる。


鎮痛剤が切れては38.2くらいに戻り


また飲んでは37.7くらいに下がりを繰り返す。


そして夜にはまた39度台に突入。



寝ようとしてもほとんど寝れない状態が続く。


寝たなーと思って時間をみても


1時間くらいしか経過していない…というのの繰り返し。



抗原検査はもちろんしてみたが陰性。


ほんとかよ。





【発症2日目】


熱は37.4〜38.1くらいを彷徨う。


喉の痛みは悪化。


なんだかよくわからない状態が一番しんどいので


発熱外来に行くことを決意。



今年に入ってもう2回


発熱外来にはお世話になっているので


慣れたもんです(自慢できることじゃねぇ)


朝一に連絡したら昼前の予約が取れたので


病院に行き喉を見ると


「コロナの可能性が高いですねーPCRします」と


鼻に綿棒を突っ込まれ


検査キッドに垂らして即座に…



「ハイ、コロナで〜す」



おおおおおおお


ついに!!!ついにわたしもか!!!と


謎にテンションあがるわたし(←アホ)



原因もわかったし


お薬ももらえたし


隔離期間もわかったし


ちょっと気持ち的にすっきり。


あとはとにかくゆっくり過ごして


良くなるだけだ!と気が楽になる。



コロナだったことを


一緒に旅行した友人に告げると


友人もその夜再度抗原検査をして


友人も陽性と確認。



しかし…


コロナの検査って


いつのタイミングだと


陰性になりやすいとかあんのかな…???





【発症3日目】


朝起きると37.0


わたしは平熱が36度後半なので


やっとほぼ平熱に!


相変わらず喉は痛いけど


熱はかなり下がったし食欲も出てきた!


まとまった時間眠れるようになってきたし


回復を感じる!!


このまま順調に治ってほしいところ。





にしてもほんと


今年はすごい患うなぁ…



ですがわたしは元気です(*'▽'*)!

















先日



母方の祖母が急逝した。












* * *








最後に会ったのは

今年のお正月だった。



普段なら

GWやお盆にも帰省しているけど

コロナで帰省できないまま

けっきょく

1月に顔を合わせたのが

最後になってしまった。








私は祖母にとって

外孫だったけど

家も近いし

歳の近いいとこもいたから

しょっちゅう会っていた。



毎年の初詣は恒例行事で

旅行だって一緒に行った。








祖母、母、あたしなんて

顔も性格もそれはまぁそっくりなのだ。








* * *








ここ数年は

祖母も具合はあまり良くなかったけど

それは歳だからみたいなもんだったし

特段認知に問題がある訳でもなく

普通に会話はできていたし

まさか

こんな急に逝ってしまうなんて

これっぽっちも想像していなかった。








毎年

年末年始は必ず帰省していたのに

前回はどうにも帰るのが面倒になってしまって

帰るのをやめようとしていた。



だけど母の一言で

年が明けてから1月1日

帰省した。

翌日2日には親戚の家に顔を出し

そこで祖母に会ったのが最後だ。








あたしはいつも

できるだけ

“後悔しないように”生きようと

心がけている。



100日後に死ぬワニ

ならぬ

明日死ぬワイ



くらいには思って

“今できること”を

後回しにはしないようにしようと

できるだけだけど

無理のない範囲でだけど

昔から何となく心がけていた。



だから

帰省したら必ず

両祖父母のとこに顔を出すことや

お盆のお墓参りなどは

欠かさないようにもしていた。



それなのに



前回の年末年始は

「今回は帰らなくていいや」

「またでいいや」

そう思ってしまった。








「また」

なんて

永遠にこないかもしれないのに。








母の一言がなければ

あたしは永遠に後悔するところだった。








* * *








ついこないだまで

普通に話していたのだ。



「早く結婚しなさい」と言われて

口答えして

ついでに憎まれ口なんかたたいていたんだ。








人の死は呆気ない。








今日も明日も

元気で

一緒にいられるような気がしても

急に最後は訪れる。








祖母は歳だし

十分天寿を全うしたのは間違いないし

ちょっと急だったけど

これでよかったんじゃないかなと

家族は思ったりしている。



それでもやっぱり

残された側は

寂しいし悲しいんだよね。








もう

いらん世話を焼かれることも

帰ってきたよと

元気な顔を見せることもできないのかと思うと

何とも…言葉にしようのない

喪失感だけがそっと残る。








* * *








母が嫁いでから

盆正月の恒例行事だった

母の“実家への帰省”



母方の祖父は5年前

そして今回の祖母の死。



ついに



母の帰る“実家”がなくなった。



それは同時に

あたしが自分の家のように立ち入っていた

祖母の家(厳密には母の兄の家)が

なくなったことでもあり



あたしもひとつ

“恒例行事”と

“帰る家”を

失ったように感じた。








* * *








泣いても笑っても

時間は止まってなどくれない。



当然の様に時間は流れ

世界は様相を変えていく。



“当たり前”だと思っていることは

これっぽっちも当たり前ではなくて

目の前にあるもの全部が

奇跡だったりするんだよね。








“自分にできる最善を尽くし続ける”



無理はしないし

できる限りでいい



目の前に現れる選択ひとつひとつに

責任だけ持って

自分の人生に覚悟だけ決めて

これからも歩き続ける。








* * *








おばあちゃん

今までありがとう。