英語の迷い道(その131)-「哲学すること」とは何か?-今年の阪大・英作文 | 流離の翻訳者 果てしなき旅路

流離の翻訳者 果てしなき旅路

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴15年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な独り旅を継続中

啓蟄の昨日、こちらでは県立高校の入学試験が終わったようである。中学三年生も後は卒業を待つばかりか。国公立大学の合格発表もそろそろ始まるようだが、高校の卒業式が今まさに酣(たけなわ)となっている。

 

それにしても花粉の飛散が酷くくしゃみや目の痒みがとまらない。合格発表や卒業など悲喜交々の感動的なシーンに水を差しているようである。

 

毎年のことだが、3月のこのシーズンにはノスタルジックな想いがよぎる。自分の大学の合格発表のことを思い出すからだ。あの頃は花粉がなくてある意味幸せだった。

 

 

今年の阪大(外国語学部を除く)の英作文のテーマは「哲学すること」の意味を問うものであった。阪大ではこのボリュームの和文英訳がもう1問、さらに80語程度の自由英作文1問が課される。受験生の負荷も並大抵のものではない。

 

 

(問題)

IV.次の日本文(A)の下線部の意味を英語で表しなさい。

 

(A)(すべての学部の志願者)

たとえば、「そもそも、人間は他人の心を理解できるのだろうか?」とか「そもそも、他人を理解するとは、いったいどんなことなのか?」。あるいは「そもそも、他人に心があることがどうして分かるのか?」。

こうした疑問は時間がたつにつれて、ふつうは忘れ去られてしまうようです。とはいえ、忘れたからといって、疑問が解決されたわけではありません。時々は、思い出したり、疑問が広がったりするのではないでしょうか。

実を言えば、いつの間にか忘れてしまった「そもそも」問題を、あらためて問い直すのが「哲学すること」に他なりません。哲学は、過去の哲学者の学説を知るのが目的ではありません。

(岡本裕一朗,2023.『哲学100の基本』東洋経済新報社 より一部改変)

(大阪大学(外国語学部以外)・2024年)

 

 

(拙・和文英訳)

For example, "Can people understand other people's minds in the first place?" or "What does it mean to understand others in the first place?" Further, "How do we know that other people have hearts in the first place?"

These doubts usually seem to be forgotten as time goes by. Nevertheless, forgetting these doubts doesn't mean that they have been resolved. From time to time, you may remember them or your doubts may be expanded.

To tell the truth, it is nothing less than "philosophizing" to re-examine these “in the first place” doubts that has been forgotten before you notice it. The purpose of philosophy is not to know the theories of the philosophers in the past.